天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

俺のブログへコメントを寄せる諸君へ

2019-08-04 14:10:05 | 俳句


俺のブログがみなさんの憩いの場になっていることはいい。
8/3の「ひこばえ句会は8月10日(土)」というお知らせに、そのメンバーのいいと思う句を取り上げてコメントを書くのは作句意欲を駆り立てることでいいと思っている。俺のブログの主題に関係ない余興だが。
けれど、なぜ、君たちは、ぼくがきちんと俳句の評論をしたアイテムに対して何も言わないのだ。
7/22「日暮の静かな白い句たち」、7/30「小川軽舟句集『朝晩』を読む」、8/2「小川軽舟は妻をどう詠んできたか」について、俺は読みに全力投球したつもりである。
ここに取り上げた句はどれもレベルに達している句であり、今の鷹を代表している句群といっていい。
それになぜ何も言わなくて、仲間うちの句のみにコメントするのか。それは腰抜けではないか。
俺はこの三つのブログで相当量の内容のある句を取り上げている。俳句について何か言いたいのならこれらについて何か言えないのか。
仲間うちでなくて面識のない大物の句を読むことに果敢に挑め、そして何か言え。
そうしないかぎり君たちの論評の言葉はユニバーサルにならない。言葉を仲間うちのみで使っていたら成長しないよ。


撮影地:府中市片町2丁目、京王線沿線

池永陽『珈琲屋の人々―宝物を探しに』

2019-08-04 06:25:31 | 


「アマゾン」の内容紹介によると、
東京は下町の商店街にある『珈琲屋』。主人の行介はかつて、ある理由から人を殺していた……。心に傷を負った人間たちが、『珈琲屋』で語る様々なドラマを七編収録。
連続ドラマ化もされ、ロングセラーを記録している『珈琲屋の人々』シリーズ最終巻。
行介と冬子の恋の行方もついに……。


行介はさる商店の娘を強姦するという脅迫の極みの地上げ屋をかっとして殺してしまい服役する。模範囚で仮出所ができたのにそれを拒み刑期いっぱい務め上げる。出所して珈琲店をひっそりと経営する。ときに罪を犯した手をサイフォンバーナーで焼く。熱さと痛みに贖罪意識を忘れまいとするいわば硬骨漢。この商店街では街を救ったヒーローである。
行介を幼なじみの蕎麦屋の娘、冬子が好いている。
彼女は行介の収監にともない親の要請で結婚させられるが彼の出所にあわせるように離婚してかつての商店街へ戻ってくる。年下の男との浮気ということだが実は冬子これを切り札にして離婚を成功させたのであった。こちらも一途な女。
人殺しは結婚はできないという行介と子どもをつくらなければいいいのではと願う冬子、そして二人と同級生の洋品店の島木が主要人物のこの珈琲屋に、さまざまの心の問題を抱えた人が集う。

はかばかしく進展しない冬子と行介の間に割って入る外科医の登場。落ちこぼれ塾経営者の子どもたちを守る相談。親がハードな進学塾化を望み子供たちが立てこもりたいという事件。行介を担当した刑務官が彼自身の浮気の相談に来たり、古本屋経営の仲良し夫婦の妻が家出してしまったりと、いろいろな問題がやってきて解決されてゆく。

三角の人間関係を四角…八角…としだいに円とになってゆくように作者が描く人情ものである。そこに熱くてうまい珈琲がある。
猛暑の日々、冷房の効いた茶褐色の珈琲店で熱くて美味い珈琲を飲むのは至福と思わせてくれる。そこに冬子のような美人で賢い女性がいたらなおさら、と思う短篇集である。

中山学の装画もいい。