ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その6)

2016-05-27 08:31:04 | 悪文見本市
 アルコールの急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS≒ドライドランク)は、断酒を始めて3~6ヵ月で自覚するようになると言われています。

 前回(5月20日付)の記事では、その症状の一つ “思考プロセス障害” の、脳内で繰り広げられる様々な葛藤と混乱について述べてみました。今回はその具体的な現れと思われる悪文事例を久々にご紹介します。いずれも集中力に欠け、脳がストライキを起す寸前の状態で書いたものと思われます。

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 今回は事例を2つ取り上げました。いずれも昨年6月26日に投稿した「アルコール依存症へ辿った道筋(その34)サラリーマン人生の終着駅」からのものです。どちらも記事の後半部分に当ります。

【事例32】

「あのとき教育しておいてくれたなら、と今でも思うことがあります。当局が比較試験を重視する理由(情報公開という政治的意味合いも含まれていること)。対照群を設定するときの諸々の留意点(一発勝負もアリ)。盲検化の方法(薬剤の盲検化一つだけが採りうる手段はではないこと)。この3点だけではきかないのですが、当時は会社として臨床開発の経験が乏しい(承認取得6成分)ことを考えると仕方ないことかもしれません。」
         
「あのとき教育しておいてくれたなら、と今でも思うことがあります。ここでは重要なポイントを3つ挙げておきます。いずれも臨床開発に欠かせないノウ・ハウで、これらがなかったばかりに悔やんでも悔やみきれない思いが強いのです。
 ● 当局が比較試験を重視する理由
   優劣は比べれば誰の目にも一目瞭然。情報公開が必須という政治的
   意味合いも含まれていること。
 ● 対照薬を選定するときの諸々の留意点
   申請後の審査過程でも通用する対照薬を選定すること。薬効を実証
   する目的での対照薬か? それとも特長を引き出す目的での対照薬
   か? 審査過程で拗れた問題への回答には、イチかバチかの一発勝
   負なので、道ならぬケモノ道に賭ける対照薬選定もアリ。常識に囚
   われてはダメ。
 ● 盲検化の方法
   外観に施す常識的な “薬剤の盲検化” ばかりでなく、データの測
   定 ― 解析段階で行う “データの盲検化・匿名化” もあり得る
   こと。
 この3点だけではきかないのですが、当時は会社として承認取得が6成分だけと、臨床開発の経験が乏しかったことを考えると仕方がないことかもしれません。」


 読み手の第一印象は、「何のコッチャ!? さっぱり分からん!」だったと思います。下線部だけを見ても、忘れないようにと書き残した雑な私的メモ同然です。頭に浮かんで来たものを、思い付いた順に、そのまま書き散らかしたとしか思えません。説明不足を後から気付き、それらを( )内で補足して済ますなどはガサツすぎます。集中力に欠け、読んでもらおうという丁寧さがちっとも感じられません。

 “対照群を設定” という言葉も不用意な使い方です。本来は対照薬とすべきところですが、“対照” という言葉だけに気を奪われ、その後の注意(力)が途切れたのだと思われます。対照群は試験デザインを論ずる場合の用語ですから、群ならば “設定” というふうに、自動的に言葉が決まったのでしょう。正しく “対照薬” と改めると、“選定” という言葉になり、( )内の「一発勝負もアリ」の意図と合致します。両者とも “セ” という音で始まりますから、「もうこれで良し」としたのだと思います。


【事例33】
「健康面ではアルコール依存症ばかりでなく49歳で “死の四重奏” まで抱え込むことになりました。52歳でサラリーマン人生の終着駅にも早々と着いてしまい、図らずも窓際族としての余生しか残っていないように思えました。老後に対する展望にしても明るさは一向に見えません。これらのどれをとっても執行猶予付きながら死刑を宣告されたも同然と将来を悲観的にしか考えられませんでした。私に課せられ、まだ宿題として残っていたものは二男の結婚、住宅ローンの完済、地元での墓地の取得ぐらいで、他には何も思い付きませんでした。現在から見ても当時は暗澹たる状況だったことに違いないのですが、ここまで落ち込んだのはアルコール性鬱が進行していて加勢したのだと思わずにはいられません。」
         
