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天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

シェイクスピア葡萄亭

2019-09-28 05:34:35 | 身辺雑記


一週間ほどとある葡萄を食べている。マスカットに似ていて非なるやつで、野葡萄か山葡萄かと思うものの両者をぼくは知らない。
それは勤めるアパートのそばにありよく通る屋敷に垂れ下がっている。葡萄があまり繁茂しているのでその屋敷を怪しくしている。玄関のわきの茂みの中に「欅の杜 精神衛生相談所」という看板がありこれも不気味である。





二三日前、短篇小説のモチーフになりそうなこの屋敷のピンポンを鳴らした。葡萄について聞きたいのと葡萄をいただいているお礼を言いたくて。勝手にいただいていてお礼を言うのがえらく遅れたが。
中で明るい男性の声がして応対してくださった。
あるじも家の中も明朗。あるじの話では「もとは巨峰でしたが栄養が足りないようでこうなりました」とのこと。「もとは巨峰でした」をおもしろく感じたがそれも疑う。巨峰のとろみがほぼなくてジャリジャリ感なのだ。
建築の珍しさを褒めると「気づいてくれてありがとう」という。
お宅の壁の「シェイクスピアハウス東京」というプレートには
イギリスのストラットフォードにあるシェイクスピアの生家に模して建築されました。玄関や天井の梁などは400年以上前にストラットフォードに建てられていた古民家の部材です
とわざわざ謳うのだから言及してほしいのだと思った。

YAHOOに「シェイクスピアハウス東京」と入れるとなんとヒットする。

-シェイクスピアハウス東京-
シェイクスピアハウス東京とは、府中市の高安寺の近くにある建築物(家)で英国・ストラットフォードにあるシェイクスピアの生家を模して造られたものです。旧甲州街道から多摩川の方向に向かうと、高安寺の右側(西側)を通る道に面しています。
この建物を建てた中嶋(なかしま)さんのホームページからのお写真をご紹介します。英国と日本のシェイクスピアハウスを並べたものですが、良く似ていますね。似ているのは当然です。中嶋さんは「シェイクスピアハウス・プロジェクト」を立ち上げ、専門家や中世英国住宅の建築を学ぶ外国人研修生、ボランティアの方々と、2006年にこの家を造り上げたのです。建築の経緯は下記のサイトをご覧ください。
http://www.lovelylab.net/tarohana/shakespeare/index2.html


イギリスのシェイクスピアの生家


ぼくにとっては「シェイクスピアハウス東京」より「シェイクスピア葡萄亭」である。

雨風に揉まれて葡萄鈍色に
吹降りに色沈みたる葡萄かな
淫らなり日差し蜂螫し葡萄饐え

これを食べているうちに甘味の濃い巨峰が食べられなくなってきた。自然の酸っぱさとシャリ感にがんじがらめになってしまった。

名乗れないほど追いつめてしまった

2019-09-26 03:37:51 | 身辺雑記


きのうKBJKITCHENで句会を催した。
弘子さんの友人の「海」同人Nさんが初参加した。それもあって望外の9人もの方々が集まった。せっかくいらした新来の方の句を採れればいいなあ。その人だけでなく全員から句を採りたいなあ、といつも切に思う。そしてその願いが叶ったことは未だない。

Nさんもいるから穏やかにやろうとしていて1番の句を見たら、どうしようもない擬人化の句であった。おまけにこれに2点も入ったことで温厚の顔が一気に崩れてしまった。
採った人を厳しく追いつめてパンチを浴びせた、かつてのファイティング原田のように。結果、作者も名乗りずらくしてしまった。やってしまった、覆水盆に返らず……嗚呼。
なぜ悪い句がよりにもよって1番に来ていたのか、神を呪いたい気分であったが、1番から8番の用紙に清記したのはぼくなのだ。
2番の句はいい句であったからこれを1番に書いていたらこの悲劇は出来していなかったかもしれないが清記のとき何も考えなかった。

世の中で起きた事故、それに巻き込まれる悲惨……。
これを後で振り返って人はあのとき3分遅く出発すればよかったなどと後悔するが、そのときは予測できないのである。それを慰めるため人は神を創って人為を超えた意思というフィクションにより救済を図ってきた。
自分の手のうちに8枚の短冊があった。その中でどれを1番目に書くかはぼくの意思に委ねられていた。けれど筆記したそのとき、その結果が20分後の起こる自分自身の心の中の動乱を予想できない。

弘子さんは誰かが生贄になることでほかの方々が気づくからそれもいい。悪い句は勉強のきっかけになってくれる。私の句もすいぶんそういう意味で皆さんの勉学に貢献したとぼくを慰めてくれた。
しかしやはりやり過ぎた。
せめてもの救いは手荒なぼくの句会に初参加のNさんがまた来たいということである。

