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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約(デビット・カン講演3)

2012年05月08日 | 日記



    ひまわりさんより(5月8日)

今日は訪問看護で、1時間ぐらいかかる君津市まで出かけました。
途中は山道を行くのですが、周りが一面緑であふれていて、感動しました。
しかもその緑が、一つとして同じものがなく、生き生きとしていて、
思わず、聖歌の「山は緑、谷も緑、森も原も畑も ほめたたえよ ほめたたえよ ほめたたえよ み神を」
を大きな声で歌ってしまいました。その緑の中に、ところどころ、オレンジの山ツツジが咲いていて、
これも目を見張るような鮮やかさでした。
それから、帰り道で、今度は民家の中に、山ツツジが50本ぐらい咲いているところがありました。
ところが、そこのツツジはきれいなのですが、山の中にあるものとどこか感じが違うのです。
やはり山ツツジは深い緑の中で咲いてこそ、本当の美しさを表すのだと思いました。
人間がいいと思ってやったことでも、神様が置かれた場所でないと本来の美しさを表せないのだと思いました。
(今日の花は父の畑のあやめで、植えてから3年目のものです。この近くにほうれん草を植えています)
   
    大いなる救いの喜び(デビット・カン講演3)

 私の友人の一人に、韓国の軍隊に徴兵されて、そこで武器をとることを拒否して7年間投獄された人がいます。
韓国軍で武器をとることを拒んで投獄された人の中では、最も長い期間、彼は刑に服したのです。
その友人が釈放されてから、私に語ってくれたことがあります。
 刑務所では、何か特別な日になると、ある囚人の名前が呼ばれて、その呼ばれた囚人は釈放されるというのです。
恩赦というものですね。そういった特別の日がやってきて、名前が呼ばれる時になると、刑に服している囚人全員が、
自分の名前が呼ばれないだろうかと、期待にあふれるわけです。それから、刑務所の係官が、誰かの名前を呼ぶのです。
自分の名前が呼ばれたとき、「ハイハイ」と小さい声で返事したりしません。本当に喜びにあふれた返事をします。
自分の名前を呼ばれる瞬間を待ちわびているからです。「ハーイ、ここにいます」。そして門の所に走っていくわけですね。
そういう形で釈放されるわけです。自由の身です。
 私たちの住んでいる環境がどんなに美しく、すばらしいものであったとしても、ここは私たちの故郷ではありません。
私たちの故郷は天にあります。私たちがみなそこに行きます。
あらゆる人種、国民、言語の人たちが、共に集まってきます。そして一緒に立ちます。
片手にシュロの枝を持って、イエス・キリストを讃えます。
ついにこの地上の罪の呪いから解放されて、本当の意味で贖われるわけです。
救いの喜びにあずかります。



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