「 以上のように、健康面ではアルコール依存症ばかりか、49歳で “死の四重奏” まで抱え込むことになりました。その後会社勤めでは、Ca拮抗薬Pの承認申請取下げや、昇進・昇給の道が閉ざされ、52歳にして早くもサラリーマン人生の終着駅に到着してしまいました。
 会社では、最早窓際族としての余生しか残っていないように思えました。これらのどれをとっても将来は悲観的で、老後の明るい展望など一向に見えませんでした。まさしく執行猶予付き死刑宣告を受けたも同然でした。
 辛うじて私に課せられ、まだ宿題として残っていた問題は、二男の結婚、住宅ローンの完済、地元での墓地の取得ぐらいで、他には何も思い付きませんでした。
 現在から見ても、当時は暗澹たる状況だったことに違いないのですが、ここまで落ち込んだのはアルコール性うつ症状が進行し、加勢していたのだと思わずにはいられません。」


 この段落でも、説明不足が目につきます。既に上段で説明済みとは言え、いきなり「サラリーマン人生の終着駅に早々と着いて・・・」はアンマリです。なぜ終着駅と考えるのか、まずその根拠を具体的に述べるべきだと考えました。

 この記事は、夢も希望も断たれた人生がテーマです。この段落では、“死の四重奏”、“サラリーマン人生の終着駅”、“窓際族の余生”、“老後の展望なし”、“執行猶予付き死刑宣告”、“将来を悲観”、この順で言葉が登場しています。これらの言葉の間には因果関係があるとみる方が自然ですが、述べたい言葉がランダムに飛び交い、整理がつかなかったのです。

 因果関係の中で原因に当るのは、“死の四重奏” と、“サラリーマン人生の終着駅” = “窓際族の余生” となります。その帰結は、“将来を悲観” して、“老後の展望なし” に行き着き、だからこそ “執行猶予付き死刑宣告” に思えたハズなのです。そのような順に整理し、記述を改めました。

 過去形で記述すべきなのか、それとも現在形で記述すべきなのか、文脈上時制に迷った節も見受けられます。回りくどい表現もみられます。「老後に対する展望にしても明るさは・・・」は「老後の明るい展望」で十分です。

 このように“思考プロセス障害” で頭が混沌として来ると、どうしても混乱したままうまく始末を付けられなくなることが往々にしてあるのです。

************************************************************************************
 今回取り上げた事例は、投稿してから3週間後に一度見直しをしていました。もちろん、初回の投稿時にも推敲していたはずなのですが、いずれの点検でも読み手としての醒めた目が不足していたようです。記事の後半部分になるにつれ、集中力が薄れているのも読み取れます。間違いなく “思考プロセス障害” の脳の為せる業と納得できました。これからも折を見ては、“悪文”の見直し事例をご紹介するつもりです。ご期待ください。



こちらもご参照ください。
アルコール依存症へ辿った道筋(その34)サラリーマン人生の終着駅


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アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)

2016-05-20 19:03:53 | PAWS
 “うまく” やろうと構えてしまうと、“うまく” いかず不首尾に終わってしまうものです。取り越し苦労と同じ、結果の先読みから嵌るワナです。気負えば気負うだけ緊張して脳が固まってしまいます。こんな経験、ありませんか? 私にはアルコールの急性離脱後症候群(PAWS≒ドライドランク)がまだ残っていて、その一つ “思考プロセス障害” のせいで二重に難義しています。

 体験談を話しているうちに、いつの間にか体験者の解説をやっているみたい・・・と気付くことが最近よくあります。あたかも講釈を垂れるという表現がピッタリで、話している本人がそれに気付き、こんなハズではなかったと内心慌ててしまいます。動揺した分、脳が固まってしまい、一層まとまりに欠けた話になってしまいます。

 少し前の話ですが、院内例会で断酒中に経験したPAWSの体験談を語ったときのことです。話し終わった後、聞いていた人から一言「難しい講義だった」と言われてしまいました。切実なテーマなので、きっと皆の関心を惹くハズで、きっと “うまく” いくハズと思い込んで話し始めたのですが、結果は散々でした。穴があったら入りたい思いで一杯でした。

 テーマとしたPAWSはドライドランクとも言われ、素面にもかかわらず飲酒時代と変わらない感じ方や考え方に囚われた病的精神状態のことです。断酒を始めて3ヵ月後ぐらいから現れ、精神的にひどく脆い病的状態で、誰にでも必発します。

