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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 90

2014年01月30日 | 日記

  

   福音の力を体験せよ 90

インドから帰国して、実家の両親を訪ねたことがありました。私の兄弟たちも、そこに集まってくれました。久しぶりに家族が勢ぞろいしたところで、いつしか兄弟たちと信仰による義についての研究会が始まりました。

父はそのとき、自分は何かが間違っていることに気付き始めました。その夜、兄弟たちの間で、「さあ!もし家族の間に何か気まずいことや、つまずきになることや過ちがあったら、お互いに洗いざらい告白し合おう」ということになり、皆で輪になってすわりました。み言葉を研究していた間に、心の中にある罪を全部捨てたいとの思いが生じたのでした。そして私たちは、さらに深い悔い改めに入っていきました。皆で輪になって祈りながら、罪を告白しました。

その時、妹の一人が父を見ながら言いました。妹は今、父との間にある大きな問題を解決しようとしていたのです。父は、娘たちに対して、とても間違った接し方をしてきました。もちろん、息子たちに対しても同様でした。

妹は、なんらかの許しを求めていました。ところが、父も自分の責任と罪を認めなければいけないのに、素直になることができませんでした。父は、むっくと立ち上がって、外に飛び出したのです。私は、直ちにあとを追いかけました。

私は幼い時から、父が家を飛び出したら、あとを追いかけて彼を捕まえることがしばしばありました。家族のだれかが父に向かって、「これはお父さんの責任ですよ」と言おうものなら、父は、それを我慢することができませんでした。ある時は、「自殺してやる!」と脅かすこともありました。父は、自分が恨まれることに耐えきれない人でした。自分が間違っていることを、決して認めませんでした。

   主の幕屋の中へ 24

   信仰と信仰中毒との違い

 

カール・マルクスは、宗教は阿片だと非難しました。宗教も誤ると中毒になることがあるのです。今私たちは、宗教中毒を抜けているでしょうか?真の信仰を持っていることと、中毒は確かに違います。しかし、私たちは正しい信仰生活を送ることと、中毒との見分けが、できない時がしばしばあります。

  イエス様を信じるということは、全人格的な成熟を意味します。真実の信仰生活を送る人であるならば、人格的な変化がもたらされるはずです。私の中で神様の形が回復することが信仰です。失われた神様の形を、回復する作業が信仰です。そこで、中毒ではない信仰生活をするとすれば、まず、人格の変化が起きなければなりません。イエス様に似ていなければなりません。それこそが本当の信仰です。

 


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