【有本香の以読制毒】安倍首相が李登輝元総統への弔問に森喜朗元首相を送った意味 始まりは2001年の「訪日問題」 中国に痛烈な一撃となったか
75年後の同日、台湾・台北の午後の気温は33度。うだるような暑さの中を、黒い服に身を包んだ日本の男たちが集まった。先月30日に逝去した「民主台湾の父」李登輝元総統への弔問に、外国から一番乗りした日本の国会議員弔問団だった。団長は森喜朗元首相。先週の本コラムでも触れたが、森氏が団長を務めた理由や経緯を知らない人のために、いま一度、大事な逸話を書いておく。
李氏と森氏の浅からぬ縁の1つの始まりは、2001年の「李登輝訪日問題」にある。1年ほど前に、総統を退いて、「私人」となっていた李氏が、心臓の持病治療を理由に訪日を希望したことがきっかけだった。
この李氏訪日を阻止する方向で動いたのが、外務省のチャイナスクールであり、これに同調した当時の外相、河野洋平氏だった。
対して、「李氏の入国を認めないことは人権問題だ」として、毅然(きぜん)と「ビザ発給」を決めたのが首相だった森氏であり、ともにビザ発給を強く主張したのが、官房副長官だった現在の安倍晋三首相である。この時の様子を、森氏は台北での記者会見で、次のように述懐した。
がんの加療中、人工透析も受けている森氏は、台北賓館の入り口で一瞬、足元おぼつかない様子を見せた。しかし、その後の弔辞、記者会見、蔡英文総統との会談では、一貫して堂々と和やか、時折ユーモアまで交えた見事な弁舌で、「横綱相撲」の貫禄を見せつけた。
感謝を伝えたく思い、帰国後の森氏に電話した。
「日本と台湾が最も互いを必要としている今、命懸けで台湾へ行ってくださり有難うございます」
すると、森氏はこう答えた。
「口幅(くちはば)ったく聞こえるかもしれないが、私が総理の時に入国をお認めした方です。それから幾度も来日されるようになり、日本人に多くのことを教えてくださった。その方への最期のお別れは、私がするのが務めと思ってね」
首相を退いて20年近くがたってなお、ザ・政治家。見事、国際政治のひのき舞台のど真ん中に立って、北京に痛烈な一矢を放った森氏に、最高の敬意と感謝の拍手を送りたい。
■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)、『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』『「日本国紀」の天皇論』(ともに産経新聞出版)など多数。