 自我の肥大(余計なお節介など)・自信過剰・自己憐憫などの情動の不安定、想起障害を伴う記憶障害、さらに心理的ストレスに過剰に反応しやすい(怒りや落ち込み)など、種々の症状が知られています。記憶障害以外は自覚しにくい症状なので、自分を病的とは自覚しないまま再飲酒してしまう危険性が最も高いと言われています。

 これらの症状は再飲酒の危険を孕んでいますから、私は今でも用心を欠かしたことはありません。患者仲間にも知識として共有してもらい、是非とも用心してもらいたい一心で話題にしたのです。注意を喚起したい一念で説明に熱中し過ぎたせいでしょうか、理屈っぽい解説口調となったのかもしれません。

 当たり前のことですが、体験談は理屈で解説するものではありません。私にはうまく説明がつくと納得してしまう癖があるので、何かと理屈を捏ねるのが好きなのですが、そのせいもあったのでしょう。しかも、PAWSにはそれを助長するところもあるのです。

 語る場合と同様に、文章を書いているときにも思惑違いがよくあります。何か書こうとする際は、動機となった事例やエピソード(モチーフ)がまずあって、そこから主題(テーマ)を決めて書き始めるのが普通でしょう。モチーフを補う周辺のエピソードまで、最初から完璧にそろえて書き始めることはまずないと思います。多くの場合、それらは書きながら敷衍して行くのが普通です。

 そんな作業中に、ほんのチョット周辺情報に触れておくつもりが、気が付いたら本道から大きく逸れてしまっていることがよくあります。7回前の投稿記事に「“生き残る”  ― この言葉に想うこと(隠居の雑感)」があります。起き掛けに浮かんで来た言葉がモチーフでした。 “生き残る” という言葉には覚悟を強要するところがあり、生き抜く覚悟をテーマにするつもりでした。最初の投稿時、山場の一つのつもりで書いた文章を再掲します。

 「よくよく考えてみると、よくぞここまで生き残れたものだと思うばかりです。・・・(病気で生死の境にあった事例)・・・事故や災害でも肝を冷やしたことがありました。・・・(生死を分けた事故や災害の事例)・・・ですから、『生き残った』というよりも、むしろ『生き残らせてもらっている』と表現した方が、今の私の正直な胸の内なのです。せっかくの命です。与えられた寿命が尽きるまで、粗末にするつもりはありません。
 “生き残る” などむやみに使う言葉ではないと自戒していたつもりでしたが、二男の結婚披露宴でつい使ってしまい・・・」

 これを投稿してから10日ほど過ぎた頃、何とはなしにこんなフレーズが浮かんできました。「自分の器がどれだけのものか、薄々気付いていながら仕事で無理を重ねていた・・・。」

 投稿したときから内容的に物足りなさがあって、何か引っ掛かるのが気になっていました。記事を読み返してみると、全体として表面的な出来事だけを並べているだけで、肝腎要となる自分の正直な胸の内にまったく切り込んでいなかったのです。そのことに気づきました。

 そもそもモチーフから連想されたエピソードというのは、会社幹部の年頭の挨拶と息子の披露宴で述べた私の挨拶という二つだけでした。それを補うため、後から生死を分けた出来事についても周辺情報として追加することにしたのです。さすがに人生と命については、素面となった現時点での覚悟をちゃんと書いています。ところが、生き残りを賭けて必死で生きて来たサラリーマン時代の生存競争についてどう決着をつけたのか、つまり自分の半生への総括がスッポリ抜け落ちていました。

 会社勤めは “まさか” の世界でした。まさか死にもの狂いの競争になろうなどとは思いもせず、十分な覚悟もないままに始めたので、是非とも総括しておくべき課題だったのです。これでは “画龍点睛を欠く” の如しで、まるで “枯れ木も山の賑わい” でお茶を濁しているとしか読めません。周辺情報を並べている内にその文章量に満足(?)してしまい、それで肝腎要の部分を書き忘れていたのか、あるいは無意識に避けようとしていたのか、それとも他に何か(?)・・・としか思えません。

 以前、ブログ原稿にはA4で2ページ半のノルマを課していると書いたことがあります。アルコールで傷んだ脳のリハビリのため、自分の考えを出来るだけ掘下げようという意図で課したものです。そのノルマからつい内容を盛り沢山にしようとするせいか、書いている内に自動的に筆(文)が進んでしまい、意に反して冗長になってしまうことがよくあります。

