ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

世話役の代替り?

2019-02-26 06:31:11 | 雑感
 AAのミーティングに集う人々は歳の行った半病人や病人が多いのですが、このところチェアパースン(世話役)をしている人に近々手術入院の予定が入ったというケースが後を絶ちません。単なる寄る年波というよりも、アルコール=老化促進薬ならではの置き土産・後遺症と思えてなりません。

 飲酒時代や断酒後のアル症者にさまざまな病気が顕在化するのはよくある話で、高血圧、糖尿病、肝硬変、咽頭がん、食道がん、大腿骨骨頭壊死等々、枚挙にいとまありません。高血圧などは断酒すれば軽快するのでまだマシですが、他は根が深いので油断できないのです。

 腎臓がんで化学療法を受けながらミーティングに通って来る人もいます。近々食道がんの手術を受けると言ったまま、以後ミーティングに現われなくなった人もいました。姿が見えなくなったと思ったら肝硬変で亡くなっていた人もいます。

 AAのミーティングでは世話役の人柄がよく反映されます。司会者を指名するのも世話役です。AAのセントラル・オフィスから資料の仕入れなどの雑務もあります。夜の運営ミーティングにも必ず出なければなりません。そんな世話役の入院は一大事なのです。

 幸い今回の入院は短期間で済みそうなので、一時的代役に私が指名されました。AA参加歴5年の私にも司会ぐらいならできそうなので引き受けたのですが、正式な世話役となるとさすがに腰が引けます。

 件の世話役は今年75歳になりますから代替りを考えるよい機会かもしれません。うまいこと後継者が見つからなければグループの消滅もあり得ます。さて、新元号とともに世話役の代替りにもなるのでしょうか? モヤモヤしている私です。



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定期通院の一つから放免されました

2019-02-22 06:58:45 | 雑感
 不安定狭心症が再発したため、尼崎の県立病院で2回目のPCI(経皮的冠動脈インターベンション)手術を受けたのは61歳のときです。心臓カテーテル(心カテ)としては3回目でした。これがいい機会と思い、会社を完全退職することに決めました。あれからもう丸7年になります。

 同じ県立病院で初めてPCI手術受けたのは52歳のときで、狭窄部位は右冠動脈でした。再発は左冠動脈の狭窄からで、いずれも狭窄部位にステントを留置してもらいました。

 初めての手術以来、経過観察として半年に1回の定期検診をずっと受けてきました。マスター2階段負荷という運動負荷心電図検査で再発の有無を確認するためです。2段の階段を40回も昇降しなければならないので、結構体力的にキツイ検査です。この定期検診もいつの間にか16年になりました。

 虚血性心疾患に分類されるこの病気では、ステント留置後も血栓ができにくくするバイアスピリンの服用が生涯欠かせません。初発の際は、糖尿病で掛かっていた西宮の県立病院から急遽紹介されたので、爾来、薬剤の処方箋は西宮の方で受けています。ですから尼崎の県立病院には定期的心電図検査のためだけで繋がっていたことになります。

 この間ずっと主治医を担当してくれた T 先生も近々定年退職を迎えることになったようです。前回受診の際は、退職後の開業先への転院を打診されましたが、丁重にお断りしました。

 先日受けたこの定期検診でのことです。

「どうですか? 何か変わったことなかったですか?」と T 先生。
「いつも通りで調子いいです」と私。
「そうですか。心電図でも変化ナシですし、私も近々退職ですから今日で卒業としましょうか!? 最後にちょっとだけ聴診してみましょう」と言って胸に聴診器を当てました。
「(心音に)すこし雑音がありますが問題ないでしょう。」心雑音の指摘は初めてでした。
「弁膜症とかの心配はないですか?」心臓弁に障害があれば雑音がすると聞いたことがあったのでそう質問してみました。
「いやなに、歳相応に動脈硬化が進んだだけでしょう。問題ないと思いますよ。」

 かくもサバサバした T 先生の受け応えに思わず拍子抜けしてしまいました。と言うのは、T 先生とは以前こんなことがあったからです。

 この病院ではPCI施術後6ヶ月~1年経ったら、再び心カテして再狭窄のないことを確認するのが方針のようです。そのため T 先生は、初回のときも2回目のときもPCI手術後にはしつこいぐらい心カテを勧めてきました。それも決まって2,3年の間続きました。

