ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

懐メロに想うこと

2018-11-02 06:29:03 | 自分史
 “懐メロ” と言えば、私の若い頃ならジイさんバアさんの青春時代の歌、つまり戦争直後に流行った歌謡曲というのが定番でした。今ならさしずめフォークソングでしょうか。

 先週のある朝のこと、目が覚めたらラジオから、「君とよくこの店に来たものさ~♪」(『学生街の喫茶店』ガロ 1972)が流れていました。後ろめたくも、苦くて哀しい想いで胸が一杯になりました。

 この歌は、私が大学2年の頃に流行った歌です。歌詞にもあるように当時、喫茶店はデートの待合わせに恰好の場所でした。が、そんな喫茶店に私はめったに行きませんでした。正直言って、彼女と別れて間もなくて、度重なる引っ越しでそんなお金もなかったからです。

 別れた彼女は、私が寄宿していた予備校寮の厨房で働いていた子でした。一浪しても受験に全敗し、やむなく二浪することになった私は、同じ寮で新一浪生と一緒に暮らすのが嫌でその寮を出ることにしました。

 彼女との付き合いはその頃に始まりました。そして、間借りのような6畳一間のアパートに移って間もなく、彼女とは半同棲のようなズブズブの関係となりました。

 当時、人生最悪の危機にあると思い込んでいた私は逃げ場を求めていました。たとえ落伍者に落ちぶれた身だとしても、せめて恋愛ぐらいはよく街で見かける人並みにやってみたいとも考えていました。それでも、このまま享楽に逃げていては完全に身を持ち崩してダメになる、と薄々感じてもいたのです。そんなふうに東京は当時も、若者の心を惑わす刺激的な街でした。

 受験勉強に身が入らなくなった私を見て親友の1人が心配し、受験直前の3ヵ月間、私の部屋で合宿してくれました。この合宿のお陰で必然的に彼女とは疎遠になり、入試の方もどうにか合格できました。(彼がいなかったら今の私はなかったでしょう。)

 翌春、やっと志望大学に入学できた私は舞い上がっていました。それまでの辛かった1年間を付き合ってくれた彼女なのに、何かと足手まといとなったと別れ話を持ち出しました。当然、刃傷沙汰寸前のとんでもない修羅場となりました。それで、どうにもならなくなって彼女の両親に泣きつき、上辺だけの詫びを入れてどうにかこうにか関係解消となったのです。

 これが “懐メロ” で呼び覚まされた私の心の闇のひとつです。かくも身勝手で、ひとりよがりな男の、彼女を捨ててまで上を目指した人生が、アル中という結末となったのも自業自得なのです。薄情な天邪鬼がどんな顛末をたどるのか、改めて嚙み締めた歌でした。
         *   *   *   *   *
 恋心は身勝手な性欲が創り出す幻想・妄想です。

 たとえ身を焦がすほど恋い焦がれた異性でも、いざ我が物にしてみたら次第に露わになる実像に幻想が醒め始め、そのうち実像が面倒になって逃げ出す。もし逃げずに続いたとしたら、それは妄想の欠片と忍耐の為せる技、形式を重んじるプライドが辛うじて足止めさせているだけなのです。

 これが醒めきっている今の私の偽らざる実感です。

  (またまた余計なことを書いてしまいました。)



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