 特に、周辺情報に触れているときに冗長になりがちです。周辺情報の大方は事実の羅列か引用で、ただ並べるだけなのであまり考えなくとも出来るからです。これでは自分の考えを掘下げることにはならないので軌道修正が必要になります。こんなときの軌道修正は大変です。改めて自分の気持ちや考えを素直に表現しようとすると、途端に脳が抵抗してストライキを起すのです。先に投稿したときも、舞台裏の楽屋事情はこんな状態だったのだろうと思います。

 以上が今回 “思考プロセス障害” についてまとめてみようとしたキッカケです。以下、本題に入ります。
         *   *   *   *   *
 実は、自分の言葉で考えや気持ちを書こうとすると、必ずと言っていいほど立ち塞がることがあります。私はそれがPAWSの “思考プロセス障害” ではないかと考えています。“思考プロセス障害” こそが、PAWSの症状の中で “いの一番” に挙げられているものなのです。その特徴は、脳の働きにムラがあり、頑なで諄(くど)い思考や因果関係を理解できないこととされています。

 これを私の経験から言えば主に次の3点になるでしょうか。まず、まとまった文章を書こうとすると、なかなか考えがまとまらないこと。次に、脳が混乱して疲れやすく、よくストライキを起こすこと。三番目に、使うべき助詞は一体何が適切か、所謂 “てにをは” の類の使い方が混乱すること。私はこれらが “思考プロセス障害” の具体的構成要素と考えています。

 まず一番目に挙げた、なかなか考えがまとまらないことについてです。これをもう少し具体的に言うと、あれやこれやと文案や構想が入り乱れて自信をもって確定できないことに尽きます。全体構想の詰めはテーマに沿って集中して考えなければできません。そんな集中すべきときに、文案や構想が入り乱れてうまく練れなくなることがよくあるのです。それでつい論理が遠回りしてしまいます。

 このブログの原稿作成の際も、全体構想が詰め切れないまま見切り発車するのが定番になっています。とても練りに練った構想などとは程遠い状態です。生煮えのフワフワした構想で書き始めるものですから、発想があちこちに流れがちで、段落から段落への展開にも苦労しています。

 次に二番目に挙げた、脳がよくストライキを起こすことについてです。集中力にムラがあって長くは続かないこと、これに加えて考えがまとまらなくなったら脳が疲れて更に混乱し始めます。感覚的には脳が鬱血する感じでしょうか。この感覚が出だしたらすぐに思考停止となりますが、このことを私は脳のストライキと呼んでいます。“思考プロセス障害” の症状とするには一風変わっているかもしれません。

 脳のストライキは、パソコンが固まって動かなくなった状態をイメージしてもらうとピッタリです。こうなったら最後、作業を中断し席を立って一服するか、それでもダメなら一眠りするしかありません。睡眠をとった後は不思議なくらい捗ります。

 最後に三番目に挙げた、助詞の使い方の混乱についてです。因果関係の混乱に象徴されると思いますが、事柄同士の論理的関係が分からなくなることもしばしばあります。そのせいで、使うべき助詞は一体何が適切か、所謂 “てにをは” の類の使い方にさえ迷って混乱することがしょっちゅうです。そうそう、これに関係するかもしれませんが、時制についても現在形か過去形かでしばしば混乱します。

 アルコールの遺した置き土産 “思考プロセス障害” は斯くの如く厄介なシロモノです。上に挙げた構成要素が交互に作用して、たった一文を書く場合にも邪魔をします。このブログで何遍か触れたように、想起障害と共通した根っこから来ているものと考えています。
         *   *   *   *   *
 今回は、現在進行形で経験最中にある症状 “思考プロセス障害” について、改めて自分の言葉で書いてみました。今までは “脳の働きにムラ” が何を指すのかピンと来なかったのですが、自分の体験を掘下げてみて、ほぼ自分の言葉で形にすることができました。上に述べたことでお察しのように、私にとって最も苦手とすることです。自分の気持ちをありのまま正直に書くことがこんなにも難しいことなのかと改めて思い知らされました。

 今回も「好評を博したいから “うまく” 書こう」という気負いも勿論ありました。今の私にとって、それはあたかも鏡なしでやる身繕いのようなものです。ピシッと身なりを決めたいといろいろな文案が飛び交いますが、どれが最適なのかを鏡で確認せずに決定している状態なのです。確信をもって決められないので諄くもなります。それだけに脳が二重に緊張を強いられ、ストライキも頻繁に起こしました。実に難義なことです。