 その都度私は何とか言い訳して逃げてきました。最初は造影剤によるアレルギーが怖いだの、その次には年金暮らしでお金に余裕がないだのと、思い出しても苦しい言い訳でした。

 そんな T 先生がかくもあっけなく私を放免したのです。思えば開業先への転院を無碍に断ったせいかもしれません。このお陰で定期通院は今後、歯医者もふくめ3ヵ所だけになりました。

 ところで、PCI手術後の経過観察は一体どれぐらいの期間が普通なのでしょう? 古い文献ではせいぜい5年ほどで大丈夫らしいのですが、T 先生には質問しづらい雰囲気がありました。

 かくも取っつきにくい T 先生とはいとも簡単に縁が切れてしまいましたが、バイアスピリンの服用からは決して縁の切れない私です。



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人をヤキモキさせる “大丈夫!”

2019-02-19 06:12:07 | 世相
 近頃の私は、たとえ些細な事故でも、人が “大丈夫!” を繰り返すときは疑わしいと思うことにしています。

 それは、 “大丈夫!” を繰り返したある老人の事件以来のことです。その老人は、コンビニの店頭で突然失神・転倒してしまい額から出血していたのですが、救急車を要請中の電話口で “大丈夫!” を繰り返したため出動を断念された事件のことです。あれは明らかにTIA(一過性脳虚血発作)が疑われた事件でした。

 冬には珍しく、先日は朝から雨でした。いつもは歩き専門の私ですが、AAのミーティングの往復に珍しくバスを利用しました。

 私はいつも降車口近くの最前列の席に座り、真っ正面に繰り広げられる路線の風景を楽しむのが好きです。その日も最前列の席に座っていたのですが、往路にある私鉄駅のバス停でハプニングが起きました。

「キャッ!」という女性の悲鳴が後方の乗車口から聞こえて来ました。どうやら雨に濡れたノンステップの床に滑って転んだらしいのです。振り向いて後ろを見ると、おばあちゃんが一人ゴソゴソしていました。頑張って手助けしようとしても、どうにもならないようでした。見て見ぬ振りもできないので私も助けに駆けつけました。

 床にペタンと尻餅をついていたのは若い女性でした。一先ず片腕を引っ張って立たそうとしてみたのですが、どうにも脚に力が入らないようでした。已む無く彼女の背後から両腕を脇の下に入れ、何とか持ち上げて近くの席に座らせました。そのときやっと、運転士も様子を見に駆けつけて来ました。

「痛みは後から来ることが多いので、救急車を呼びましょうか?」私はそう聞いてみました。脚に力が入っていないことが気になって、最悪骨折も疑うべきではと思ったからです。

「“大丈夫” です! “大丈夫” です!」彼女はそう繰り返すだけでした。こんなときの大丈夫は曲者です。私の心の内は、彼女が降車するバス停までヤキモキしたままでした。

 バスから降りるとき、彼女はしっかりした足取りでした。そしてバスが再び発車したとき、何度もお辞儀を繰り返す彼女の姿が窓から見えました。どうやら不意に足を滑らしたことに動転して腰を抜かしただけだったようです。これでやっと私のヤキモキも止みました。

 不意に転倒したときなどは、恥ずかしさや余計な心配をかけさせたくない思いがあって、とかく “大丈夫!” と簡単に言いがちです。ところが傍の人には、一体何が大丈夫なのか全くわからないというのが普通です。せめて「腰が抜けて」とか具体的にハッキリ言って欲しい、そんなふう思うのは私だけでしょうか?



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イヤガラセもしばしお休み?

2019-02-15 06:42:52 | 世相
 日課にしているゴミ拾いのコースでちょっとした異変が起こっています。異変というとどちらかと言えば良からぬことを連想しがちですが、今回は喜ばしいことの方です。

 異変があった場所は国道43号線沿いの、歩道との間に設けられた分離帯です。車道側に遮音壁があり、歩道側の植栽部分は高さ2.5 m以上の金網フェンスで囲ってあります。市内でもこの地区に限っての処置で、延べ約300 mの長さに設置されています。

 このフェンスの囲いは曰く付きのようで、この分離帯に大量のアルミ缶やペットボトルを不法投棄する変質者の存在がその理由らしいのです。高いフェンスで囲ってあっても大きなダンボール箱までもが放り込まれるという有様です。
(このことは以前も記事で触れたことがあります。)