自分自身の気持ちのありようもほかのことと同様に予想できない。どうしようもない自分を神に委ねたいという信者の気持ちに気づいた句会であった。
しかしどの神を選ぶかというと迷ってしまい天を仰ぐばかり、救いからほど遠い。

謙遜は尊大の裏返し

2019-09-19 05:01:20 | 身辺雑記


咲子さんは「いやさか句会についていけるか不安ですが一度伺います」という。彼女の句は何度かみていて、素質があるし句はかなりの水準にあると何度も言っているのに、彼女は口癖のように「ついていけるか不安です」という。
謙虚で控えめなのだがそれに終始するのがずっと気になっている。これは彼女の生きる方便であり武器ではないかと思ってしまう。
日本では尊大より謙遜のほうがずっと生きやすい。人は自分をよく見てくれるだろう。人によく見てもらうと生きやすいし自分も気持ちいい。だから謙遜が身についているような気がする。しかも磯の岩にくっつく藤壺のようにくっついている感じである、

咲子さんは十分ついていっている。ついていくどころか人がついていきたいと思うような句を出している。なのに「ついていけるか不安です」を連発すると人の顰蹙を買うのではないか。鼻持ちならない人ね、ということになる恐れがある。
彼女の場合、本音と装いとの間に境がなくなってしまっていてまさに岩と藤壺の関係になっているようだ。
謙遜というのは尊大の裏返しではないかと彼女を見て思う。

人は誰しも謙遜と尊大、偽善と偽悪との間でわが身を処している。文章など書いているとそれを痛切に感じる。自分をよく見せたいという心理と闘う。そうまでしてきみはなぜ表現するのかと別の自分が中空で問いかける。俳句を書くのも同様である。自分を誇りたい心理とそれを引きとどめる心理が闘う。
謙遜と尊大、偽善と偽悪の間で、では中庸を選べばいかといえば中庸とかふつうといったこともないように思えてくるから厄介である。
とにかく人に生まれたことが厄介なのである。自分を律することが至難なのである。

だから咲子さんのように謙遜に徹するのも生き方なのだがあきらかに行き過ぎている。それを抑えてもっとマイルドに自分をよく見せるか、謙遜を徹底して突き進んで人から嫌われるか、咲子さんはむつかしい生き方をしている。
俳句に関してもよけいなことを考えるので、「書きたいことを十全に言葉にできたか」それだけ考えるようにいった。すると「書きたいという感動が乏しくなってきました」という。
「俳句は感動がなくて書くのです。感動は書くことで湧いてくるのです」
作品と感動の間にも謙虚と尊大のような問題が横たわっている。なかなか解決できないが、それに気づくだけでも視界は変ってくるだろう。



写真:今年はじめて食べた秋刀魚。鷹の台駅前のレストラン

税務署の人の見てゐる稲穂かな

2019-09-17 15:52:57 | 身辺雑記


京王線・分倍河原駅から300mほどのところに、「東京農工大学農学部付属本町農場」がある。すなわち東農大の学校田である。それを見に行く。
父が「秋の田」という季語を自分の俳号にしていたこともあり収穫期の田んぼは毎年ぶらっと見る習性がある。いままでここへは何度か来たが田んぼの面積にそう興味がなかった。それににわかに興味が湧き歩測して調べる。
南北に約200m、東西に約50m、奥に広がりがあり、推定およそ1.2haある。むかしの表現で1町2反。
この面積から米はふつう120俵採れる。一人がご飯を一日6~7杯食べるとして120俵の米は40人を1年まかなえる量である。

歩測する田んぼのわきの草むらに足をとられる。いやあ、いろいろな草が繁茂していること。なかでも猫じゃらしがみごと。





光満ち弾けさうなり猫じやらし
色が透けて金色になりやがてそれも薄れる。






銅メダルほどの重みの葡萄かな
ノブドウかヤマブドウか。後者だと思うが鈍色で汚れているかのよう。洗っても落ちないから地の色であろう。はじめて食べる。マスカットに似るが口の中でとろみがなく、ジャリっとした食感で酸っぱい清涼感がある。焼肉を食べた後、口がさっぱりする。

税務署の人の見てゐる稲穂かな
田んぼは「武蔵府中税務署」の前である。やや川柳っぽい仕立てとなった。ぼくを育ててくれた農家の収入は乏しいと思ってきた。検地がしっかりしていて農民は税金を誤魔化せなかった。

田の中や案山子の如く鈍な奴

帽目深なれば案山子と思ひけり
案山子が3基あると思ったら一つが動いている。稲刈り前の田んぼで何の作業かわからない。とにかく田んぼにはまっていたい奴もいるだろう。

雲の上を行く心地なり稲穂波
雲垂れてじつくり熟す稲穂かな

実りの最後に雲の蒸気と熱が関わるような気がする。雲が蒸らすとうのか米にコクを与えてくれる。

稲の穂は彼の世の香りうとうとす
匂いを言葉にするのは至難。稲作農家に育ったぼくにとって秋の田んぼの匂いは格別。父が「平岩秋の田」と名乗って俳句を書いたのも理解できる。父はとうに彼の世の人。