 ただ一つほのかに希望が見えてきています。PAWSの他の症状と同じように、“思考プロセス障害” も今でははっきり自覚できていることです。PAWSの他の症状は、峠を越えてから初めて自覚できたことが共通していました。今回まともに向き合えたことから、どうやら “思考プロセス障害” についても峠を越えられたのかもしれません。
 “一息ついて 一歩引いて  ありのままを ありのままに・・・”


 今回のモチーフとなった “うまくやる” は、ほぼ1ヵ月前のAAのミーティングで取り挙げられたテーマです。その場では少し奇異な感じがしたのですが、それだけにおもしろいテーマとも思いました。悩みの種のPAWSと絡めることで、やっと自分なりの体験談にまとめることが出来ました。拙い文章力の言い訳になってしまったようですが・・・。


“生き残る”  ― この言葉に想うこと(隠居の雑感)」もご参照ください。


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食とアルコール(酒)

2016-05-13 20:05:05 | 病状
 これには盲点を突かれました。“食とアルコール” 通院中のアルコール依存症専門クリニックの教育プログラムで某日に出されたテーマです。テーマとしてはあっても良いものですが、寝た子を起すようなものなので、あえて出さないのかなと考えていたのです。ですから、文字通り不意を突かれた思いでした。

 食と酒は切っても切れない関係で、酒は太古の昔から食文化に深く根ざしているものです。私自身、いずれどこかで直面する問題だろうと頭の片隅にはあったので、当座はまともに考えなくてもよいことにしていたのです。会食などの機会がもしあれば、アル症だからすべてご法度だと辞退すればよい、いやいやそう簡単に割り切れないのではないか、・・・それが問われているのです。気持ちの整理をつけておくのに丁度いい機会と考えるようにしました。

 まず思い浮かべたのは、クリニックの真向かいにある “はし野” というこじんまりした割烹のことでした。正確に言えば、そこのメニューにある7000円のランチです。料金からして、そう目を見張るような食膳ではなく、中味はせいぜい松花堂弁当ぐらいが関の山と想像できるものの、昼飯としては高額です。やはり酒がなければ興醒めだろうと、私などはまず考えてしまいます。「あの料金だもの・・・、酒なしで、あのランチだけで心底楽しめるようなら、回復間違いなし。そうなんでしょう・・・ね?」患者の仲間内で以前、こんなふうに話題にしたことがありました。

 日頃の私の昼食は、決まったお弁当屋でとるのが現実です。ちゃんとしたお店でとることなど滅多にありません。サラリーマン時代の40~50歳代、すでにアルコール依存症と診断が下されていたのですが、その頃なら考えられないことです。その当時、昼飯に弁当など論外でした。朝は立ち食い蕎麦、夜は立ち飲み屋でしたので、せめて昼食だけは社外に出て、普通のお店のまともな食事をと考えていました。ですから、週毎に決まったお店に日替わりで通うようにしていました。

 今でも普通のお店で食事しようとさえ思えば、お金も時間も余裕で十分可能なのですが、しません。当初は弁当に味気なさもありましたが、慣れて来ると、今さら普通のお店に浮気しようなどとは思いません。おかずを細々(こまごま)揃えている弁当の合理性に、今では安心感さえ持っています。かつて偏執狂というほどのラーメン好きだったのに、今ではラーメン屋からもまったく足が遠のいています。何事にもすぐ癖になりやすく、習慣化しやすい性格だからでしょうか? 酒を断ってからというもの、少なくとも食の考え方では、現実的が一番になっているようなのです。

 夕食についても飲酒時代とは大きく変わっています。飲酒時代の休日の夕食といえば、好物の魚の刺身を酒の肴に、だらだら飲みながらというのがほぼ定番でした。文字通りだらだらと、いつまでも続いたものです。刺身がなかったら、イカの塩辛とか松前漬、味付けタコ、辛子明太子、アサリの酒蒸し、シシャモ、アスパラベーコン、ギョーザ、白菜キムチなどが好物でした。酒の肴そのものです。不思議なことに、焼き鳥、おでんの類は昔から好みません。

 酒を断ってからというもの、夕食の食卓から魚の刺身など、酒の肴の類がなくなりました。妻が酒を連想させないよう気を利かせているのでしょう。高齢者家庭の食卓は質素というのが定説ですが、我が家も質素・簡単で済ませています。それでも別に不満などありません。むしろ持病の糖尿病には、食事療法としても最適・最善だと納得してさえいます。

