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 救いは取り消されることがあるのか 第31回

2014年11月19日 | 日記

     

 救いは取り消されることがあるのか 第31回

枝の安全は、全的に幹とつながっていることであることに注意してください。永遠の命に対する安全と保証は条件付きです。ペテロもこのようなパウロの考えに同意しています。「これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である。兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものとしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」(Ⅱペテロ1:9、10)。これは確実に、クリスチャンたちが恵みから離れていくことがあるという事実を指摘しています。

人が救われたと公然と話した後にも、キリストから離れるなら、滅ぼされることがあるという事実を教える聖書の最も重要な聖句は、ペテロの第二の手紙2章20~22節です。「彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。ことわざに、『犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く』とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである」。この言葉が与えている教訓は余りにも明白です。

      これが真の福音です 第3回

   反キリストのたくらみ

聖書を見ますと、反キリストが誰なのかについて、教えています。まず、『ヨハネの第一の手紙』を読んでみたいと思います。

「あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体を取ってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている」(4:2、3)。次に『ヨハネの第二の手紙』1章7節を読みます。

「なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。」

ここで、反キリストが誰だと言われていますか。「イエス・キリストが肉体を取ってこられたことを告白しない」者だと言っています。皆さん、反キリストは、イエス・キリストが肉体を取ってこられたことを否認するのです。反キリストは、イエス様が神様の子であることを否認するのではありません。神様の子であると、それは認めます。反キリストが否認しているものは何ですか。イエス・キリストが実際に受肉して肉体を持ってこられたことを告白するか、しないかという問題です。反キリストが否定するのは、イエス様が神様の子であるかどうかの問題ではなくて、人間の肉体的特徴を持ってこられたかどうかの問題です。


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