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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 89

2013年08月19日 | 日記

 89

これらの天使が誰であったかは、聖書に書かれている。「その時ケルビムはのぼった。これがケバル川でわたしが見た生き物である。・・・これがすなわちわたしがケバル川のほとりで、イスラエルの神の下に見たかの生き物である。わたしはそれがケルビムであることを知っていた」(エゼキエル10:15,20)。「主は王となられた。もろもろの民はおののけ。主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ」(詩篇99:1)。上の聖句から、四つの生き物が神の御座そのものであることが分かる。これら四つの生き物が、ケルビムである。神ご自身が、彼らの間に座せられる。つまり、これらのケルビムは、神が行かれるところへはどこでも随行するのである。彼らの職務は、神の護衛である。契約の箱を見下ろす天使たちがシカイナの栄光を反映したように、四つの生き物は、全宇宙の前で神の品性を最大限に反映することのできる者たちである。かつては罪の淵に陥り、キリストの功績により聖なる身分へと高められた者たちよりも、神の愛と恵みを理解し反映できる者がいるだろうか?

黙示録4章に登場する四つの生き物は、神の御座を取り囲んでいて、それぞれ、ワシ、ライオン、牛、人のような姿をしている。これらの象徴は、神のご品性の異なる側面を描いたものである。黙示録5章の中に、これら四つの生き物が、地から贖われた人々であることの強力な証拠を見出すことができる。「巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、竪琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈りである。彼らは新しい歌を歌って言った。『あなたこそは、その巻物を受け取り、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中からわたしたちをあがない、わたしたちの神のために、わたしたちを御国の王とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう』」(黙示録5:8-10一部欽定訳)。


  新生への道:神の愛 ⑧

私たちのあがないのために払われた価、私たちのために、そのひとり子に死をさえおゆるしになった天の神のはかり知れない犠牲を考えるとき、キリストによって、私たちは非常に高潔な状態に到達することができるという観念をおこさずにはおられません。霊感に動かされた使徒ヨハネは、滅びゆく人類への天の父の愛の高さ、深さ、広さをながめて、心はただありがたさと敬虔な思いでいっぱいになり、その愛の偉大さ、優しさを表現するのにふさわしい言葉を見いだすことができなくて、「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか」(Ⅰヨハネ3:1)と世界に呼びかけています。人はなんという尊い価値をもっていることでしょう。罪を犯して人の子らは悪魔の奴隷となりましたが、キリストのあがないの犠牲を信じることによって、アダムの子らはまた神の子となることができるのです。キリストは、人の性質をおとりになって人類を引き上げてくださいました。罪に落ちた人類は、キリストにつながってはじめて「神の子」という、その名にふさわしい尊い者となれるのです。

このような愛に比べられるものは何もありません。天の王子となるというのです。なんと尊いみ約束でしょう。これは深い冥想に価する主題です。神を愛さなかった人類への、たぐいもない神の愛です。この愛を考える時、心はへりくだり、神のみ旨のままに従うようになります。そして、十字架の光に照らされて、神のご性質を学べば学ぶほど、神の恵みとあわれみを知り、神の公平と正義とゆるしとが一つになっていて、放蕩息子を思いやる母親にも勝る、限りない優しい愛の、数知れない証拠を認めることができるようになります。



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