
いま、丸山穂高衆院議員(35)への議員辞職勧告決議案で政治が賑わっている。
北方領土へのビザなし交流訪問団に参加した際丸山議員が、「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと元島民を問い詰めたとして、日本維新の会を除名された丸山議員に対し、立憲民主など野党6党派が17日、議員辞職勧告決議案を衆院に共同提出している。
しかしそこまでやるのは行き過ぎではないか。
国際政治において戦争は紛争解決のひとつの手段、方法であることは間違いないのである。彼が戦争をして北方領土を奪い返そうと言ったのでなく、住民に質問したのにすぎない。これは住民との会話の一環であったではなかろうか。
まあ普通の政治家は危ないと判断してしないまずしない発言ではあるが、問題を喚起する一手段としてあり得る。これをきっかけに彼が何を目論んだかは知らないが。
いずれにせよ、国際関係論のなかに戦争は依然として大きな要素として存在し続けている。
口先で戦争反対を百万遍唱えていても戦争を回避できるわけではない。むしろそういうお題目を唱えて、現状分析を怜悧に観察、分析しないほうが戦争に陥るリスクが高いことは歴史が証明してきている。
仮にも国会議員が発言してはならぬタブーをつくるべきではない。
あらゆることが発言されてよく、あらゆる発言が議論の俎上に乗ることが民主主義のおおもとではないのか。
ぼくは一人の意見を寄ってたかって封じ込める勢力にむしろ危険を感じてならない。
いいことだからと全員で推し進めようとする圧力、いいことだから反対者はいないはずである、という意識が議員辞職勧告決議案に通じているのなら、それを危険に思う。それは衆愚政治へ繋がるのではないか。
ぼくらはいいことをしているというのを見せるために使うのは危険であろう。立憲民主など野党6党派が議員辞職勧告決議でまとまったのは逆の意味の保身であろう。

話は変るが、ヒトラーの著書『わが闘争』はドイツで長い間、発禁になっていた。
それが70年ぶり再発売、注文殺到で増刷、というニュースを「HUFFPOST 」が2016年01月20日に配信している。
ホロコーストの原動力となった問題の書であるが、発禁は民主主義を標榜するドイツらしくないと思った。
これは発禁にするほうがおかしいと思う。
ドイツ教職員組合のヨゼフ・クラウス理事長は、『わが闘争』は出版すべきで、学校で教えらえるべきでもあるという。言葉を選びながらも、「もっと危険なのは、この事について口を閉ざしたり、出版を完全に禁止することです」と彼は言う。
ぼくもこの考えに同感する。
太平洋戦争が終結したとき、進駐軍の命令で教科書の不都合な記述に墨を塗って抹消したことがある。「墨塗り教科書」である。
不都合の記述とは、戦意高揚を歌った文章である。
ぼくは一度書かれて印刷されたものは消すべきではないと考える。そのとき書いた人、読んだ人にとって何らかの意味があったはずである。
そういう歴史や事実さえ抹消してしまえというのはすごく危険ではないか。
あったことをなかったことにする、あり得ること(戦争)から目を背けることがいちばんよくないのではないかと切に思う。
