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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 6

2013年04月23日 | 日記

 

 

「もう罪を犯してはいけない」 8 新しく生まれなければ

Chapter 2 目覚める人々

   ① なぜ善を行えないのか?

「私は本当に神様のみ言葉通りに生きたいのです。しかし弱くて、たびたび世の誘惑に陥ってしまって、罪を犯してしまします。いくら決心しても、この罪から逃れることができません。私の信仰のどこが問題なのでしょうか?」

「私は、クリスチャン家庭の信仰的な雰囲気の中で生きていながら、本当に善良な生き方ができていません。そのため信仰生活が苦しいです」

「私は罪責感で胸が押しつぶされそうでした。そのような時、神様の赦しの福音は、私を3年ほど幸せにしました。これで私は、自分の問題がすべて解決されたと思いましたが、ねたみや情欲や憎しみ、怒りなどが相変わらず起きてきて、罪の問題がすべて解決されたのではないということが分かりました。私はこんな二重人格の自分が大嫌いです」

 すべての人は、エゴイストとしての性質をもって生まれてくる。私たちは、受け継いだこの罪の性質では、神様のみ言葉に服従する生活を送ることができない。生まれつきの肉に属している人は、霊のことを実行することができないのである。新たに生まれ変わる経験がなくては、善を行おうとする意志はあっても、善を行うことはできない。

 

    現代のイスラエル6 ステパノの殉教

使徒行伝7章をお開きください。1節から7節まで見てみたいと思います。紀元34年にサンヒドリンの場でステパノがどのようなメッセージを語っていたか、ほとんどの人は理解していないと思うのです。私もそうでした。一見わかりにくい、いったい何を言いたいのか、はっきりしていないような感じのメッセージなんですね。彼はまず、イスラエルの歴史について述べています。なぜアブラハムの時代から、彼の時代までのイスラエルの歴史について、ステパノがここでこのようなことを語ったのか私にもわかりませんでした。そういった歴史というものは当時、ユダヤの人たちによく知られていたものだったのですね。ところがステパノはイスラエルの歴史の中で、ある重要な局面について指摘していたのです。ですからステパノが、ある特殊な言い方、やり方でイスラエルの歴史を述べたことによって、ユダヤ人達は怒り狂って、ステパノを外に連れ出して石で打ち殺してしまいました。何を言ったので、ユダヤの指導者たちはこれほどまでに怒り狂ったのでしょうか。そのことを見ていきたいと思います。

初めに使徒行伝7章の1節から7節までを見てみましょう。お読みします。「大祭司は『そのとおりか』と尋ねた。そこで、ステパノが言った、『兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カラン住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。そこでアブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたの住んでいるこの地に移住させたが、そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。それから、さらに仰せになった。『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』  

今この1節から7節まで読みましたけれど、そこに何を見ることができるでしょうか。ステパノは彼のあかしの中で何を言わんとしていたのでしょうか。ただ、表面的に読み進んで行ったら、大事な点を簡単に見逃がしてしまうのです。ステパノはこれらの聖句の中で、二つの重要なことを述べています。

 


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