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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 191

2014年05月14日 | 日記

  

  福音の力を体験せよ 191

“このようにキリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。”(Ⅰペテロ4:1、2)

“短気に怒りの言葉を語るように試みられた時にも、キリストは唇で、一度も罪を犯されなかった。彼は大工の仕事場で、仲間の労働者たちの冷笑、嘲り、軽蔑に、忍耐強く静かに対応なさった。彼は怒って答える代わりに、美しいダビデの詩篇の一つを歌い始められた。すると、彼の仲間たちは、知らず知らずのうちに、彼と一緒になって歌っているのであった。”(7BC976)                                                                                                                                                                 

  霊とまことの礼拝  14

そこで、「では誰の名によってバプテスマを受けたのか」、と彼が聞くと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えました。その時パウロは、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。と言いました。ヨハネの名によるバプテスマというのは、いわば罪の赦しのバプテスマであって、その後にきた、イエス様の名によるバプテスマが必要であると言うのです。それは、聖霊のバプテスマであり、それは力のバプテスマ、それは罪に勝利するバプテスマ、私たちを全く新しいものにする、そういうバプテスマです。

かつてイエス様が地上に来られた時に、イエス様はニコデモに対して、「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない」、と言われました。実は現在も、水のバプテスマをクリスチャンは受けているけれども、本当の意味でこの聖霊のバプテスマ、水と霊によるバプテスマを受けていないのではないか、そのために教会がこんなにも混乱している、肉が充満しているのではないかと思われるのです。

ある人たちは、聖霊のバプテスマを、すぐ異言とか奇跡と結びつけて考えます。けれども、それだけではなくて、この聖霊のバプテスマというのは、聖霊は火とも言われているように、私たちの罪を焼き尽くして下さり、罪を憎み、罪を犯したくないという心にして下さる、そういうバプテスマ、それが私たちに欠けていたのではないかということです。

 


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