SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義 17 あなたを造り変える福音の力

2012年02月21日 | 日記


 ひまわりさんの体験 その7 笑顔になったおばあちゃん

昨日、初めての利用者さんを訪問看護で尋ねました。初回なのでもう一人の看護師と二人で出かけました。
その利用者さんと言うのは、すごく頑固で、食べない、飲まない、おむつ交換は抵抗する、の介護拒否の状態で、病院から帰されてきた人でした。
挨拶をしても、目も開けないで顔をそむけ、しばらくすると睨みつけるようにこちらを向き、また、向こうをむくという状態でした。
この人には、無理やり何かをしてはいけないと思い、しばらくその人の手をさすってあげました。
しばらくさすっていると、私の手をぎゅっと握り返してきたのです。
ああ、この人は何か反応していると思い、「今からオムツ交換をしますからね」と、耳元で大きく言い、
私が手をさすり、もう一人がおむつ交換をしました。
オムツ交換が終わって、私が「これからよろしくお願いしますね」と言うと、うなずかれました。
そして、しばらくするといい笑顔が出てきたのです。
私たちは、おそらく抵抗され、何もできなくても仕方がない、というぐらいの覚悟で、出かけたのですが、
相手の気持ちによりそおうとして関わっていくと、心で反応して下さるんだということを、感じさせられうれしくなりました。
相手の人が心を開いてくださると、こんなにこちらもうれしくなるのだから、私たちが神様に対して心を開くと、
神様も喜んでくださるんだなと思いました。

       清めとはキリストの性質が植え付けられること

『キリストの実物教訓』にはこうあります。
「聖霊の働きによって魂が清められるということは、キリストの性質を人間の中に植えつけることである」361p・
ローマ8:14 「すべて神の御霊に導かれているものは、すなわち、神の子である。」
最後の部分ですね「すべて神の御霊に導かれているものは、すなわち神の子である」とあります。
どういう意味でしょうか。ここに衝撃的な言葉があります。
『各時代の大争闘』下巻396~397ページにある言葉ですが、これは皆さんにとって極めて必要な言葉だと思いますので、しっかりと読みましょう。
「かつてなかったほどの悩みの時が、まもなくわれわれの前に展開する。
それだからわれわれには、一つの経験――今我々が持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験――が必要なのである。
現実の困難というものは、予想したほどではないということがしばしばある。
しかし、われわれの前にある危機の場合は、そうではない。どんなに生々しいく描写しても、この試練の激しさには、とうていおよばない。
この試練の時に、人間は、みな、自分で神の前に立たなければならない。
『主なる神は言われる、私は生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。
ただその義によって自分の命を救いうるのみである』」。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。