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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十字架に対する大きな誤解  第1回

2014年08月19日 | 日記

   

  十字架に対する大きな誤解 第1回 

なぜ、キリストの十字架が必要だったのでしょうか?人類の救いのためなら、何か他の方法があったのではないでしょうか?無限の知恵で満ちておられる神様が、御子イエス・キリストの犠牲を通してでなければ、人間の救いを成し遂げることはおできにならなかったのでしょうか?神様は、別の計画をお用いになることはできなかったのでしょうか?

≪宇宙を支配なさる神様が、人間をもと通りの状態に回復するためには、別の方法でのプレゼントを準備することはできなかったのか?人類の身代わりとして、天使が死ぬことはできないことだったのか?≫

イエス様がカルバリへ行かれたのは、他の道が全くなかったためです。イエス様が死なれた理由は、人類を彼らの罪から救うためだけではありませんでした。そこには、サタンとの全宇宙的な規模の争闘が含まれています。神様とサタンとの闘争は、十字架において最高潮に達しました。しかしその戦いは、十字架で始まったのでもなく、終わったのでもありません。十字架は、人間の創造以前から、神様の心に秘められていたものでした。もしも、自由意思を与えられた人間が、その選択により神様に反逆して罪を犯した場合には、イエス・キリストの十字架の犠牲と恵みを通して、もう一度救いを与えるための計画が、永遠の昔から神様のみ胸に秘められていたのでした。

   再臨を待ち望んでおられますか 第11回

同じように、1844年の再臨運動は、世の中の関心を、天の至聖所で奉仕されるイエス様の働きに、人々の目を集中させるためでした。復活されて昇天されたイエス様は、まず、天の第1の部屋である聖所へ入られ、人々の罪のあがないの働きにつかれました。そして、1844年からは、聖所の中心である至聖所へ入られ、契約の箱で象徴される父なる神様の御前に出て、罪のとりなしと、アダムから始まる全人類の、罪の調査、審判、そして、罪の除去の働きにつかれたのです。そして、これらのことは全て、イスラエルの犠牲制度、その中の大贖罪日の儀式に予表されていたのでした。

天における、イエス様の務めの変化に気づき、イエス様が、今も天で行っておられる、罪の調査審判と、罪の除去の働きに参加し、イスラエルの民が大贖罪日に、大祭司が至聖所へ入っている間、罪を悔改め、身を悩まして、大祭司が出てくるのを待ったように(レビ記23:26~29))、再臨を待つ神の民も、同じような心で、再臨を待たなければならないことを悟るようにされたのです。

 


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