 なかでも中央部分の東西3つの区画が特にひどく、これらの区画のフェンス内はいつもおびただしい数のアルミ缶やペットボトルが散乱しています。フェンスには鍵が掛かっていますから、私には手の出しようがありません。

 この分離帯内の清掃は国交省が委嘱した業者がやっていて、頻度としては年に3~4回ぐらいでしょうか。せっかく綺麗にしてもらっても、それはほんの一時のことで、翌日には早くもアルミ缶かペットボトルが放り込まれる有様です。それぐらい悪質なイヤガラセです。

 もうかれこれ1ヵ月前になるある金曜日、久々に清掃作業員10名余が来ていました。たまたま現場の前を通りかかったので、現場監督の人に尋ねてみました。

「市内ではここが一番ひどいんですが、他にもこんな所ってありますか?」
「そりゃありますよ。フェンスのない東隣のN市とか、そのまた東隣のA市とかはもっとひどいもんですよ。」フェンスで囲っていない他市ならそんなものだろうと思いました。

 週明けの月曜日、3つの区画のうち東側の1区画で速くもペットボトル1本が放り込まれていました。それから1週間経って同じ東側の区画に空き缶1個とレジ袋が加わりましたが、さらに1週間経っても中央区画に空き缶2個が加わっただけです。西側の区画は、依然としてキレイなままです。

 こんなことは初めてです。どういう風の吹き回しか、例の変質者が遂に悔悛し始めたかと、淡い期待を抱かずにはいられません。

 ところで、この並びの区画にもう一カ所常習者が現われる場所があります。フェンスのすぐ側にところどころサザンカが植えてあり、その茂みの根元に缶コーヒーの空き缶を隠す輩がいるのです。同じメーカーの同じ銘柄で、まるで日課のように休日以外ほぼ毎日続いています。

 私がゴミ拾いを始めて以来、ここ3年以上見つけ次第処分していますから犯人が気づかないはずはないのですが、一向に止む気配がありません。見て見ぬ振りをすれば増えるばかり、ならばとこちらも続けるしかありません。

 まぁ、便所の個室でやるべき行為を歩道でやらかす輩よりはまだマシなのですが、心を病んでいる人には快感らしく、だからこそ止められないのでしょう。こちらも先方の魂胆が読めるだけに淡々と始末し続ける覚悟でいます。



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こういうのも “予期不安”?

2019-02-12 05:52:41 | 雑感
 速いもので、女優の市原悦子さんが亡くなってから今日で丁度1ヵ月になります。享年83歳、盲腸の悪化で入院中だったというのが訃報の第一報だったと思います。

 その後、心不全が死因だったとか自己免疫性脊髄炎を長年患っていたとか云々、ネット情報で知りました。まぁ、心不全というのは原因が特定できないときの医者が使う常套手段と聞いていますから額面通りには・・・。

 盲腸で入院と聞いたとき、虫垂炎をこじらせて腹膜炎にまで悪化していたのか、というのが私の第一印象でした。お腹の痛みは尋常ではなかったのだろうとも想像できました。実は、私も盲腸(虫垂)に爆弾を抱えているので他人事とは思えなかったのです。

 初めて大腸内視鏡検査を受けたとき、虫垂付近にもポリープがあると最初言われ、その後それがカタル性炎症だと診断されました。虫垂粘膜の表層に粘液分泌の亢進が見られ、粘膜上皮の剥離が起きているらしいのです。もうあれから4年になります。

 虫垂炎が悪化したら、先ず胃の辺り・お腹の中央部分が痛み始め次第に右下腹に痛みが移るのだそうです。そんな説明を受け、痛みが出たら直ぐ病院に来るようにと医者に脅されています。

 ひょっとしたら私の最期も虫垂炎の悪化かもしれないのです。彼女の訃報を聞くまでは痛くも痒くもなかったので放置していたのですが、訃報を聞いて急に右下腹部が気になりだしました。

 虫垂炎の手術は今でも開腹術が普通なのでしょうか? 開腹術は身体への侵襲が大きいので、68歳の身となれば出来れば避けたいのが本音です。それが、侵襲が小さい腹腔鏡下での手術なら受けてもいいかと、いじましくも心が揺れ始めた次第です。

 これは不安障害に特有の “予期不安” ではなく、取り越し苦労のつまらない不安なのですが、小心な自分に思わず苦笑いしてしまいました。

         *   *   *   *   *
 市原悦子さん、数々のユーモラスな名演技を見せていただき、ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください、合掌。


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感覚の回復が進めば “勘” が働く?

