SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 85

2013年08月15日 | 日記

 

  85

中間判決とは、調査審判の性質を明らかにする司法用語である。例えば、ある女性が離婚を申請したとする。すると、裁判官は彼女の要請を承諾するが、最終決定は二年間先送りされる。この二年という期間中なら、彼女は考えを改め、前夫のもとに帰ることができる。彼女が前夫とよりを戻した場合は、この条件付きの離婚は無効となり、結婚関係は回復される。同じように、私たちの赦しと救いは、精神と品性が調査され、神の律法と完全に調和していることが判明するまでは条件付きなのである。

全知の神は、各件の結果を予見なさる。従って、神にとって調査は必要ない。各自の件は、全天使と他世界の全住民が目の当たりにできるよう、白日の下にさらされるのである。神の正当かつ公正な裁きが、全宇宙の前で擁護される。すべての人の行いと動機と考えが開示されると、神は一人ひとりに、判決を下される。御座の周りにいる者たちは、次のような叫びをあげる。「ハレルヤ、救いと栄光と力とは、われらの神のものであり、そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を彼女になさったからである」(黙示録19:1-2)。

私たちは信仰を通して救われ、行いによって裁かれる。が、神は、憐れみの神であられることを覚えよう。神は、滅びるべき者たちを探し出すためではなく、救いを受け入れる者たちを探し出すために、調査をなさるのである。預言者イザヤは次のように述べた。「シオンは裁きをもってあがなわれ、彼女の改宗者らは義をもってあがなわれる」(イザヤ1:27―欽定訳)。神の正義の裁きを通して、私たちは救われるのである。


  新生への道 : 神の愛 

このような証拠が与えられているにもかかわらず、善の敵である悪魔は人の心をくらまし、神を恐ろしいもののように見せかけ、残酷で人を決してゆるさない者、厳しい裁判官か強欲な金貸しのように、厳として動かない者のように思わせています。また創造主を、常に人類のあやまちを拾い上げて厳罰を与えている者であるかのように思わせています。イエスが人類の間にお住みになったのは、この暗いかげを取り除いて神の限りない愛を示すためでした。

 神のみ子が天からおいでになったのは、天の父をあらわすためでした。「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである」。(ヨハネ1:18)「父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません」(マタイ11:27)。弟子の一人が、「わたしたちに父を示してください」とイエスに願った時、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか」(ヨハネ14:8,9)と言われました。

 イエスはこの地上でのご自分のみわざについて次のように説明されました。すなわち、「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げしらせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(ルカ4:18)。これがイエスの使命でした。彼は広くめぐり歩いて良いことをして、悪魔に苦しめられている者をいやされました。こうしてあらゆる病気をいやしながら、村々をお通りになったので、村中誰一人、病で苦しむ者がいなくなったほどでした。こうしたお働きはイエスが神からつかわされたことのしるしでした。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。