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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 190

2014年05月13日 | 日記

  

  福音の力を体験せよ 190

“かれ〔キリスト〕は、人性のあらゆる強烈な情欲の攻撃を受けられたが、一度でも誘惑に屈して、不純で堕落させるような行為に走ったことはなかった。”(HP155)

私たちと同じように、イエス様は誘惑を感知する感覚をお持ちでした。多くの罪悪は、私たちが感知可能なものを通して入って来るのではないでしょうか?

そういったものが、聖書では情欲と呼ばれています。それは感情の力を指しています。憎悪、憤り、嫉妬、闘争、憎しみ、これらのものをすべて含んでいます。イエス様も、これらの感情に屈服することが可能でした。が、屈したことは一度もありませんでした。私たちも、そうすることが可能なのです。

   霊とまことの礼拝 13  

もう一か所聖書を見てみたいと思います。使徒行伝19章の1節から7節です。

「アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、彼らに『あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか』と尋ねたところ、『いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません』と答えた。『では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。そこで、パウロが言った、『ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである』。人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。その人たちはみんなで十二人ほどであった」。

 初代教会の時代に、パウロがエペソという町に来た時、その町にもクリスチャンの人たちがいました。でもパウロがその人たちと会話をしていると、彼らの信仰には、何か足りないものを感じたようです。何か物足りない、彼らが語っていることを聞いている時に、何か物足りないものを感じました。それでパウロは「あなた方が信仰に入ったときに聖霊を受けたのか」、と聞きました。すると案の定、「いいえ、聖霊なるものがあることを聞いたこともありません」と答えたわけです。


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