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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第9回

2014年10月28日 | 日記

        

救いは取り消されることがあるのか 第9回

人が自分自身の全てを祭壇に捧げた時、キリストの強い愛がその人を支配するようになり、肉欲的な、世俗的なさまざまなサタンの誘惑に対して、はっきりと「NO」と言えるようになります。サタンは何度も何度も、私たちの弱い部分に攻撃を仕かけてくるでしょう。そして、私たちとキリストとの愛の関係を破壊しようとするのです。しかし私たちは、この世の何ものよりもキリストを愛することによって、また、キリストは私のためにいつも最善、最高のことをして下さるという信頼によって、サタンの誘惑を退けるのです。

サタンは特に、クリスチャンの感情を動揺させることを通して、強力に働いてくるでしょう。しかし、真のクリスチャンは、自分の感情や感覚は全く信頼出来ないことをよくわきまえています。私たちは義と真理のみ言葉に基づいて信じるべきであって、心や思いの中に浮かぶ、感じや感情を根拠にして信じるのではありません。今日、教会の中で、興奮してわけの分からないことをしゃべったり、絶叫したり、踊り狂ったりする人がありますが、そのような人の大部分は悪魔にだまされているとしか言いようがありません。

また、人が一時的な満足を得るために、罪深い快楽を求めたり、自分の欲望を満足させようとするなら、どんどんそれから離れることが出来ないようになり、ついにはロボットのように自分の欲望が命じるままに行動するようになり、悪魔の奴隷になってしまうことでしょう。

    お約束を果たされた神様  第9回

もし、私と皆さんが、東京駅で会う約束をしたとします。1月14日午後3時。黄色い帽子をかぶってサングラスをつけ、青いコートを着て、ズボンは赤で、ブーツを履いていますと約束しました。東京駅で、こういった身なりをした人を見つけるのは難しいでしょうか。やさしいでしょうか。思いつきで服装のことを言っただけなのですけれども、この日、この時間に、同じような身なりをした、別の人に会う確率はそう高くはありませんね。もし同じ格好をした人が、ほかにもう一人現れたらびっくりするでしょうが、それはないと思います。

私たちがイエス様を信じるのは、旧約聖書に約束された救い主についての預言が、全部、その通りに成就しているからなのです。約束されていたことが、全て、その通りに当てはまっているから、イエス様が神のみ子であることを、はっきりと認めることが出来ます。救い主イエス様の誕生、生涯、死、復活、それについての預言は300以上もあり、神様は、私たちに、これにぴったり当てはまる者が救い主であると、約束して下さいました。なぜそのようにされたのでしょうか。人類が創造されてから数千年後に、救い主が誕生されたわけですけれども、その間にどれほど沢山の人が誕生し、死んでいったことでしょうか。イエス様も、ただ誕生して死んでいった普通の人物として、見過されるかもしれないのです。そうならないように、このような特徴を持った人がメシヤであるということを、主が約束し、預言して下さったのです。この預言にぴったり当てはまる方が、生まれなければならなかったのです。

「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについて、あかしをするものである」(ヨハネ5:39)。この聖書は私について語っているとイエス様は言われました。この聖書は旧約でしょうか新約でしょうか。イエス様の時代には、新約聖書はまだなかったんですね。イエス様は、旧約聖書全体が、自分のことを述べていると言われました。


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