天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

柿の木は残った

2019-10-18 04:13:50 | 身辺雑記


きのう多摩川の胡桃がどうなったか視察した。
すこしは留まった胡桃があるのではと淡い期待をしたがそれは木の下へ来て吹き飛んだ。
1メートルほど低いところは林が消滅し砂が堆積し以前どうなっていたか思い出せない。野球場と同じ高さの胡桃林の中も砂が堆積していて胡桃は20個拾うのがせいぜいであった。
夏ころから抱いていて新胡桃への思いは吹き飛んだ。ぼくが果実で生計を立てていないのでいいのだが林檎農家は生き死にの問題であろう。



荒涼たる風景の中で柿の色が希望であった。
柿の木2本はしかと立っていて300個はゆうにある。今年はこの木の柿をできるだけたくさん吊るして天日干ししたい。
柿はすでに実っていていつ採ってもいい状態でそれがいちばん困るのである。明日にでも採ってすぐ皮を剝いて吊るしたいのだが、さて気温は低いままでいてくれるのか。去年10月の中旬に採った渋柿は高音のため蕩けるやら腐るやら、ほとんどだめになった。
その教訓から東京で干柿をつくるには立冬直前に作業すべきという結論に至った。けれどそれまで木に置いておくと熟柿になって落ちてしまう。自然の中で人はどうにもならぬ課題に直面して生きていることを果実で実感する。
柿を吊るすスペースの確保も問題であり、都会で自然に手を出すことの困難さも嫌というほど感じている。東京を去ってもいいのだが
蓑虫のごと東京にぶら下がる
という生き方が続いている。東京で句会を始めたらどんどん仲間が増えて、はい店をたたんで山中で果実採取生活を始めます、とうわけにもいかなくなっている。
今月はこの柿をどうするかが危急の問題である。絶対、地に落としたくない。

河川敷の住居はかくのごとく大破している。森がかなり消滅すると河川敷には1世帯以上あったことがわかる。彼らはどこへ行ったやら。世界にはボートピープルやら定住しない人たちがいる。税金払わない生き方はやはり苛酷である。




野球場あたりは地面が硬くなった。地面から草や柔らかな土が流れて岩盤が剝き出しになった感じがする。川のそばの砂のやわらかさと岸近くの岩盤と硬さがいま多摩川は際立っている。それを足の裏にしかと感じる。



薙ぎ倒された蘆の中にあった球根状のもの。生姜か茗荷に似た感じだが食えるのか。割ってみると中は白くえぐい風味。
ああ、胡桃はすばらしいなあ。

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