ここの田んぼは、昔ながらの稲架を組む材料(棒)があるが今でもそれを使って天日干ししているのか記憶がない。しばらくして見に来よう。教育施設であるなら稲架を組んで天日干しして欲しい。天日干しは米の美味さをよくする。



墓場から来た雑誌とゾンビ

2019-09-13 14:02:34 | 身辺雑記


きのう『旬感』という雑誌が伊那市から来た。第15号にして終刊号で「いとう岬責任編集」と表紙にある。川柳あり詩あり俳句ありエッセイありの雑多文芸誌である。
そういえば6年以上前にいとう岬に俳句やらエッセイやら渡していたような気がする。それが活字になったが当然忘れていた。墓場から蘇ったようなむかしの俳句をいま見ると下手でこそばゆい。

いとう岬は伊那市在住の風流韻事を好む輩でぼくより4歳上の兄貴分。
18年前ぼくが50歳のとき故郷伊那市の俳句好きと交流しようとして彼と出会った。そのころ彼は伊那市の指導的立場にある川柳人で時実新子に私淑し何人かをまとめていた。そのころ岬のなりわいは印刷業。雑誌を出すのは片手間であった。
季語がある五七五(俳句)とそれがない五七五(川柳)を同時に10年やったことが俳句にえらく栄養をくれた。川柳をやった効果が「鷹新葉賞」受賞というひとつの成果になったと思っており感謝している。

彼ら川柳人にとってぼくという俳人は黒船の到来であった。特にぼくのように歯に衣をきせず論評する輩に川柳人は慣れていない。彼らは仲間うちの言葉で狎れ合うような句会をしていた。つまり川柳には論評する言葉が欠けていると感じたのである。
黒船がドカンドカンと大砲を撃つことで彼らに論評意識がいくぶん芽生えたかもしれない。言葉は仲間うちでやりとりするものではなく公に通じなくてはいけないということに気づいたかもしれない。少なくとも岬はぼくに言葉の普遍性を感じて栄養としたのではないか。

論評が鈍いこともだが岬は性格そのものがルーズであった。いまもルーズであろう。
雑誌発行が遅れるだけでなく人と面会を約束するようなとき、肝心の時刻と場所をしっかりおさえていない。
あるとき岬がさる新進の川柳人(女性)と面会するといって新宿に来た。ぼくに同席を乞う。岬とぼくは会うことができたが彼女とはどこで待ち合わせるのか。岬はにやにやしていて要領を得ず二人でバスターミナルに突っ立っていた。すると当該女性が向こうからやってきて憮然とした表情で「こんなところにいたんですか」となった。これでよく会うことができたものだと今思う。相手の勘がずば抜けていた。このとき根本をしかとおさえるぼくとルーズな岬とは別人種だと思った。
以後その女性は竹を割ったような性格のぼくと仲良くなってしまった。

いまぼくは岬の悪口を書いているように多くの人は思うだろう。人は人のことをどう感じどう書いてもいいと基本的に思っている。
けれど、岬が彼のブログ「ひまじんさろん」に「天地わたるという男」という題で書いた記事(2009.06.29)はいただけない。褒めるのか貶すのかテーマが鈍いのである。つまり筆者のルーズな性格が出てしまっている。YAHOOに「天地わたる」と入れると、7番目にこれが出る。
これが出たときぼくは「風評被害」を意識し、それに対抗するため自分でブログを立ちあげたのである。自分のことは自分で書いて宣伝しようと思い立ったのである。岬はあらゆる面で反面教師であった。彼がいてくれたので今のぼくがあると思う。

とにかく元気でよかった。
いまは「就労継続支援B型事業所 信州こころん」を立ちあげて障碍者支援活動を仕事にしている。



ぼくの実家と伊那の街のちょうど中ほどにいとう岬宅があり、彼の家の横を自転車通学した。

(有)プロス広栄 福祉事業部 就労継続支援B型事業所「信州こころん」
〒399-4432長野県伊那市東春近榛原9264-2
TEL.(0265)98-7786   
FAX.(0265)98-7787   
メールアドレス:info@cocoron.saloon.jp


 


「こころん」は蕎麦も出している。ルーズな男には色白の賢夫人がいてがっちり支える。彼女がいなかったら今の彼はいない。よくもルーズにしてはあんないい嫁さんをゲットしたものである。それは世界の七不思議であろう。
涼しくなった。蕎麦を食いにゾンビと賢夫人に会いにいってみるか。