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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 84

2013年08月14日 | 日記

 

  84

至聖所は、裁きを表している。エデンに復帰させられる前に、人類は審査されねばならない。天の住民は、罪と反逆にうんざりしている。罪のために、全天使の三分の一が失われ、以来、六千年ものつらい闘いが続いたのであった。これらの純潔な住民らが、裁きの座についている。私たちは、綿密な調査を免れて、天国に行くことができるだろうか。絶対に無理である。それは決して許されない。私たちの生涯の記録が、詳細にわたり検討されるであろう。私たちは、罪のない環境に生きるにふさわしい者か、救っても安全かどうかを調べられるのである。

もしそうでなければ、イエスはなぜ、再臨を遅らせておられるのだろう?もしも、十字架による罪の赦しだけで救いが得られるとしたら、神はなぜ、罪の存続を許しておられるのだろう?罪人が、罪の生活から離れるほどに悔い改めているか否かを、神は調査しなければならない。決意だけでは不十分である。信仰によって、罪人は罪への勝利を経験しなければならない。なぜなら、与えられたすべての光に全く服従することによって、信仰は立証されるからである。

   新生の道:神の愛 ②

 神のみ言葉は、神のご性質をあらわしています。神は自ら、ご自身の限りない愛とあわれみについてお語りになりました。モーセが「どうぞ、あなたの栄光をお示し下さい」と言った時に、神はそれに答えて、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ」(出エジプト33:18,19)ると言われました。これが神の栄光の表現です。神はモーセの前を通られる時、「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者」(出エジプト記34:6、7)、「怒ることおそく、いつくしみゆたかで」(ヨナ書4:2)「いつくしみを喜ばれる」(ミカ書7:18)ものであると言われました。

 神は天にも地にも、数えきれないほどの愛のしるしをまき散らして、私たちの心をご自分に結びつけようとしておられます。自然界のいろいろなもの、また人の心が感じることのできる深い優しい地上の絆によって、神は私たちに神ご自身を示そうとなさいました。しかし、これらは神の愛のただ一部を示しているにすぎません。




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