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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約(デビット・カン講演35)

2012年06月10日 | 日記



     ひまわりさんより(6月10日)

以前は、熊本の実家へ帰るのは、新幹線を使って本当に時間がかかりましたが、
今は空港までバスで1時間、飛行機で1時間半、アッという間に熊本へ着き、2泊3日をすごし、
もう千葉へ帰ってきました。
熊本教会は、地方教会には珍しく男性の信者さんが多く、落ち着いた感じでした。
礼拝では、前から夫と知り合いのKさん夫婦が証をしてくださいました。
奥さんは20歳で父親を亡くし、生きる意味を考えていた時、ご主人になるKさんと知り合い、
教会へ行くようになったそうです。Kさんは、会社社長の子供として生まれ、
何不自由ない生活をしていた時、23歳で父親の会社が倒産し、
間もなく父親が交通事故で亡くなるという経験をしました。
その後教会へ行くようになり約7年の求道生活の後、信仰を受け入れ、
今は、教会の中核として、特に青年や子供伝道に力を入れておられます。
若い人たちと、ダニエル書や、黙示録の研究をし、『各時代の大争闘』が好きという、
私たちと近い信仰を持った方と出会い、神様に感謝しました。
ぜひ、このブログを見ていただきたいと思い、紹介してきました。

   少年時代の思い出 6 (デビット・カン講演35)

私は木の陰で、なおも震えながら隠れていました。
ところが帰宅してから母は私のことを探さなかったんです。全然私を探しませんでした。
私の名前も呼びませんでした。何も起こらなかったように、彼女は振る舞っていたんです。
讃美歌をハミングで歌っていました。鼻歌を歌っていました。
私は心の中で思ったのですね。「お母さんはどうして私の名前を呼ばないんだと」。
大声で私の名前を呼んで、どなりつけたらいいじゃないか、と私は思いました。
私をたたいたらいいじゃないか。そしたら、もっと気分が安らぐのにと思いました。
私は母が何事も起こらなかったからように振る舞っているので、もっともっと居心地が悪くなってきました。
それから日が落ちて、夕方になってきました。
母が私の隠れていた木のそばまでやってきまして、
――その間ずっと私の隠れていいた場所を知っていたんですよ(笑い)。
とても恥ずかしくなりました――ひと言だけ私に言いました。
「息子よ、夕飯を食べる時間が来たよ」 それだけしか言わなかったんです。
「食べましょう」と言いました。私は立ち上がりまして、もうどうしていいかわかりませんでした。
もう穴があったら入りたい気持ちでした。




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