 精一杯の御馳走が食卓に並ぶのは、息子たちが孫を連れて遊びに来るときだけです。孫が男の子ばかりなので肉料理が中心です。時々は焼肉屋に家族そろって繰り出します。酒を断つ前は、脂っこさに辟易して、焼肉など大の苦手でしたが、今では平気で食べられるようになりました。妻に言わせると、誰よりも人一倍食べているそうです。酒を断って、味の好みが大きく変わったようなのです。

 御馳走と言えば、私としてはやはり会席料理を思い浮かべます。これも少し前のことですが、NHKの番組で京都のとある割烹について報じていました。6ヵ月前から予約でいっぱいになるほどの人気の店で、手の込んだ本格的な京料理では通に有名な店だそうです。店は客が14人ぐらいで満席となるカウンターだけ、主人の料理人は、料理の素材ばかりか食器や生け花、掛け軸など調度品にも神経を行き届かせているそうです。場所が南禅寺界隈とか言っていましたから、環境としても申し分ありません。さすがに興味津々で見ていました。

 その番組を見た時も、浮かんで来たのは「玄人が作った一級品の食膳を楽しむ? ひょっとしたら自分にもまだ機会があるのかも・・・。もしそうなったら酒ナシでいけるだろうか?」という妄想でした。そして、ふと気が付いたのです。65年も人生を歩んでいながら、会席料理にありつけたのは、せいぜい結婚披露宴と医者の接待ぐらいで、たかだか10数回に過ぎないことです。引退した身となっては、これからそんな機会など滅多にあるわけないのが現実で、もう無縁の世界と思う方が道理なのです。まさに杞憂で、もはや取り越し苦労などは、心配ご無用の身分なのです。

 現実的にみれば、一人で楽しむ食事ぐらいが、これからでも気楽にできる食の楽しみ方なのでしょう。実際、刺身を食べたくなれば、昼間スーパーで買って、一人で併設のイートイン・コーナーで食べています。また、たとえ弁当でもそれなりに満足できるようにもなりました。その一方で、家族そろって観光ホテルに宿泊し、私だけが酒ナシで夕食を済ませたこともあります。場違いな気分に襲われ、さすがに緊張感で楽しむどころではありませんでした。その点、一人だけというのはとても気楽です。

 こんなわけで、本格的な飲食店で食を楽しむことはまだ控えています。旅に出かけ食を楽しむことも控えています。そんな現状に自己憐憫を感じていないと強がってみても、一抹の侘しさは拭えません。これもすべてはアルコールという黒幕が潜んでいるからです。

 相手はアルコール、巧妙で、不可解で、強力なものです。脇が甘いと隙あらば、そこを容赦なく突いて来るのは見え見えです。脇を締めて掛らなくてはいけません。

 どうすればうまくいくか? 気負ってしまっては却って失敗するのが目に見えています。年金生活(者)ですから、支出は極力切り詰めるべき時です。かといってアルコールに怯え、食を楽しむこともなく、無難に済ましてばかりではさすがにシャクに触ります。適度な緊張感をもって行動に移せるものとなると、団体ツアーに一人で参加ぐらいでしょうか? その点、好物のカニなどは、飲酒時代でも身をほじくるのに夢中で、酒など眼中からなくなっていました。ですから、試運転にはカニ食べ放題ツアーなどが打って付けかもしれません。これもアルコールが仕掛けるワナなのかもしれませんが・・・。

 しばらくは妖しげな想像をたくましくし、イメージトレーニングを積むのもあっていい。久々に心が戦き、期待と不安が渦巻く気分を楽しんでいます。この記事を書いたお蔭で気持ちの整理ができました。私の強みも弱みも、何事にでもすぐに嵌り、癖になりやすい性格にあります。この癖のあることだけは忘れないように、心しておきさえすれば、・・・メデタシ、メデタシです?!


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醒めた頭で 醒めた目で

2016-05-06 06:50:10 | 病状
 故意にしろ過失にしろ、人がしでかした事で死人が出たと聞くと、どうしても感情的になってしまうのが人情です。「どうして?! こんなひどいことに・・・」「何てことだ! 許せない・・・」声に出すか出さないかは別にして、普通の人の第一声は、まぁこんなところでしょうか?

