ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その22)あなた、アルコール依存症です

2015-03-20 21:27:33 | 自分史
 家族と別居することになって以来、私の心にポッカリと大きな空洞が空いていました。別居直後から、休日の朝には徒歩15分ぐらいにある近くの戎神社にお参りを続けていました。別居状態を出来るだけ速く解消したいという神頼みが本音でしたが、散歩に出かけることで朝から飲酒の引き籠り状態を避け、身を持ち崩すことがないようにすることも目的でした。参拝の都度、御神籤を引いて一喜一憂していました。

 阪神大震災前だったでしょうか、およそ100回分の御神籤が貯まった段階で吉凶別の枚数を試しに数えてみました。すると、大吉から凶までどれもほぼ同数で、確率どおりに引いていたことが分かりました。やっぱり科学的法則が働いていると納得し、見事に興醒めしてしまいました。その後も朝の参拝は続けました。もちろん御神籤はナシです。

 衝撃的な手紙を入手し、その後に離婚騒動が一応の決着をみても、私の心にはポッカリと大きな空洞が空いたままでした。会社勤務している週日の酒量に変わりはなかったのですが、休日前夜と休日当日の酒量が増えました。そこで休日の酒量を控えめにしようと次に始めたのが表装です。

 表装は書や墨絵を掛け軸や衝立・襖にする伝統的工芸技術です。買い物先のコープ神戸の建物内で、日曜日に表装の講習が行われていることを広告で知り、2週に一回の講習を受講することにしました。大学病院でデータの捏造・改竄が発覚した旧GCP違反事件の報道から間もない年明けのことでした。

 表装の受講には書や墨絵の作品が必要です。手元に二男が小学5年生のときに書いた『希望の春』という習字の作品がありました。厚めの台紙にセロテープで留めただけのミニ掛け軸風になっており、気に入っていたので別居する際に貰い受けてきたものです。たばこのヤニで黄ばんで哀れな姿になっていました。この二男の作品をキレイにしようというのがもう一つの表装受講の動機でした。

 講習を受け始めて3ヵ月ほどで二男の作品は紙生地の仮表装という掛け軸に仕上がりました。たばこのヤニで黄ばんだままでしたが、私にとって装い新たな『希望の春』でした。私には書や墨絵の才がないのですが、会社の書道の達人に作品を書いてもらい、その後の1年半ほどで絹地の本表装を4本ほど仕上げることができました。

 当局から治験データの信頼性を自主的に担保せよという指示が出た45歳の年の暮れ、人間ドックで脂肪肝を指摘されました。手帳を引っくり返してみてそのメモが見つかったのです。父方の叔父が若くして亡くなった原因がアルコール性肝硬変と聞いていましたし、脂肪肝が肝硬変に進行する初期段階であることも知っていました。6~7年にわたる習慣的飲酒がタタっていよいよ脂肪肝になったのか、と観念せざるを得ませんでした。

 当時、自覚症状としてあったのは、深酒した翌朝に肩甲骨の下付近の背中が重苦しく感じ、起き上がるのが酷く辛いということだったでしょうか。目が覚めたときの背中に根が張ったような重苦しさは、飲み過ぎのときに決まってあったことで、それでちょくちょくズル休みしたこともありました。血圧もじわじわ上がっていましたが、160/95mmHg以上という高血圧の当時の診断基準までは達していませんでした。

 自覚症状としてはもう一つ、振戦がありました。これも手帳でメモが見つかったのです。普段文字を書くのに違和感がなかったにもかかわらず、その年には時節柄年賀状の宛名書きや添え書きの際、たまたま手指の振戦に気がついたのです。筆圧に小刻みな強弱が生じ文字がヨレヨレして上手く書けなくなっていたのです。

 これがアルコール性離脱症状として手指の振戦を自覚した初めての時でした。普通でも酒の飲み過ぎで手が震えるという話を聞いていたので、私はことの重大性に気づかないふりを決め込みました。否認です。

 手帳のメモによると、脂肪肝の疑いで精密検査を指示されたことから、年が明けてから近くの県立病院を受診しました。そのときのことです。

 「あなた、アルコール依存症のようですね」主治医が私の手の振戦を診てそう告げたのです。
 「本来、この病気でここでの入院加療は許されていませんが、私の裁量で1ヵ月ぐらいなら入院できますから、入院したらどうですか?」と聞いてきました。

 診察は午前中で、手が震えている自覚がなかったのですが、プロの医者にははっきりと見えたのでしょう。主治医は肝臓が専門の副院長でした。

 私自身アルコール依存症という言葉は知っていました。しかし、廃人状態になったら精神科で3ヵ月程度の入院加療が必要であること、振戦や幻視などの禁断(離脱)症状が発現すること、この程度の知識しかありませんでした。

 アルコール依存症の特徴というのは・・・


 ● 時間や場所を弁えない “異常飲酒”
 ● “最初の一杯” で抑えが効かなくなり、必ず “次の一杯” にいって
   しまう “飲酒コントロール喪失”

 ● 断酒するしかなく、再飲酒したら元より酷い状態になる “進行性の病気”
 ● 回復することはあっても治癒することのない “不治の病”


 「ブレーキが壊れた自動車を長年車庫に入れておいたとしても、そのままで再び走らせたらブレーキは壊れたままだった。」この譬えが象徴的ですが、アルコール依存症はたとえ酒を断った状態を続けていても、飲酒コントロールを喪失したままの病気です。

 再飲酒は命取りとなりかねないのです。アルコール依存症のこの最も重要な特徴は知りませんでした。廃人とはどういう状態のことか、離脱症状とはどのような症状がどういう時に発現するのか、これらについての知識も曖昧でした。普通の病気と同じように、脂肪肝が治れば少しぐらいならまた飲めるようになるだろう、と正直軽く考えていました。

 あの時にアルコール依存症についてもっと教えてもらっていたら・・・。その当時の離脱症状はそう酷くなかったので、あるいは進行を止められたかもしれません。ただし当局との神経戦真っ只中の当時、アルコールなしで仕事の重圧に耐えられたか、というと自信がありませんが・・・。

 主治医に1ヵ月の入院と告げられたとき、真っ先に浮かんだのは “ボーナスが危うい” でした。手取り額でみると、ボーナス分は年収の半分を占めるというのが会社の給与体系だったのです。1ヵ月の入院はボーナスがゼロを意味します。ボーナス・ゼロは何としても避けなければならない、これが咄嗟に下した結論でした。

 「仕事の関係で入院は無理なので、禁酒をしてみます。」
 「脂肪肝の方はお酒を控えて運動するようにすれば大丈夫だから、お酒は絶対に控えるように・・・」

 主治医はこう言って引き取ってくれました。ボーナスが懸った医者との約束ですからすぐに禁酒を実行に移すことにしました。


アルコール依存症へ辿った道筋(その23)につづく



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1 コメント

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読者の皆様へ (ヒゲジイ)
2015-03-21 07:21:41
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ来るべきものが来てしまいました。アルール依存症という診断です。病気の正確な知識がないと回復が難しいものだと悟らされました。それでも当時は生活するのに必死で、入院加療など眼中になかったのです。
ありがとうございました。
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