2019-02-08 06:25:13 | 自助会
 先日、AA のミーティングで断酒歴4年の、まだ若い R 氏がこんな話を語ってくれました。

「感覚の変化にビックリしています。酒を飲んでいた頃は朝メシなど摂ったことがなかったのに、今は毎日しっかり食べています。美味しいんですよ、これが!
 自分のところはアル中家族なんで、母親と諍いがしょっちゅうあるんですが、自分的には怒りを翌朝まで引き摺らなくなりました。イザコザがあったら、以前ならいつまでも怒りを引き摺っていました。それが今は “まっ、いいか!” でサラッと流せるようになっています。」

 普通の人には何の変哲もないごく当たり前の話としか聞こえなかったでしょう。が、私にはとても意味のある話でした。

 R 氏は、断酒を始めてから家族と離れ一人暮らしをしているそうです。一人暮らしの20代半ばの男性で、かつて酒飲みだったときたら朝メシ抜きが当たり前かもしれません。そんな彼だからこそ断酒後に味わった感覚の変化は驚きなのでしょう。感情のコントロールについても感覚の変化に伴うものと捉えていました。

 思えば私も、断酒を始めて最初に気づいたのは体調の回復でした。体調の回復は感覚ですから当然、感覚の方もそれなりに回復が進んでいたのでしょうが、そんなふうに意識したことはありませんでした。

 実際は、視力が改善したとか、嗅覚が戻ったとか、体調の回復という変化に並行して感覚にも色々変化がありました。

 感覚の劇的変化と言ったら断酒して10ヵ月目にあった “憑きモノ” が落ちた体験でした。この体験で脳からアルコールが抜け切ったと実感しましたし、その直後から道のポイ捨てゴミが目障りになってゴミ拾いを始めることにもなりました。それにもかかわらず迂闊にも、感覚の変化が認識の変化をも齎(もたら)すとは考えてもみませんでした。

 感覚の変化に意味がありそうだとはっきり意識に上ったのは断酒して4年経った頃でした。ひょんなことから “勘” がよく働くようになったのでは(?)と気づいたのです。これにはブログ記事の執筆で記憶機能を鼓舞していたこともプラスに働いていたと思います。

 当初、五感を統合した体感の変化かも(?)と考えていましたが、直感的に感じ取ったり、判断したりする心の働きということなので “勘” の方がより相応しいと考えました。
(なに、“勘” という言葉が思いつかなかっただけの話ですが。)

 ところで、AA の『アルコホーリク・アノニマス』第6章にこんな一節があります。

「心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る。・・・(中略)・・・かつては私たちを困らせた状況にも、直感的にどう対応したらいいのかがわかるようになる。」

 これは AA の説く、アルコール依存症(アル症)者の回復のイメージです。“心の落ち着き” も “(心の)平和” も言ってみれば感覚です。特に下線部分は、理屈で考えていては絶対にあり得ない話です。第六感とも言われる “勘” 以外に考えられません。

 どうやら、感覚と記憶機能の回復が進んでまともになれば “勘” が鋭くなるようなのです。“勘” は大自然からの賜物ですから、人為的な “認知のゆがみ” に左右されることはありません。物事が自然に、ありのままに見えるようになるのももっともなのです。

 これはほぼ1年前から私が考えてきた仮説です。R 氏の話を聞いて益々意を強くしました。この仮説を検証しながら生きて行くのだと思えば、好奇心も楽しみもいや増します。そうそう、私ばかりか R 氏の今後も楽しみでなりません。

         *   *   *   *   *
 ものはついで、アル症者の自己中傾向について一言。

 酒はコルチゾールなどのストレス・ホルモンの分泌を亢進させます。これらによって交感神経の緊張が続いたら、わけのわからない危機感から自分以外の周りが見えなくなるようです。

 視野狭窄という言葉がありますが、謂わば “思考狭窄” を起こして自己中になってしまうのがアル症なのでしょう。“認知のゆがみ” が顕在化するのもまた然り、だと思います。


こちらの記事もご参照ください。
回復も感覚が導く?』(2017.12.15投稿)



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寒いからって家に籠もっていちゃダメ!

