
写真:毎日新聞より
新しい元号を「令和」と聞いて令はすぐ「律令」を連想した。
広辞苑は「律令」について、
「律と令。律は刑法、令は行政法などに相当する中央集権国家統合のための基本法典。律も令も古代中国で発達、隋・唐時代に相並んで完成し、日本をはじめ東アジア諸国に広まった。」
と解説する。
すなわち古代史における律令制導入である。これが本格化したのは、660年代に入ってからといわれる。660年の百済滅亡と、663年の百済復興戦争(白村江の戦い)での敗北により、唐・新羅との対立関係が決定的に悪化し、倭朝廷は深刻な国際的危機に直面した。そこで朝廷は国防力の増強を図ることとした。天智天皇は豪族を再編成するとともに、官僚制を急速で整備するなど、挙国的な国制改革を精力的に進めていった。その結果、大王(天皇)へ権力が集中することになった。
政府はよく「令」が「律令」を喚起し、それが権力集中を意図するという批判を浴びることを予期しなかったものだと少し驚いた。国家がいつの時代でもどの地域でも、中央集権をめざすのは当然のことではあるが。
官房長官や首相は、出典は万葉集とし、
「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の漢文で書かれた序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」からとった、という。
政府が詩歌を称揚し平和を願うのはいい。しかし詩歌の抒情にかこつけて政治が本質を糊塗するのではかと疑う。
元号というものが君が代そのものであり、権力の権化である。君が代の骨子は「さざれいしの 巌となりて こけのむすまで」である。このテーゼで無能な権力はつい最近、馬鹿な、無謀な、惨たらしい戦争をして何百万の自国民と他国民を殺傷した。
強い政府はいい。その下で国民は安定して暮らすことができる。けれど「さざれいしの 巌となりて」は怖い。束になることを「ファッショ」という。束になるとあたりが見えなくなる。
ぼくは何から何までいちいち政府に反対するほど天邪鬼ではないが、「令」にはファッショの匂いを感じつつ新しい元号を受け取った。拒絶はしない。