天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

胡桃700個とボール3個

2019-08-13 17:10:18 | 身辺雑記


津田学園が6点取られて敗色濃厚のテレビを消して8時45分仕事に出かけた。途中雨が降ってきてゴミの分別をしながら多摩川へ行こうと思った。
胡桃拾いである。雨なら足が濡れるがばてない。レッツゴー!
まず、是政橋下流、ばらばら落ちている。特に、かの河原人が住むバラックの小屋。「胡桃の落ちる家」と名付けたいほど落ちている。彼はそれを拾わない。




胡桃落つ一人暮らしのトタン屋根
2、3泊して夜、胡桃が落ちる音を聞きたいと思う。冷房がなくて蚊が来て無理かなあ。
その音を想像するだけで楽しい。

土色に似て紛れざる胡桃かな
球形なので焦げ色ですぐ土っぽくなるが一部に光沢がある。やはり胡桃の存在感がある。

はよ落ちて焦土の色の胡桃かな
「焦土の色」というと74年前のかの太平洋戦争を思う。落ちるのが焼夷弾や爆弾でなく胡桃というのは平和であろう。

胡桃林へ行く草むらの道、右が是政橋


胡桃千個拾ひ胡桃に閉ぢ籠れ
学校へ行けない子が増えているという。小生も不登校の少年少女の憩うフリースクールで句会を催したことがあるが、社会がこぞって社会参加を喧伝するのが間違いではないかとこのごろ思う。閉じ籠っていてもいいのではないか。人は個で生きていいのではないか。胡桃を拾って一人でいる時間は乙である。一応社会生活をしている小生も一人は心地よいのである。

胡桃の皺とくと見つめてゐる老婆
老婆でなく俺が見つめたのだが、胡桃の表面の模様はいつ見ても不思議。



バーベキューの四五人胡桃踏んづけて
ここは是政橋の上流500mほどのところ。河川敷がきれいに整備された広場で、テントを張ったりバーベキューをしたり、釣りをしたり、ボートを漕いだりするレクレーション広場。府中の森博物館の裏あたり。
野生果実ハンターにとって胡桃は最大の品目。それに対して世の中でどのくらい競争者がいるかが関心事であったが、世の中のほとんどの人が河原の胡桃に目を向けないことがわかった。それは嬉しくもあり、憂慮すべきことでもある。そこにある食える物、おまけにただの物に手を出さない人間ばかりになって世の中はどうなるのか。コンビニへ行って包装された商品としての食べ物ばかり食べていて人間は生きている実感から遠のくのではないか。
まあ、俺が心配することでもない。俺は野生で食べられる物へ直進するのみ。



水底の誰も知らない青胡桃
水底の胡桃は地上のものより腐るのが遅い。ずっときれいだろう。

窓のなき胡桃の中の時間かな
胡桃の構造はなんと複雑なのか。防御という点で生物の中でトップレベルにある。中に空気をいれない密室はそこに人がいたとしたら絶対、発狂するだろう。死の時間を内包する胡桃。

ばたばたと人死ぬやうに胡桃落つ
大風の吹く夜、かのバラックへやはり泊りたい。そのときそこの住人が死なないことを祈って。

胡桃落とす風あり受くる大地あり
大気と太陽と地球の連携を多摩川へ行くたびに思う。

膝ついて胡桃を愛づる大地あり

さいわい膝も腰も痛みがなく歩き回れる体力がまだある。あまり胡桃に没頭すると汗をかき過ぎて熱中症ぎみの頭痛になる。それはくわばら、くわばら。

搾りたる乳のにほひや新胡桃
搾りたる乳を「生乳」というらしい。読みは「せいぎゅう」と「なまちち」があるらしい。「生乳(なまちち)のしたたる匂ひ新胡桃」と踏み込んでみようか。とにかく乳を感じるのである。




本日、胡桃700個と軟球3個を拾った。
軟球軟球3個ほったらかしにする国は裕福である。ぼくの育ったころボールは1個でもなくなると草の根を分けてでも探した、暗くなるまで。