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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十字架に対する大きな誤解 第12回

2014年08月30日 | 日記

  

   十字架に対する大きな誤解 最終回 

こうして十字架は、私たちを戒めから解放したのではなく、戒めを心の内に書きしるし(ヘブル10:16)、自由な感謝の心で戒めに従う者とさせるのです(エゼキエル11:19,20;36:27)。

十字架を賛美しましょう!それは私たちの救いの象徴です。十字架を感謝しましょう!それは父なる神様の、大いなる愛の表象です。しかし、十字架の真の目的を忘れないようにしましょう!今日、十字架に対する大きな誤解が氾濫しています。それは、悪魔が蒔いた種なのです。十字架は人間の罪を赦すだけではなく、罪人の心を変えて、神の命令に従って生きる、善良な麗しいクリスチャンを創造します。十字架は罪人を、天におられる聖なる御使たちと一緒に暮らしても安全な者として造り替える力があります。イエス様は私たちを、聖なる清い者として造り上げるために、十字架にかかられました。

十字架には力があります。十字架は私たちに、罪を犯す許可証ではなく、罪に勝利するクリスチャンになるための権利書を与えてくださいます。十字架は律法を廃するのではなく、天のお父様の律法を確立させるものです。イエス・キリストの十字架は、罪人の心を、素直な従順な者として造り替えてくれるものです。この恵みを経験される人こそ、真のクリスチャンと言えるでしょう。

      絶望から希望へ  第2回  

今教会には多くの教えがありますが、時には、「皆さん、イエス様を信じますか。イエス様を信じる人は手を上げて下さい。はい、皆さん救われましたね」というようなことを言われることがありませんか?手を上げればそれが救いだと、それは違います。私がこのようなことを言いますと、すぐに「皆さん心配入りませんよ。皆さんはイエス様を信じているから、みんな救われて新しく生まれた人ですよ」と言う人がいます。しかし、神様は、クリスチャンの中にも生まれ変わった者と、生まれ変わっていない者とがいるから、新しく生まれていなければ救われないと、はっきりと言っておられます。『ローマ人への手紙』7章です。

「わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲することは行わず、かえって自分の憎むことをしているからである。すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしはなんと言うみじめな人間なのだろう。誰が、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ7:14、15、19、23、24)    


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