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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

新生への道 8

2013年10月13日 | 日記

 

     新生への道 8キリストにある成長 ②

  いのちの場合と同様に、成長においてもそうです。つぼみから花を咲かせ、実を結ばせるのは神です。種が生長し、「初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる」(マルコ4:28)ようになるのは神の力によるのです。預言者ホセアはイスラエルについて「彼はゆりのように花咲き」「園のように栄え、ぶどうの木のように花咲き」(ホセア14:5、7)と言っています。またイエスも私たちに、「野の花のことを考えてみるがよい」(ルカ12:27)と言われました。木や花は自分で思いわずらったり、努力したりして生長するのではなく、神が与えられるものによって、そのいのちが支えられ、生長するのです。子供はどんなに思いわずらっても、またどんなに努力しても身長を伸ばすことはできません。私たちもこれと全く同じで、心づかいや自分の努力では霊的な成長はできないのです。植物も、また子供たちも、周囲からいのちを支えるもの、すなわち、空気、日光、食物を受けて成長します。動物、植物にとって自然の賜物が必要なように、キリストに頼る者にとってはキリストが必要です。キリストは、彼らの「とこしえ・・・の光」(イザヤ60:19)、「日です、盾です」(詩篇84:11)と記されています。また、キリストは「イスラエルに対しては露のように臨み」(ホセア14:5)、「刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、地を潤す夕立のごとく臨むように」(詩篇72:6)とあります。彼は、生ける水でありパンです。「神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」(ヨハネ6:33)。

 神はみ子という比類のない賜物を与えて、ちょうど空気が地球のまわりを取りまいているように、恵みの大気で全世界を包まれました。このいのちを与える空気を吸いたいと望む者は、誰でも生きることができ、キリストにある完全な人となることができるのです。

    

     主に会う備えをせよ ②  

マルコによる福音書4章29節には、次のような聖句があります。「実がいると、すぐにかまを入れる。刈り入れ時がきたからである」。

ここでは、キリスト再臨の日が、作物の収穫の日にたとえられています。そして、収穫の日、即ち、再臨の日というのは、作物が十分に実った時だといわれています。つまり、キリスト再臨の日は、私たちを通して、あのガリラヤ人への手紙5章22節、23節の、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」という御霊の実が実った時なのです。E・Gホワイトもまた次のように言っています。

「キリストは、ご自分の教会の中に、ご自身をあらわそうと熱望しておられる。キリストの品性が完全にキリストの民の中に再現されたときに、彼らをご自分のところに迎えるために、主は来られるのである」(『キリストの実物教訓』47頁)。

まだ青い実や、虫食いのある実を収穫する農夫はいません。主は、神の民の品性の実が豊かに熟した時においでになるのです。

 

  


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