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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 21

2013年11月21日 | 日記

 

   福音の力を体験せよ  21

私はこの事を、理解していませんでした。

“キリストの義は、告白されてもいなければ捨てられてもいない罪をおおう外衣ではない。それは品性を一変し、行為を規制する生活原則である。聖潔とは、神のために完全になることである。それは内住する天の原則に対して心と生活をまったく服従させることである。”(DA555)

 

これこそが、婚宴の礼服です。イエス様が弟子たちと共におられたとき、ご自分がどのように聖霊とつながっているかを示すことに心を砕かれました。ところが彼らは、五旬節の日を迎えるまでは、真に理解することができませんでした。そのときになって、彼らは心の扉を完全に開き、聖霊を受け取りました。

それはすなわち、ペンテコステの聖霊降下、先の雨でした。だれであれ心の扉を開き、イエス様を受け入れるなら、その人はこのような聖霊の雨を受けるのです。

では、どれほどの教会員が、後の雨を理解し、また切に求めながら生きているでしょうか?ところで皆さんは、真の先の雨を受けているでしょうか?聖霊が私たちの心の中に内住できるように、罪から清められているでしょうか?もし私たちが、先の雨を体験していないならば、つまり、新しく生まれる経験をしていないで、後の雨を求めるならば、私たちは違った霊を受けることになるでしょう。この点で、私がそうであったように、多くの人が欺かれているのです。

   新生への道 11 祈りの特権 ⑨

神のあわれみと祝福を求めるときは、私たちの心のうちに愛とゆるしの精神を持っていなければなりません。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」(マタイ6:12)と祈りながら、他人をゆるせない気持ちを持っておれるでしょうか。もし、自分の祈りが聞かれることを期待するなら、自分がゆるされたいと望むような態度と程度で、同じように人をゆるさなければなりません。

 忍耐して祈ることは、祈りが聞かれるためのもう一つの条件です。信仰と霊的経験に成長したいと望むなら、私たちは絶えず祈らなければなりません。私たちは「常に祈り」(ローマ2:12)、「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続け」(コロサイ4:2)なければなりません。ペテロは信者に「心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい」(Ⅰペテロ4:7)と勧めています。パウロは、「ただ事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」(ピリピ4:6)と教えています。またユダは「しかし愛する者たちよ、あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛の中に自らを保ち」(ユダ20、21)なさいと言っています。絶えず祈るとは、魂がいつも神と結びつき一致していることであって、神の生命力が私たちの命の中に流れ込み、私たちの生活から純潔と聖潔とが神に帰っていくことです。


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