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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は生きておられる 第7回

2014年12月09日 | 日記

  主は生きておられる 第7回

ローマ人への手紙5章9節からのみ言葉にはこのようにあります

「わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう」(ローマ5:9)。 

私たちの救いの中心、福音の中心である十字架によって、私たちは義とされています。それによって、私たちは、過去の罪を思い出して苦しんだり、失望したりする必要がなくなります。また、罪人に臨む神様の怒りから救われることが出来ます。

「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」(ローマ5:10)。 

イエス様が十字架で死んで下さったことによって、私たちの過去の罪の問題が解決されました。さらに私たちは、イエス様が今も生きておられることによって、その命によって、救いを得ることが出来ます。イエス様の死は重要ですが、主が復活なさって、今も天の至聖所で大祭司として、執り成しをしていて下さることも、劣らず重要なのです。つまり私たちは、イエス様が生きておられるので、毎日、罪の力から救われる経験をすることが出来るということです。まさに、「今現在」毎日、毎日が救いです。 

   これが真の福音です 第22回

たくさんの人がこのように言います。「私は親から悪い遺伝子をもらっているから、罪に染まった本性を持っているから、イエス様のように戒めを守ることは不可能だよ、神様のみ言葉に従うのは不可能だよ。無理だ。この本性を受け継いでなければ、勝利することができるのに」。こういう言い訳を作り出すことができないように、イエス様が人間として、来られたのです。イエス・キリストの完全な従順は、不従順な人々を咎めることができます。イエス様が、初めから人間と全く違った本性で来られたのならば、人間としてではなく、神として生きられたのなら、私たちに対して、何も言えません。私たちと同じ経験をしていないのに、どうして私たちを咎めることができるでしょうか。 

最後の審判の日、終わりの日のことを考えてみて下さい。「神様!私はあの時、誘惑に陥るしかなかったんです。あそこで勝利することはとても難しかったんです」という人がいるかもしれません。その時イエス様は、「私は、あなたがどんな試練を受けたか分かるよ。私も経験したよ。でも勝利したよ。その勝利の力をあなたに与えようとして、待っていたんだよ」「エーッ、イエス様は神様だから、罪のない生活ができたんでしょう。ほんとの人間になったことないでしょ!」。皆さん、この話が、何のことかわかりますか。イエス様をどのように理解するかによって、私たちが、罪に勝利できるかどうか、戒めに従うことができるかどうか、結論が全く変わるのです。


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