天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

犬も歩けば胡桃に当たる

2019-11-04 04:41:25 | 身辺雑記

多摩川の河川敷は森が消滅して歩きやすい。胡桃もほぼ流れた


浅川の出会い広場。ここも洪水でほとんど流れた


きのう渋柿を求めて多摩川を4キロさかのぼった。ところが土手の木には4個ついているだけであった。柿の残りかたは「木守り」であり誰かに採られたようである。
では胡桃はどうかと「出会い広場」(勝手にそう呼んでいる)へ行くといちめん泥濘となっていた。泥濘の上の板を踏んで胡桃林を散策したがぱらぱらとあるばかり。落穂拾いである。



諦めて柿が輝くように実っているとあるお宅からすこしいただこうと歩き出すと、なんと、胡桃の木があって胡桃が銀杏のように散在しているのではないか。目を疑った。
そこは浅川と程久保川に挟まれた200mほど砂洲のように出っ張った地域(日野市落川)。
浅川から程久保川へ水路があったらしく水門の上に1本が立っていて、水路の中も胡桃だらけである。そこで500個ほど拾って振り返ると、小高いところにもう1本胡桃があって、こちらはまだたくさん青々として胡桃がついている。
それは先に鋏がついている竿で落とした。近所は家が密集しているのに誰も胡桃は見向きもしない。ありがたいがさみしい。
土手の柿は採られて残念であるが仲間がいるみたいでほっとする気持ちもある。



その2本の木の胡桃で自転車の前かご、後ろかごがいっぱいになった。もう柿をお恵みくださいと戸を叩くゆとりが消えた。
それにしても相性のいい土地というのがあるものである。
「出会い広場」で3月大量の胡桃に出会った。自転車にいっぱい積んで5回運ぶ量であった。颱風でそこもだめかと思っていたら小さな公園みたいなところでまた胡桃に遭遇した。このときも「犬も歩けば胡桃に当たる」と思った。またその思いである。
犬のように歩き回る野生果実ハンターは泥にもはまるが福もやってくる。とにかく歩くことである。



果肉が腐るのにひと月かかるだろう。割るのはそれから

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