罪から逃れる道 第11回
≪神様の御心に生きる≫
では、イエス様、神様の御心は何でしょうか、御旨とは何でしょうか、その答えがここに書かれています。「何が善であり神に喜ばれ、かつ全きことであるかをわきまえ知ること」なんです。そして神様の御旨が何であるかわきまえ知るのは、心が新しくされることによって理解できるようになるんです。私たちの心が新しくされ、イエス様の心を持つ必要があります。それが罪に対する心の武装となります。私たちがイエス様の心をもち、心の武装するとき、罪の誘惑が起きてきても、それを追い払うことが出来るんです。心を武装していれば、心を武装しているから私たちは、罪との戦いに勝利できるのです。その戦いが、肉における苦しみなのです。
ある時は、私たちの失敗によって苦しみを受けることがあります。これは聖書のいう、肉における苦しみではありません。自分の失敗や自分の問題によって苦難を受けたことを、肉の苦しみと錯覚している人があります。
そのことをペテロは、クリスチャンとしての苦しみと、自分の罪による苦しみとに分けて、次のように述べています。第1ペテロ4章15節から19節です。
「あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい」と書いてありますね。他人のことに口を出して、他人に干渉することで苦しみにあう人がいると述べられていますね。私たちの中にこのような人がいますか?「しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば」、神様に従うことで苦しみを受けるときには、恥ずかしく思う必要はない、かえってそのことによって神様のみ名があがめられたことを喜びなさいと言います。やがて神様が正しい裁きを行って下さるのです。いや、神様の裁きのときが、神様の家から始められるのだと言います。17節から読みます。
「さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい」(4:17~19)。
ここに、神様の御旨に従って苦しみ受ける人とあります。これはどういうことでしょうか、これが肉における苦しみなんです。そのような苦しみの中で、罪が終わるのです。そのような人は善を行い、そして真実であられる創造者に自分の魂をゆだねます。