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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義 14 あなたを造り変える福音の力

2012年02月17日 | 日記



  ひまわりさんの感謝
 毎日たくさんの方がこのブログを見て下さり本当に感謝します。決してやさしくはない内容なのに、見て下さり恐縮しています。
私はカン先生の講演を通して、今まで何十年もの間わからなかったことが、きちんと整理されて本当に良かったと思っています。
皆様にこのメッセージが届きますように。

   神様の義を受けるとは?
このことについて、実際の経験を皆さんに幾つも幾つもお話しすることができます。
例えば、私があまり好きでない人と関わる時に、また誰かによって、何かによってある衝動に駆られた時、私はすぐにイエス様の義に頼ります。
どのようにして私たちは、神様の義を受けることができるのでしょうか。
ルカ18章に、取税人とパリサイ人の祈りが書かれています。
パリサイ人は、自分が邪悪な、罪深い者でないことを神様に感謝しました。
たとえば、こういう祈りですね。「神様、私は健康メッセージを信じています。このような者になれたことを感謝します。
私は什一献金をささげていて、いろんな諸献金もささげています。私は妾とか持っていません」。
このパリサイ人は、自分が習慣、伝統に従って忠実に正しく生きている、だから自分は義なるものだと心から信じていたんですね。
一方、取税人は離れて立って、このような祈りをささげました。「神様罪人の私をお許しください」と。
この聖句を、単純に説明したいと思います。実は、今でも、自分の義に頼っている多くのパリサイ人が存在するのです。
いいものを食べ、いいものを飲んで、什一を忠実にささげて、夫婦げんかもしないで、
短気を起こさないで、教会で人にもやさしく接して、公衆の前で悪い態度をとらないでいるとき、
「最近自分はなかなかいい生活をしているぞ」と思うようになり、自分は神様の厚意を受けるに値すると、
そのように感じたならば、そのあなたこそが、現代のパリサイ人なのです。
罪や過ちを犯してしまった時どうするでしょうか。
そういう人は自分が良くなったと感じるまで待って、神様に受け入れられると思ったら神様のもとに行こうとします。
何か間違いを犯してしまったとします。短気を起こしてしまったとします。誰かとけんかをしたとします。
教会の理事会でけんかをして人とぶつかったりして、面目を潰してしまった、或いは、何か見てはいけないものを見たとします。
そういった形で失敗したとします。そういう時どうしますか。お祈りをしなくなりますね。
そして、しばらく待って、神様の厚意を受けるにふさわしくなってから、神様のもとにきてお祈りをする、このようにやっていませんか。
多くのSDAのクリスチャンが、自分の義は、自分の義なる行為、立派な行いとかにかかっていると、実際には考えています。

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