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天地わたる手帖

ほがらかに、おおらかに

律令による平和「令和」

2019-04-01 15:35:18 | 社会

写真:毎日新聞より


新しい元号を「令和」と聞いて令はすぐ「律令」を連想した。
広辞苑は「律令」について、
「律と令。律は刑法、令は行政法などに相当する中央集権国家統合のための基本法典。律も令も古代中国で発達、隋・唐時代に相並んで完成し、日本をはじめ東アジア諸国に広まった。」
と解説する。
すなわち古代史における律令制導入である。これが本格化したのは、660年代に入ってからといわれる。660年の百済滅亡と、663年の百済復興戦争(白村江の戦い)での敗北により、唐・新羅との対立関係が決定的に悪化し、倭朝廷は深刻な国際的危機に直面した。そこで朝廷は国防力の増強を図ることとした。天智天皇は豪族を再編成するとともに、官僚制を急速で整備するなど、挙国的な国制改革を精力的に進めていった。その結果、大王(天皇)へ権力が集中することになった。

政府はよく「令」が「律令」を喚起し、それが権力集中を意図するという批判を浴びることを予期しなかったものだと少し驚いた。国家がいつの時代でもどの地域でも、中央集権をめざすのは当然のことではあるが。
官房長官や首相は、出典は万葉集とし、
「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の漢文で書かれた序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」からとった、という。
政府が詩歌を称揚し平和を願うのはいい。しかし詩歌の抒情にかこつけて政治が本質を糊塗するのではかと疑う。
元号というものが君が代そのものであり、権力の権化である。君が代の骨子は「さざれいしの 巌となりて こけのむすまで」である。このテーゼで無能な権力はつい最近、馬鹿な、無謀な、惨たらしい戦争をして何百万の自国民と他国民を殺傷した。
強い政府はいい。その下で国民は安定して暮らすことができる。けれど「さざれいしの 巌となりて」は怖い。束になることを「ファッショ」という。束になるとあたりが見えなくなる。

ぼくは何から何までいちいち政府に反対するほど天邪鬼ではないが、「令」にはファッショの匂いを感じつつ新しい元号を受け取った。拒絶はしない。

東京五輪は性にどう対処するのか

2019-03-08 12:19:33 | 社会

キャスター・セメンヤさん


女子800メートルの五輪女王キャスター・セメンヤさん(南アフリカ)である。2月14日14:59、英紙タイムズが配信したニュースに注目した。
要約すると、
国際陸上競技連盟(IAAF)は、キャスター・セメンヤは「生物学上は男性」に分類されるべきであり、女子の競技に出場するのであれば、男性ホルモンのテストステロン値を抑える薬を服用しなければならないと主張する見通しである。
というものである。
これに対してセメンヤさんはテストステロン値が高い女子選手の出場資格を制限するIAAFの規定についてスポーツ仲裁裁判所に提訴しているという。
さすがにIAAFは「生物学上は男性」という部分をすぐさま否定し「性分化疾患(DSD)」のアスリートと言い替え、競技の公平性を守るため、薬でテストステロンの値を下げない限り大会に出場できないと主張し争う見通しだという。

ぼくは、あやふやな性別の表現に関して国際陸上競技連盟が言う「性分化疾患」はおおむね理解する。
性別案件に関してセメンヤさんのような立場の人は「両性具有」とか「インターセックス」とか「半陰陽」とか呼ばれてきた。それを科学にもとづき冷徹に「性分化疾患」と言うとかなりすっきりする。病気、障がいのイメージは濃くなるデメリットを考慮しても、陰鬱な情緒をまぶした蔑称めいた呼び方よりはよほどまし。

薬でテストステロンの値を下げて欲しい、という声は性分化疾患の選手一緒に競走する女性選手にあったらしい。
2016年リオデジャネイロオリンピックの女子800メートルで6位に終わったリンジー・シャープ選手(英国)は、涙ながらに(金メダルを獲った)セメンヤさんと戦うのは「本当につらかった」という。
この不公平感に国際陸上競技連盟は是正を考えたのだろう。

国際陸上競技連盟が着目するテストステロン分泌量について、一般的な男女の場合はテストステロンの差があるのは事実。
けれど女性でも通常の男性のレベルでテストステロンを分泌するケースもある。五輪に出場するほど高い技能を持つ選手の場合、男女の間でテストステロンにそれほどの違いがなかったりする。
このため、そもそも、男性ホルモンがスポーツのパフォーマンスの決め手になりうるのかどうかについて疑問を呈する声が出ている。
これに基本的人権を問題にする考えが結びつき、ホルモンなどのセックスチェックそのものがいけないという運動も起こりそうである。
しかしぼくは、競技の公平性を考えると内分泌系の性診断はせざるを得ないと思うのである。
プロレスなどの見せることの興奮、おもしろさのみを尊重する興行ならば、性やほかのことはほとんど問題にならない。むしろ常人と異なった要素が観客動員に通じる。人は見たこともないものを見たい衝動や欲求を満たすことになるのである。劣悪な欲求だが人にはそれが存在する。
オリンピックや世界陸上などの競技の王道を意図するならば「男子」「女子」を区別をするということは避けられないだろう。

ホルモン量をはかって女性としての基準量を超えた場合、薬でもってこれを抑制する。この措置はドーピングを取り締まろうという姿勢に逆行する。これを損ねかねない措置である。薬物違反はいけないが薬物で理想(標準)を求めてもいいというのは妙であり、矛盾である。
矛盾であるが手を打たねばならぬことも事実である。

男性ホルモン量の多寡を性別判定に持ち込むと、100%男性、100%女性というものが存在しないということに発展する。すると男性と女性との間のどこに「線引き」をするかという議論も出来するだろう。
線引きは無理ゆえ男性、女性でない「第3の枠」をこしらえようという発想も生まれても不思議ではないがまだ現実的ではなかろう。

ぼくが育った昭和30~40年、「男の子は男らしく、女の子は女らしく」はしごく当然の言い方であった。健康で向日的で未来をあかるく感じさせた。
けれどそのころすでにこの言い方の背後の陰で落ち込み、自分をむなしく感じていた子どももいたのだろう。
セメンヤさんはおそらく故郷で日本でいう「おとこおんな」みたいな蔑称と闘って生きてきたのだろう。げんに彼女は自殺しようとしたこともあり自殺予防のカウンセリングを受けたとも聞く。

ぼくは過酷な運命のセメンヤさんにそれを承知で男性ホルモンのテストステロン値を抑える薬を服用することを受け入れて、出場してほしいと願う。
彼女が走る姿がテレビで全世界に報道されるそのことが性別で悩み、闘うことのメッセージになるからである。セメンヤさんは幾多の困難を経た鉄人である。
国際陸上競技連盟の勧告をのんで東京で走ってほしい。セメンヤはセメンヤであるという誇りを東京で表現してほしい。

問題は日本でこの問題が真剣に検討、論議されているか、ということである。競技場ができた、外国人を迎えるボランティアを集め訓練した、交通の利便性を高めた、インフラ整備をした。それは当然なされるべきで日本の技術力は開幕までにきちんとさせるだろう。信頼している。
しかしセメンヤさんに代表される性の問題など哲学系の命題は端っこに置かれてはいないか。基本的ゆえにすごく難しい問題。だからこそ議論して日本の、日本人としての態度を明確にしなければならない。
オリンピックに浮かれるのはいいが、背後の深くて暗い穴のような問題を見る努力をしなければならないだろう。