goo blog サービス終了のお知らせ 

SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

ヨブとヤコブの経験 私たちの未来 第5回

2017年01月09日 | 日記

ヨブ記は、人類の大問題に関して、哲学の限界を教えてくれます。人間的な観点だけで理解しようとすれば絶対に答えが出ません。 人間の論理や思想だけでは解決できません。 病に伏していたり、家庭に問題がある時"あの人が災いにあうのは過ちを犯したからだ" 人からそんなふうに言われることほどつらいことはありません。 しかし、ヨブを考えてみてください。

財産を失い妻からも見放され失意のどん底にいるヨブのもとへ、三人の友達が来ました。 放蕩息子が破産した時は、誰も彼を訪ねませんでした。 それに比べると、ヨブがいかに善人だったかが分かります。友からの信頼もあつい立派な人格を持った人物だったのです。ですからヨブがそのような状況になっても、ヨブを励ますために遠くから三人の友達が来ました。 友達はヨブを苦しめるために来たのではありません。その当時の、最高の哲学で慰めるために来たのです。しかし、解決できませんでした。 哲学で人生の解答を出すことはできません。 むしろ彼らの助言は鋭い矢でした。 むしろ来なければ良かったのです。

 

では、 ヨブ記を学びます。 ヨブは信仰による義人でした。

ヨブ記1:1 最初に何と書かれていますか?

“ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く (タム)…”

全くとはどのような意味ですか? 完全という意味でしょうか。この全くという言葉は、ヘブライ語では'タム'ですが、これは嘘がなく、傷がなく、道徳的に潔白で完全だという意味です。

うそがなく、傷がなく、道徳的に潔白で完全な者・・・ヨハネの黙示録にこのような人たちが出てきます。 それは誰ですか? ヨハネの黙示録で印を受ける最後の民、144,000人の特性が'タム'の特性を持っているのです。欽定訳聖書ではperfect、完全とあり、また、NIV訳ではblamelessで、罪がない清い状態とあります。

それではヨブはどんな状態とありますか? 'タム'つまり心から素直で、神様を恐れ、悪から離れた者です。

これは誰の評価ですか。 神様のヨブに対する評価です。 彼は完全な義人でしたが、苦難を受けました。 その事実を念頭に置いてヨブ記を読む必要があります。

この軸がぶれると、変な教理、解釈になります。 罪のための苦難ではないことを念頭に読むことが大切です。義人も苦難を受けます。 義人たちは最後の大艱難を通過せず、携挙されるのではなく、義人であれ悪人であれ、この地に生きているすべての人は最後の大艱難を通過しなければなりません。