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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 17

2013年06月07日 | 日記

     

    福音の道しるべ 17         クレマチスの水盤

 聖所に向かう罪人は、神のご臨在をあらわす雲の柱がその上にとどまっているのを見る。彼は、この柱のうちに、悔い改めた罪人を招いておられる神の愛を認める。燔祭の祭壇からの煙が天にのぼっていくのを罪人が見るとき、自分が小羊をとって真心から罪を告白し、いけにえをささげると、赦しが与えられることを思い出す。罪人が聖所に向かうその瞬間から、聖霊が彼の心にこのような強烈な印象を与えるのである。聖霊が罪人に感銘を与え、その人を神に引きつけるときに、聖所の経験は始まるのである。

 罪人が選ぶ子羊は、純潔で、全身に傷や汚れのないものでなくてはならない。子羊を注意ぶかく調べて、身に傷またはしみがないか、足は健常か、視覚は正常かどうかを見るのである。いけにえは、完全でなくてはならない。いけにえは、非の打ちどころのない神の小羊、イエス・キリストを象徴しているからである。それはまた、罪人の側の純粋かつ真心からの悔い改めが必要であることもあらわしている。レビ記1章の3節と4節は、次のように述べている。「もしその燔祭の供え物が群れの羊または、ヤギであるならば、雄の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう」。

 神に立ちかえる人の悔い改めは、真心からの、純粋な動機によるものでなくてはならない。「神の受けられるいけにえは砕けた魂です」(詩篇5117「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救いを得させる悔い改めに導」く(Ⅱコリント7:10)。

 聖所の儀式における第一段階は、犯した罪を心底から悲しむ真の悔い改めといういけにえを捧げる経験である(罪をやめようとの決意が、聖化の始まり)。


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