社労士みょうみょうの“やめない・つづける・はじめる”方法

介護離職や育児離職をしないで
仕事を「つづける」方法を探しましょう!

人と会って語った時間が自分の最高の財産になる

2016-09-25 04:44:50 | 日記
女優の久本雅美さんがコミュニケ―ションに関する本を書いています。

芸能人が書くその手の本は…特に久本さんのように、しゃべるのが仕事である人のアドバイスってそもそもコミュニケーション不全で悩む人に有効なのか…

そんな先入観があります。では、中身をのぞいてみます。

久本さんは短大時代、「3倍ちゃん」と友人たちから呼ばれていたそうです。人の3倍しゃべるからじゃなくて、人の3倍気をつかう、考えるからです。

どうしたらコミュニケーション上手になれるかという問いに対しては、

心掛けるポイントはあるにせよ、マニュアルはない。相手に合せることが大事、会話の第一歩は相手を思いやること。あるベテランコメディアンの「面白くなくてもいいんだよ、優しくなればいいんだよ」という言葉を引用し、笑わせようという気持ちも、人への優しさがあって上手に伝わるのでは、と説明しています。

意外なような、当たり前のような…

プレゼンもコミュニケーションの一つですから、同じことですね。お客様に商品説明をするのも、相談に応じるときもやはり同じなんですね。

久本さんは現代の個人優先主義をもったいない!と言います。

今は自分の時間を大切にする風潮が強くなっていて、それは悪いことではないけど、友達や職場関係からの誘いより自分を優先してしまうのは正直「もったいない!」

積極的に人に会い、語ったことは自分にとって最高の財産。

自分なりに広げて解釈するとですね…

生身の人間はもちろんなんですが、つまり、意味ない・時間の無駄・関心がない…と思うことでも、見くびらないでやってみようよ、そこから何かを得ようよ!ってことだと思うんです。難解でとても歯が立たない書籍でも、まったく関心のない分野でも、人に勧められたり、いっしょに行こうよって誘われたりしたらやってみるってことかな。

自分の時間を大切にするって、自分だけの時間だけのことじゃないです。ついそう思いがちですが、特にこどもとずーっといっしょだと…でも子どもと過ごす時間だってやはり自分の時間なのです。

人と会って語った時間が自分の最高の財産になる

気に入ったのでもっぺん書いてみました!


人に心を開いてもらいたい時、私が必ずやること、やらないこと

働き続けたい女性に贈る愛と勇気のメッセージです

2016-09-18 06:21:02 | 日記
元厚生労働事務次官の村木厚子さんといえば、2009年の郵便不正事件で逮捕・起訴され、その後裁判で無罪が確定され、1年3か月ぶりに職場復帰した人として有名です。

顔写真がいろんなところに出ていたので私も顔ぐらいは知っていました。事件の概要もなんとなくですが知っていて、地味な印象と事件とのギャップに違和感がありました。

ある新聞に一面を使った彼女のインタビュー記事が載っていて、はじめて彼女の人となりと郵便不正事件のことをちゃんと知りました。

先日、仕事で霞が関の厚生労働省へ行くことがあり、地下の売店の本屋に文庫版の『あきらめない~働く女性に贈る愛と勇気のメッセージ』があったので、すぐに購入し、帰りの新幹線の中で完読しました。

村木さんが国家公務員になったのは、なにはなくともとにかく働き続けたかったからだそうです。地元高知県の国立大学を卒業し、県庁に入って結婚後も働き続けるという目標があったのですが、国家公務員試験の方が早くて、地方公務員試験の練習のつもりで受けたら受かってしまったのと、県庁の面接のときに、「女性職員の県庁における役割は~」という面接官の言葉に、結婚後も働き続けるのは無理かもしれない…とあきらめたのです。旧労働省に入ったのは、試験後どこの省庁にするか説明会などに行き決めなきゃいけないのに知らなくて、残ってるのは労働省だけだったとか…ちなみに採用の決めてになったのは、お酒が飲めますかの問いに元気よく「はい!」と答えたからだとか。本当かどうか知りませんが、面白いですね!

村木さんは同僚と結婚しますが、お子さん2人が生まれても仕事は容赦なく質・量ともにマックス状態で、両親はどちらも東京からほど遠く、保育ママを活用して乗り切ったそうですが、周りの人からは「悲惨ですね」とよく言われたようです。

村木さんみたいになりたい!じゃなく、村木さんでもできた!と普通の人のモデルになれたら…そんな思いで、ときに、夫婦が両方別の地方勤務となり、子連れ赴任などもしてやり抜いてきたのです。

普通の人のロールモデルになれたら、そんな堅実な夢は郵便不正事件で崩れ去ってしまいます。逮捕されたらもはや普通のモデルなんかじゃない…いままでのがんばりがすべて無駄になったような思いだったでしょうね。

サブタイトルが~働く女性に贈る~となっているように、働き続けれるヒントがいっぱいいっぱい書かれています。

そのなかのひとつ、今の自分には一番必要なことと思うのでここで紹介します。

階段を一段上がれば見える景色が変わる

力がついたから昇進するのではなく、昇進するから力がつく
下の段から背伸びしても見えなかったことが、階段を昇れば簡単に見える

女性活躍推進といいながら、昇進することを望まない女性が多いのは、男性の働き方を見ていて、こんなのはイヤ…と思うからなのですが、昇進を拒んだままでは道が開けないのも確かです。

子どものこともあれば、自分自身の自信のなさもあり、せっかくの仕事のチャンスに足踏みしていることがあります。

期待通りに仕事ができず、がっかりされること、失望されることへの恐怖心もあります。

でもそれだと本当にそこで停滞してしまうのです。

村木さんの本はタイトルどおり、あきらめなければ物事は成し遂げられ、本当に愛と勇気が満載です。働く女性のみなさん、ぜひ一読を

男女雇用機会均等法って、その昔「勤労婦人福祉法」なんて名前だったんですね

2016-09-04 06:14:41 | 日記
雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律

長い名前の法律ですね。いったいなんの法律なのかわからなくなりそうですが、みなさんおなじみの均等法、男女雇用機会均等法のことです。

私はこの法律ができた当時高1か高2でした。

ある女性教諭が大騒ぎしていて、女子生徒に作文とかを書かせていたのを覚えています。

なので均等法成立は昭和60年前半と思い込んでいました。

ところが、この均等法の下のカッコ書き(成立年が記されている)に昭和47年とあり、不思議~に思っていました。

実は均等法は、昭和47年にできた勤労婦人福祉法という法律の改正法なのですね。

女性だけが対象となっていたこの法律の対象を男性にも広げ、原形をとどめないほどに改正されたようです。

勤労婦人福祉法ってずいぶん古めかしい名称です。

そんなものがあったこと自体知らなかったです。

今あるものを当たり前のように思ってしまいますが、当然ながらそうではないんですね。

育児介護休業法も今じゃ当たり前ですが、年配の人たちが「私たちの時代は~~」と言うのは、当時はなかったからなんですね。

育児休業法は(当時すでに高齢化社会でしたがまだ介護休業はない)1991年にようやくできています。

育児休業と言えば、雇用保険の雇用継続給付から日給の半分ほどがでるものと当然のように思われていますが、制度発足当時はそういった補償はなく、徐々に25%、40%、50%というふうに多くなりました。

今あるものの歴史を知ると先人たちの苦労がわかり、興味深いです。

最近読んだ『均等法をつくる』も、波乱万丈のドラマが描かれていておもしろかったです。

こんなもん意味なーい!と不満タラタラの事柄もその裏事情を知るとまた別のおもいが生じるかも…