SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 20

2013年06月10日 | 日記

      

      福音の道しるべ 20           ユリ

 当時、布を紫に染めるためには、地中海でとられたカキを乾燥させたものを用いた。衣服を染めるために、数えきれないほどのカキが使われたので、染料は非常に高価であった。紫の衣服は、もっぱら王族、特権階級の人たちに限られていた。こういう訳で、紫は王家、王族を表す色となった。青と赤を混ぜ合わせて紫ができるように、服従の生涯がイエス・キリストの犠牲の血と混ぜ合わされて、私たちは天の王子、王女となるのである。

 また、幕を織るときの基本素材は、繊細により合わせられた亜麻の白糸を他の色の糸に織り合わせたものである。亜麻の白糸は、複雑な事情を抱えながらも純粋さを保たれた、イエス・キリストの義の生涯を表している。

 罪人と彼が連れてきた子羊を迎えるのは、いけにえ担当の祭司であるが、彼はまず罪人を促して、子羊に傷などの汚点がないかを調べさせる。これは、今日の牧師たちがしなければならない働きである。彼らは、悔い改めが真心からのものであるかどうかを調査しなければならない。子羊に汚点がないことを祭司が確かめた後、彼は罪人に、子羊の頭に手を置いてすべての罪を告白するように促す。この儀式を通して、祭司は罪人に、神が罪を赦して下さることを教えるだけでなく、罪を赦すためには、罪のない救い主が彼の代わりに罪を負って死ななければならないことも教える。神は罪をお赦しになるが、この赦しは代償を伴うものであり、それがカルバリーであった。罪のないお方が罪の価を支払われたために、赦しが可能なのである。「神はわたしたちの罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである」(Ⅱコリント5:21)。十字架は神の律法を廃止〔無効に〕しない。もしそうであったなら、神は単に、罪を見逃すことがおできになったはずである。律法は決して廃止されないことの最も強力な証拠は、律法の要求を満たすために、神がご自分の子を死に渡されたことである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。