 ところが常日頃の気の持ちようで、人によってはまったく異なる反応をする人もいるのだと思い知らされたことがあります。感情的とは正反対の、冷静で醒めた反応の仕方をする人のことです。気の持ちようとは、ものごとの見方や考え方の違いのことで、ずばり理系的な考え方のことです。

 私が痛く感じ入ったエピソードをご紹介します。まだ記憶に新しいと思いますが、昨年11月13日にパリ同時多発テロ事件がありました。お復習いのため、事件の概要をお示しします。

 「パリ同時多発テロ事件とは、2015年11月13日にフランスのパリ市街と郊外のサン・ドニ地区の商業施設において同時多発的に発生したテロ事件である。ISIL(イスラム国またはIS)の戦闘員と見られる複数のテロリストグループによる銃撃および爆発で、死者130名、負傷者300名以上となった。」

 この事件の6日後、スコットランド在住の日本人女性がブログに投稿した記事があります。記事の内容は、事件をどう受け止めたのかについて、彼女が彼女の夫・英国人と交わした会話がメインでした。私は彼女の夫が事件について語った、醒めた受け止め方に痛く感じ入ったのです。感情的になっていた著者を窘(たしな)めるように、彼の語った言葉とはこういうものでした。

 「僕は今、まず自分自身に心の中でこう言うことにしているんです。『世界で1日に交通事故で命を落とす人は約3千人。テロで命を落とすよりも交通事故で命を落とす確率の方が世界全体ではまだまだ高い』・・・今回のテロを起こした人たちが目指したのは、世界を動揺させ、憤らせ、感情的に行動させることだ、と僕は考えているんです。だから僕はあえて動揺すまい、憤るまい、感情的になるまい、と決めているんです。」

                      (「スコットランドひきこもり日記」より)

 製薬会社に在職中だった頃の私にも、かつて同じように窘められた経験がありました。1996(平成8)年7月13日に発生したO157集団食中毒事件絡みの話です。もう20年も前の昔の話ですが、これについても事件の概要をお示ししておきます。

 「O157集団食中毒事件とは、1996年7月13日に大阪府堺市で発生した学校給食による学童の集団感染。患者数7996名、死者3名。疫学調査により原因食材として、カイワレ大根が疑われると厚生省(現厚生労働省)が発表し、大きな風評被害をもたらした。当時の厚生大臣 菅直人は記者会見でカイワレサラダを食べることで、安全性をアピールし、沈静化を図った。」

 会社では当時、元国立循環器病センターの研究所長をしていた方に顧問をしてもらっていました。どういう経緯か忘れましたが、その方にセンセーショナルに報道されていたO157集団食中毒事件を話題にしたのです。すると・・・

 「マスコミは変に煽り過ぎるんです。考えてもみなさい。平成7年の年間の交通事故死は約1万人、一日当たり30人弱だよ。どっちが重大な問題か客観的に見れば分かるのに・・・。感染症対策は交通事故対策より具体的に立てやすい・・・」

 私はこれを聞いて、頬っぺたを張られたような気がしました。理系の人の考え方とはこういう醒めたものかと初めて思い知りました。ブログの記事を読んで、ほぼ20年ぶりに元研究所長の言葉が鮮やかに蘇ってきたのです。昔こんな話があったので、英国人の知的で醒めた考え方に痛く感じ入ったのだと思います。(どちらも客観的な指標として共に交通事故死者数を比較対照に挙げていたのは面白いですネ。)

 事実の記述が曖昧で幾様にも解釈できる場合、よく “文学的表現” という言葉で揶揄することがあります。科学技術の領域では自戒すべきこととしてよく知られている言葉です。私は文学部出です。この言葉を聞くと自分が貶されているように思え、かつてはとても不愉快でした。

 話しことばでは、「私は血圧が高くて・・・」などと使うことがよくあります。何気なく使われるのですが、よく考えてみると実際どの程度の血圧なのか聞き手には皆目見当つきません。ただ雰囲気で分かった振りをし、同情するだけだと思います。今の高血圧の定義は140 / 90 mmHg以上です。実際の血圧が140 / 90 mmHgちょうどでも、あるいは200 / 110 mmHgでも、いずれの場合も「血圧が高い」は間違いではありません。このように幾様にも解釈できる場合を “文学的表現” と言います。

