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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

新生への道 

2013年10月12日 | 日記

  

   新生への道 8 キリストにある成長 ②

いのちの場合と同様に、成長においてもそうです。つぼみから花を咲かせ、実を結ばせるのは神です。種が生長し、「初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる」(マルコ4:28)ようになるのは神の力によるのです。預言者ホセアはイスラエルについて「彼はゆりのように花咲き」「園のように栄え、ぶどうの木のように花咲き」(ホセア14:5、7)と言っています。またイエスも私たちに、「野の花のことを考えてみるがよい」(ルカ12:27)と言われました。木や花は自分で思いわずらったり、努力したりして生長するのではなく、神が与えられるものによって、そのいのちが支えられ、生長するのです。子供はどんなに思いわずらっても、またどんなに努力しても身長を伸ばすことはできません。私たちもこれと全く同じで、心づかいや自分の努力では霊的な成長はできないのです。植物も、また子供たちも、周囲からいのちを支えるもの、すなわち、空気、日光、食物を受けて成長します。動物、植物にとって自然の賜物が必要なように、キリストに頼る者にとってはキリストが必要です。キリストは、彼らの「とこしえ・・・の光」(イザヤ60:19)、「日です、盾です」(詩篇84:11)と記されています。また、キリストは「イスラエルに対しては露のように臨み」(ホセア14:5)、「刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、地を潤す夕立のごとく臨むように」(詩篇72:6)とあります。彼は、生ける水でありパンです。「神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」(ヨハネ6:33)。

 神はみ子という比類のない賜物を与えて、ちょうど空気が地球のまわりを取りまいているように、恵みの大気で全世界を包まれました。このいのちを与える空気を吸いたいと望む者は、誰でも生きることができ、キリストにある完全な人となることができるのです。

      主に会う備えをせよ            

 それゆえイスラエルよ、 

 わたしはこのようにあなたに行う。 

 わたしはこれを行うゆえ、 

 イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ   (アモス書4章12節)

  

◇   備えとは?  

 黙示録21章1節より4節は、何度読んでも感動させられる聖句です。

「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、

夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。なた、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた。

『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。

もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』」。

 なんとうるわしい光景でしょう。この美しい世界へ、私たちは招かれています。この御言葉は、そのひとり子をつかわされるほどに私たちを愛して下さる神様の、愛の呼びかけです。神様は私たちを早く、このような永遠の世界へ招き入れ、共に住みたいと願っておられるのです。私たちの目から涙を拭い取り、死も、叫びも、痛みもない世界へ連れていこうとしておられるのです。そして、そのために必要なすべてのものは、神様から提供されています。もし、私たちの備えができさえすれば、主は速やかに、私たちを迎えに来て下さることでしょう。

今、私たちの備えができさえすれば、と言いましたがその備えとは、一体何でしょうか。それには多くのことを考えなければならないでしょう。しかし今日

は、その中で、一番中心的なことについてお話ししたいと思います。


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