SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 37

2013年06月27日 | 日記

    

  37

罪祭は、罪の赦しが得られる唯一の供え物であった。聖所の儀式において、この供え物だけが、聖所の中にそのいけにえの血が持ち込まれた。祭司はその血を幕の前に七回ふりかけ、とりなしの祈りをささげ、そして赦しが与えられた。愆祭〔けんさい―愆はあやまつ、あやまちの意〕も、聖所における祭司の司式を伴うもので、罪祭の一形式とみなされたが、その人が他者に与えた傷害または損害の償いも要求された。それには、意図的に犯した罪の赦しも含まれていた。但し、燔祭と酬恩祭は、赦しをもたらさなかった。これら二つは、罪祭の後にささげられた、献身と感謝の供え物であった。このようなわけで、罪祭こそが、あらゆる供え物の中で最も重要なものであると筆者は考える。

 罪祭について説明する前に、信仰と悔い改めについて、しばし考えてみよう。信仰と悔い改めは賜物〔贈り物〕であると言われている。これは、どういう意味であろうか? 子供が母親を信頼することを覚えるのは、そうするように言われるからではなく、経験の積み重ねの結果である。子供は、いかなる境遇にあっても、母親からあたたかな愛と保護を受ける。自分が本当に愛されていることを経験によって知った子供は、母親に頼ることを自然に覚えるのである。仮にだれかから、母親に信頼してはいけないと言われても、生まれてこのかた培われた信頼を揺るがすことはできない。母親に対する子供の信仰は、愛の経験から生じたものである。ゆえに、信仰は賜物なのである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。