 この場合、相手に正確な情報を伝えるためには、血圧の数値そのものを明かす必要がありますし、正常血圧を知らない人が相手の場合には正常値についても触れなければなりません。これらの情報に触れずに「私は血圧が高くて・・・」などと言ったら、故意に事実を伏せて誤魔化していると受け取られかねません。誤解を生まないためには、客観的な指標となる情報を添えて相手に伝えなければなりません。

 客観的であることが心掛けとして大切ということでは、相手に伝える場合に限らず、受け手が自分である場合にも当てはまります。むしろ受け手の方により重要な意味を持ちます。相手の言葉を自分なりに勝手に解釈したり、足りない部分を想像で補ったりして納得するのは危険です。“思い込み” はこういうところから生まれるのだと思います。客観的ということを常に忘れないように心掛けていさえいれば、こんなことも避けられるのですが・・・。

 かつては楽しみで飲んでいた酒ですが、いつしか依存症に陥るまでになったことの要因には自己中心的(自分本位)なものの見方・考え方があったと考えています。偏ったものの見方であり、ともすれば “思い込み” にまでなりがちな考え方のことです。“思い込み” は偏ったものの見方の延長線上にある考え方です。この対極にあるものが客観的なものの見方・考え方なのだろうと思います。上記のエピソードに触発されて、客観的なものの見方・考え方について、次のように整理してみました。

 ものの見方・考え方というのは、ものごとを評価したり判断したりすることそのものです。受け手にとって死活問題にもなり得るので特に重要です。評価や判断を、より客観的なものに近づけようとするなら、偏りを出来る限り小さくすればよいだけの話になります。

 ものごとの評価や判断は、脳の記憶情報同士を比較する機能が働いた結果です。偏りを小さくし、客観性を担保する基本は、比較に用いる情報範囲の拡大と質だと考えました。情報範囲の拡大とは、対象と同じ領域内ばかりでなく、対照とすべき情報範囲をその領域の枠を越えてどこまで拡げられるかのことです。範囲を拡げることによって活用できる情報の数量が格段に増加します。情報の質については、動かしようのない数字絡みの情報の方が質が上と考えてみました。

 上記二つのエピソードでは、対照とすべき情報範囲を無差別テロや感染性食中毒といった非日常的な領域に限定せず、いずれも交通事故という日常的な領域に拡げています。さらに、死者数という数字絡みの情報でもあるという点で共通しています。

 残る問題は比較可能とする情報範囲をどこまで許容するかです。恐らくそれを決めるのは個々人の資質次第なのかもしれませんし、それ以上にどれだけ場数を踏んだか、つまり経験の積重ね具合によるのだろうと思います。

 経験を生かすも殺すも個人の資質如何によりますから、賢さだの愚かさだのと個々人の資質問題へと再び堂々巡りになりかねません。これ以上踏み込むことは控えます。ただ、知識や情報源は多いに越したことはありませんが、知識や情報源が乏しいからといってめげることもないと思っています。見た目に少ない情報でも、活用次第で絶大な威力を発揮する事例は故事・ことわざにいくらでもあります。

 繰り返しになりますが、評価や判断を適切に下すには比較対照が不可欠です。対照とすべき情報が足りない場合は、関連する知識を自分で新たに習得するか、あるいは相手に間髪入れず問質すかです。とは言ってみても、知識の習得ひとつとっても、どう頑張っても限界があります。間髪入れず即座に相手に問質すなど、私には文字通り至難の業です。対照とすべきものの品揃えが要と理屈では分っていても、それらを完備するなど現実には不可能です。出来るものなら苦労しません。それが出来なかったから、今までも痛い思いや、苦い思い、悔しい思い・・・辛い経験を度々して来たのです。

 今からでも心掛けで出来ることと言えば、事あらば何はともあれ「ちょっと待てよ・・・」と間合いをはかり、記憶の間口を拡げるための時間稼ぎぐらいかなと思っています。心掛けですからこれなら出来そうです。

 痛い思い、苦い思い、悔しい思いなど恐れずに、これからも進んで事に当たり、経験を積むことも出来ると思います。痛い思いをしなければ身には付かない、こう腹をくくるしかないと醒めた頭は言っています。

 一つひとつ経験を積むことも、知識の習得ということでは他と何ら変わりありません。唱えるべきお呪いは・・・
 “一歩引いて 一息ついて 一歩引いて”


 今回は半年前のエピソードを題材にしました。私の脳は今リハビリ中で、記憶を自分なりに整理し、きちんとたたんで所定の引き出しに収納するまで半年ががりなのです。悪しからず。



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