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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演32

2013年01月29日 | 日記


ひまわりさんより(1月29日)
この前の日曜日、私の人生でも最大級の悲劇(?)に見舞われました。私の家には、大きな蔵があって、その中に、ジョイのエサや、畑仕事の道具、自転車などをしまっています。冬になって、タイヤを冬用に取り替えたので、今までの普通車用と軽用計8本のタイヤをここにしまうことにしました。その時、この蔵では、以前ジョイのエサがネズミに荒らされたことがあったので、もしかしたらタイヤもかじられるかもしれないと思ったのです。それで、ホームセンターで、プロが認めるという強力粘着ネズミ取りを買ってきて設置することにしました。そして、・・・そうなんです。お察しの通り、この強力なネズミ取りに、わたし自身が引っかかってしまったのです。夕方だったので、懐中電灯の光の中で、蔵の隅に5枚セットで並べていたら、粘着部に右の手首が少し触ってしまい、あわてて取ろうとしたら、はがれなくてますます強くくっついてしまいました。その拍子に左手もくっついてしまい、もうどうすることもできません。本当に強力で、無理にはがそうとしたら、表皮剥離してしまいました。私は、泣きながら少しづつはがし続けました。全部はがし終わった時には、右手首はあざだらけ、見るもむざんな姿になってしまいました。夫や子供には、「人間がネズミ取りにかかるなんて、前代未聞だね」と言って笑われ、みじめなものでした。やっと、今日になって少し気を取り直したところです。ええ、でも私はこんなことにめげないで、信仰による義の体験を求めていくつもりです。「信仰による義とは自分の栄光を塵に伏させる」経験なのですから・・・。(写真の後ろに少し見えているのが蔵です)

ストラディバリウスを受け取る(デビット・カン講演32)
ものすごく高価なバイオリンなんですけど、ただでもらったのですね。この物語を本で読みました。そして、あることに気づいたのです。『私は神様に属する者である。私という人間は私のものではない、自分のために、自分を自分のものにしようとしている限り、私がやることは、この世の中からほこりをかき集めるだけである、しかし、私自身をイエス様にあけ渡して屈服するとき、イエス様が私を調律して下さって、イエス様の音楽をかなでて下さる。
私たちは、神様の御名を讃えるために造られた存在なのです。これが創造の目的なのです。それゆえに神様は私たちをお造りになったのです。神様の御名を讃えて、神様に栄光を帰するために・・・。




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