天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

女は死の淵から頂上に立った

2019-08-01 06:03:05 | 身辺雑記
北岳から望む仙丈ヶ岳(あるいは仙丈岳)



先日亡くなった「鷹」日光集同人、星野石雀さんが出していた雑誌「摩天楼」146号(平成18年11月1日発行)が本棚の隅にあった。それをひもといて故人を偲んでいたら、小生が関わったもう一人の故人のことをいきいきと思い出した。ここに寄稿した「付添登頂記」なる小文を披露する。

付添登頂記
湘子先生が亡くなった4月、ぼくはただただぼんやりしていた。そんな腑抜け状態のとき、10年以上も前につきあった女から突然電話が来た。
その声の蠱惑的な響きは聞き覚えがあった。「日立の栄子さん?」と言うと「覚えていてくれたんですか」と声が弾んだ。自堕落になっているぼくにこの女の声は天女の羽衣のように降り注いだ。以後毎日メールを交換し、青葡萄が熟していくような感情の日々が続いたが、7月のある日ぷつんとメールが途絶えた。不審に思って電話すると、ぎゃーぎゃー泣きわめいている。泣き声の合間の片言から末期の大腸癌を宣告されたことを知った。
栄子は癌を切除し、左腹部にストーマという排泄袋をつけてなんとか命をつないだ。しかし進行性の末期癌であるから先行どうなるかわからない。ぼくは神など信じないが、この再会は神が栄子に最後の愉悦を味わわせるべくぼくを選んだのではないか、と思わざるを得なかった。

手術後抗癌剤治療を受けた彼女は「それは生きながら死んでいる状態だからもうしたくない。歩きたい」と言ってぼくの前に現れた。
はじめ鎌倉の丘を30分も歩けなかった。しかし諦めず毎月付き合ってあちこち歩き、今年の7月、富士山の8.5合目、標高3250mに到達した。ここで高山病のはしりの頭痛に見舞われたことと、下山の足取りの悪さを危惧してぼくは登頂を諦めた。栄子は典型的なX脚で岩場を歩くさまはまるで落ちかけた奴凧。左右にふらつきあまり急だと座り込んでしまう。他の登山者が怪訝そうな顔をして通り過ぎる。それでも栄子は富士山頂に立てなかったことを悔しがっている。屈辱は力である。よしよしその憂さは8月の仙丈岳(3033m)ではらそうということになった。

この山はぼくが大学生のとき約100日小屋番としてはたらいたところ。地形は熟知している。今は基点の北沢峠(2030m)までバスで来られるようになった。仙丈岳はここから登り4時間下り3時間ほどの行程である。
われわれは北沢峠へ昼過ぎ到着、足慣らしに仙水峠(2264m)へ歩こうとした。散歩コースである。しかしぼくが二三百歩あるいて振り返ると立ち止まって恨めしそうに見上げ「めまいがして動けない」と言う。病状が進行しているのか。引き返すしかなかった。
翌日は夜2時半に目が覚めた。外へ出ると月が出ている。無性に歩きたくなった。連れを起こして3時に小屋を出る。時間はあればあるほどいい。きのうのめまいは今日どうなのか。
歩き出して30分が運命の分かれ目とみた。ゆっくり歩く。ついて来られるか。まわりはシラビソの原生林。ついて来る。30分経過。遅れながらも懐中電灯の灯が見える。振り返り電燈で合図。栄子は凄い怖がり屋。200m行っては待つということを繰り返す。
ぼくは人のことをかまうような男ではなかった。人の世が面倒だから歩く。したがってたいてい一人。それが消え入るような女を未明の原生林の中で待っている。栄子のふらつくさまを何度も幽霊のように感じた。女は好きだがかようなつきあいをするようになるとは……。
1時間経過。そう遅れずについて来る栄子を見て、今日は頂上に行ける、いや行くのだと決意した。4時ころかなり明るくなり一斉に鳥が鳴き出す。背後に甲斐駒ヶ岳の稜線は涼しく現れ、空が真っ赤に燃える。動き始めた空気の爽やかさに栄子が声を上げる。この声を聞くとぼくは無上にうれしい。
今日は1年に何日とない快晴。あとは栄子を頂上に立たせること。シラビソ林が切れハイマツ帯となった。ここが標高2600mあたりで一面緑の小仙丈岳(2855m)と「背後の青空がよく見える。ここまでは順調に来た。ぼくは一気に小仙丈岳へ登ったが、栄子にはここが最大の難関になった。
小仙丈岳の岩稜から目をこらしているが30分以上視界に入って来ない。ぼくは焦りはじめた。40分して左右に揺れる身体がようやく見えたが100mほどの距離がちっとも縮まらないのだ。二三歩あるいては止まっている。足を動かせよ心中で叫んでいた。栄子はぼくのそばに来たとき「もうだめ」とつぶやいたが、彼女の顔色、呼吸音、脈拍を冷静に観察した。限界に近づいているもののあとは気力の喚起だと思い、「今日は行く。絶対引かない」と宣言した。栄子には「あなたは優しくないからいい」「あなたといると病気であることを忘れる」としばしば言われてきた。

死が迫っている女ならいま頂上に立たなかったもう後はない。毎回これが最後だと歩いてきた。今日仙丈岳に栄子を立たせることがぼくの天命であり、それが成就したら彼女が昏倒して死んでもかまわない。栄子は夫も子もいる女だが自分自身もそう思っているにちがいない。促すとやはり立ち上がった。急斜面がそそり立っている。
「これを登ると仙丈岳?」と聞かれ、ほんとうはまだ先があるのだが頷いた。ここは嘘をつくしかない。そこを登り切った先に栄子はほんとうの仙丈岳を見たがもうへこたれなかった。
仙丈岳は何十回登ったかわからないが、栄子と立った今日のような味わいは初めて。天命を果たしたというか、煩悩を満たしたというか、いい風が吹き抜けて行く。


追伸:藤田栄子は2006年8月14日に仙丈岳に立ち、翌年6月27日に死去、享年49。