2019-02-05 05:59:45 | 雑感
 今年も節分が過ぎてもう立春です。昨シーズンの冬の朝には、道の所々に薄氷が張っていて、カーブでスリップして転んでいた自転車を見かけたものですが、そんな光景を今シーズンは見ていません。それだけ当地は暖冬なのでしょう。

 そうは言っても寒いのは寒いわけで、ついつい家に籠もりがちの方が多いと思います。不思議なもので、身体を動かすことなく家でジッとしていたら、たとえ暖房をつけていても寒さがじわじわと利いてきます。これは熱を発する筋肉を使ってないせいです。

 相変わらず道のゴミ拾いを日課にしている私ですが、寒さ対策としているものと言えば、ネックウォーマー、外着としてダウンのベストに薄いウインドブレーカーを重ね、それにジャージのパンツを二枚重ねで穿いているだけです。特に首筋を冷気に晒さないことが決め手のようで、その点ネックウォーマーの効き目は絶大です。

 これだけの軽装でも、歩いて作業してさえいれば身体全体がポカポカしてきます。外から家に戻っても小1時間はポカポカが続きます。まさに筋肉様々なのです。

 そう言えばこの間、ゴミ拾いをしていて散歩中の元気なお婆ちゃんに出会えました。 
「こんな寒い中、そんなにゴミを拾ってくれて、・・・おいくつ?」とお婆ちゃん。
「もうすぐ68歳になります。」と私。
「えぇっ、そんなに若いの?!」白い髭を生やした風貌ですから、私がもっと歳を取っていると思っていたらしいのです。これにはちょっとガッカリでした。

「私は80過ぎよ。散々苦労してきたからこんな顔!」とマスクを外して顔を見せてくれました。皺はあるものの艶々した顔で、目もいきいきしていました。
「いゃー、70ぐらいの若い顔してますよ! それに、ご苦労されたからかなぁ、何が来てもへっちゃらって顔してますよ。」
「えぇー、そうかねぇ? まぁ、寒いから気を付けて!」
「おばチャンも家に籠もっていちゃダメだよ! こんなふうにお互い外に出て、ちゃんと身体を動かしてね。寒さに負けちゃダメだよ、おばチャン!」とエールを交換したのでした。



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介護の際の心構えを見た

2019-02-01 06:59:49 | 雑感
 先日、県立病院に定期通院したときの話の続きです。診察を終え待合に出たら、待合のソファーに高齢の男女二人連がいました。

 病人は女性の方で、ソファーに座っているのもシンドイらしく、すぐにでも横になりたいそぶりを見せていました。その物言いや動作の緩慢さからして、彼女は認知症をも患っているように見えました。

 その付き添いはこれも高齢の男性でした。
「・・・してみましょうか?」と男性の声が聞こえてきました。この言葉に病人の女性は素直に従っていました。私は、この丁寧語に強く興味を惹かれました。

 彼らは一見して、介護者と被介護者という赤の他人同士ではなく、夫婦らしい雰囲気がありました。夫婦の間なら、たとえタメ口で命じたり叱ったりしたとしても普通のことでしょうが、彼は何と丁寧語を使っていたのです。

 病んだ妻にきちんとした丁寧語で話す夫の姿に、認知症介護の原点を見たように思いました。

 この歳になると介護が他人事とは思えなくなっています。特に認知症が心配で、私の方が介護に回る場合も当然あり得ます。そんな場合に備えて心構えを学ぶべく、機会ある毎に介護記事を参考にしてきたつもりです。

 認知症介護において、最も肝に銘じておくべき心構えはユマニチュードでしょうか。

 曰く、身内と思わず赤の他人と見做して優しく接すること。
 曰く、間近に近づきまっすぐ目を見ながら話しかけること。

 認知症に限らず介護と言ったら、いの一番に上がるのは “シモの世話” です。介護記事にもやり方が載っていますが、そのコツは実地で会得するしかないでしょう。次に上がるのが心構えでしょうか。残念ながら、介護の心構えというものは言葉だけではわかりません。

 今回、病院の待合で見た出来事は、「赤の他人と見做して優しく接する」の具体例でした。人との距離の取り方は話し方が基本です。これは応用範囲が広いのです。偶然とは言いながら、ありがたい場面に出会えた自分は何て幸運だったのだろうと感謝しています。



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