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救いは取り消されることがあるのか 第39回

2014年11月28日 | 日記

    

救いは取り消されることがあるのか 第39回

今や私たちは、救いが過去や現在の一度だけの公約によって、永遠に取り消されることはなくなるという教えが誤りであると言う結論を下す時が来ました。救いを受けるということは、神様が着せて下さる義と分け与えて下さる義を、絶えず受け続けていくクリスチャンの生涯の経験です。それは、永遠の命の源泉であるキリストとの、継続的で生き生きとした関係によってしか、現実のものとなっていきません。

救いの問題を、聖書的に完全に理解するためには、救いを過去、現在、未来の、三つの時制の中で注意して調べて見なければなりません。救いは過去に起きて、現在に起きていて、未来にも継続するべきものです。

      これが真の福音です 第11回   

さて、イエス・キリストはどのような肉体で来られたのでしょうか。これは、皆さん、とても大事な問題です。実は、カトリックの公式的な教理の中に、こういうことが載っています。「無原罪」の教えです。これはどんな意味でしょうか。これは、イエス・キリストが、罪のないまま生まれたという意味ではありません。イエスの母マリヤが、罪のないままで生まれた、という意味です。母マリヤ自体が、罪のないまま生まれたという教えです。そのため、マリヤは、私たち人間とは違う存在だと言います。カトリックの教理を見ると、マリヤは私たちとは違う、他の本性を持っていると教えられています。

キリストがこの世に生まれた時、キリストは人間の本性を持って生まれたのではなく、マリヤの本性をもって生まれたというのです。しかしそれは、イエス・キリストが、肉体をとって来られたことを否認することにほかなりません!

この、マリヤが罪のないまま生まれた、という教えは、「無原罪懐胎」とか「聖母マリヤの無原罪の御宿り」の教義として、1854年、時の法王ピウス9世によって宣言されました。“幸いな聖母マリヤは、その母胎に宿る瞬間、神の恵みの特別な計らいによって、原罪のけがれと咎を存在の初めから、いっさい受けていなかった”(カトリック教会の教理p.124)というものです。

そしてさらに、カトリックの教理では、イエス様は乙女マリヤより生まれ、ご自身がマリヤと同じ本質の人性をとられたと言います。イエス・キリストは、私たちと同じ肉体をとって生まれたのではなく、マリヤの本性を持っていたというのです。

また、このような教えもあります。“マリヤの多方面の執り成しを通して、彼女は今日われらに永遠の救いの賜物を与えられ、我らの魂を死から救って下さる、われらの代弁者、助け者、恵みを施す者、仲保となる”(キリスト教問答p252)

イエス・キリストが、私たち人間の本性ではなくて、罪のないマリヤの本性をとられたという教えは、私たちとイエス様を完全に引き離すことです。そして、カトリックでは、イエス・キリストに直接結びつくことを教えません。マリヤを通して、法王を通して、神父を通して、人は神様の前に、誰か仲介者を通して進んでいくといいます。

また、マリヤは罪のない女性だから、人を救う権利を持っていると教えます。

『ローマ人への手紙』8章3節を見ると、

「律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様(さま)で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである」(ローマ8:3)と言われています。イエス様が何の様(さま)だと言われていますか?「罪の肉の様」だと言われています。英語の聖書では“sinful nature”、 これは何ですか?罪に浸された肉体の意味です。聖書にはっきりこう書いてあります。イエス様は「罪の肉の様」で来られたと。カトリックでは、マリヤが罪に対して汚染されていなかったので、マリヤの本性を受け継いだイエス様も同じだった、それで、他の兄弟たちとは全く違っていたと話します。しかし聖書のみ言葉を読めば、「罪の肉の様で罪のためにつかわ」されたのです。


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