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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 7

2013年04月24日 | 日記

 

 朝の散歩コース、紅カナメの植え込み。この奥は夷隅川  

  「もう罪を犯してはいけない」 9

 2 新たに生まれるとは?

 

十字架の愛を悟った人の心には、自分のために生きないで、神さまと隣人のために生きようとする願いが満ちるようになる。悪を行うことが好きだった人が、善を行うことを切に願うようになる。自分のすべてが、イエス様の御心と思いと計画とに一致することを切に望むようになる。これが新しく生まれるということだ。

このような変化が、心の中から湧き上がってくる時、人はようやく神様のみ言葉に服従する人生を送ることができるようになる。自己がなくなって初めて、まことの神様の姿がその人に反映されるようになる。本物のクリスチャン人生は、人間的な努力や決心によってではなく、新しく生まれ変わることによって可能となるのである。

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」。(ガラテヤ人への手紙2章20節)

   「現代のイスラエル」 7  民を罪から救われることがイスラエルを選ばれた目的だったのです

アブラハムとモーセの経験と歴史を通して、神様がご自分の教会をお建てになった目的について述べているのです。神様はエジプトの奴隷状態にあった中から、ご自分の民を救い出してカナンの地に置かれました。そしてステパノは、二つのことを指摘しました。この地上の一時的な繁栄国家を与えるというのが、神様の目的ではなかったということ、これが第一の点であります。もちろん民として、何らかの土地を得て、そこを耕して食物を得たり、国を興して、自分たちを守ったりすることは必要なことでした。しかし、神様が彼らをカナンの土地に置かれた理由はそれではなかったのです。

目的はそれではありませんでした。それは、神様のご計画、神様の目的を遂行するための最低限の必要でしかなかったわけです。ですから、神様のご計画の最も重要な目的、重要な点は地上的な一時的な祝福ではないのです。アブラハムにも、神様は安住の土地を与えられませんでした。最初は土地も遺産もありませんでした。神様がアブラハムに約束されたのは、土地ではなく子孫だったのですね。そして、その約束の末がメシヤでありました。そのメシヤおいでになってご自分の民を罪から贖うこと、それが目的でありました。そのメシヤの贖いの祝福に、世界中の人をあずからせる。これが神様の目的だったのです。

 


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