北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

第14回口頭弁論 速やかに結審、差止判決を!

2015-05-25 | 志賀原発廃炉訴訟


第14回口頭弁論。
私の意見陳述ということで、わざわざ遠方から駆けつけてきてくれた人、本当に久しぶりに会えた人もいました。
感謝!



報告集会では、有識者会合の議論は運動の大きな前進につながるが、これで廃炉が決まったというわけではない、北電はあらゆる手を尽くして再稼働を目指してくる、有識者会合の意見一致を活かす私たちの訴訟がいままで以上に重要になってくると訴えました。



以下、意見陳述の原稿です。
結論は「速やかに差止判決を!」の一言ですが、今日のたたかいが中町良雄さんらかつての福浦反対同盟、橋菊太郎さんら赤住を愛する会など、先見の明をもった先人の皆さんのたたかい、歯を食いしばっての厳しいたたかいの延長線上にあることをあらためて確認したくて、そして若い人たちにも知ってもらいたくて書きました。
ご笑覧ください。

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北野意見陳述原稿

1.はじめに
原告団長の北野です。
さる5月13日、原子力規制委員会の有識者会合が開かれ、今回の訴訟の重要な争点の一つである志賀原発敷地内断層の評価について、「活断層の可能性を否定できない」という見解で一致しました。本件訴訟における私たちの主張を4人の専門家が揃って追認したのです。今後、次回の有識者会合で報告書案が提示され、委員の皆さんの議論を経て、原子力規制委員会に提出する報告書がまとめられるという流れになりますが、4人一致の事実は重く、報告書の結論は決まったと言っても過言ではないでしょう。
本件訴訟の大きな節目をむかえました。そこで以下、原告団長として意見を述べさせていただきます。陳述の趣旨は、今回の敷地内断層の評価を踏まえ、裁判所は速やかに結審し、私たちの請求を全面的に認める判決を出していただきたい、この一点に尽きるわけですが、S-1をはじめとした敷地内の活断層の存在について、北陸電力が志賀原発の計画を公表した1967年まで歴史をさかのぼり、3つの観点からその理由を述べさせていただきたいと思います。

2.追い込まれた用地買収
1967年11月13日、北陸電力は、当時は能登原発という名称でしたが、旧志賀町赤住から旧富来町福浦にまたがる330万平方メートルの用地を買収する建設構想を明らかにしました。この地点を選定した理由として、地盤の信頼性や津波回避などの安全性、用地の平坦さや送電線の距離などの経済性、移転家屋が少ないなどの社会環境の3点があげられました。
この構想発表を受け、赤住地区のほとんどの地主からは大きな反対もなく、1970年8月、地主98人と北陸電力は買収調印式にいたりました。しかし福浦地区、現在の志賀原発敷地境界の北側になりますが、この福浦地区では住民が直ちに福浦反対同盟を組織し、激しい反対運動を展開し、北陸電力は早々に計画変更を余儀なくされました。1970年11月、北陸電力は福浦地区での用地買収の断念を決定し、炉心を650メートル南に移動させ、赤住地区での66万平方メートルの追加買収方針を明らかにしたのです。
赤住なら大丈夫という認識があったと思われますが、2次買収計画が明らかになるや赤住の雰囲気は一変し、赤住を愛する会など反対組織が相次いで組織され、強硬な反対運動が展開されました。その理由は炉心から集落までの距離がわずか600メートルになったこと、そして追加買収予定地が土地改良によって新たな農地となるはずの土地だったからです。これに対して北陸電力は買収単価を約4倍に引き上げるなど札束攻勢に出て、小さな100戸余りの赤住の集落はお金と不信感、疑心暗鬼から2つに引き裂かれていきました。
結果的に札束攻勢も功を奏せず、翌1971年、追加買収予定地を3分の1に縮小し、炉心を集落から850メートルの位置へと移動させる方針転換を強いられました。しかしその後も反対派は手を緩めることなく、買収予定地内に39人による共有地を登記し、現在も残る団結小屋を建設し、買収計画は完全に頓挫したかに思えました。
窮地に追い込まれた北陸電力でしたが、1986年、なんと2次買収を断念し、敷地計画をさらに縮小する奇策に打って出たのです。難攻不落の団結小屋を避けるための姑息な手段であったことは明白ですが、当初からの敷地計画や買収交渉は何だったのか、大きな不信感を残しました。志賀原発の敷地は当初予定の330万平方メートルから154万平方メートルへと実に半分以下にまで縮小されたのです。買収予定地の移動や縮小と連動し、二転三転、さらに四転までした末に決まったのが現在のS-1が横切る1号機の原子炉建屋の位置です。
まずは立地ありき、北陸電力が自ら適地として選定した場所でないことはこの立地の経過からも一目瞭然です。むしろ反対運動によって絶対に建ててはいけない場所に追い込まれていったという表現が適切かもしれません。有識者会合での北陸電力の説明は、私には後付の言い訳にしか聞こえません。これ以上、北陸電力の弁明につき合うのは時間と労力の無駄だと言わせていただきます。

3.墓穴を掘った安全意識の欠如
2点目として北陸電力、国、司法の安全確保に対する意識の低さを指摘しておかなければなりません。特に北陸電力については、2号機着工のために臨界事故隠しまで行うなど、安全意識の欠けた特異な企業体質であることを第30準備書面で明らかにしてきました。わずか数十メートル、原子炉建屋の位置を北東方向へ移動させ、S-1の露頭をはずして原子炉建屋を建設しようとすらせず、結果として今日の議論の発端となったわけですが、不思議でもあります。私は、まさにこれが安全意識の欠如の象徴であり、北陸電力自ら墓穴を掘ったものと思います。
S-1はじめ現在問題となっている敷地内断層の存在は北陸電力が1987年に提出した1号機の原子炉設置許可申請書にすでに掲載されています。しかし国の審査は当時の通産省と原子力安全委員会のダブルチェックと言いながら実質的な議論すらなく申請書を追認するだけの形式的な許可でした。
1988年には建設準備工事の現場作業員からの内部告発文書がある出版社に届けられ、その告発内容は出版という形で公になり、「炉心付近の大断層」の存在は多くの県民の関心事にもなりました。ところがここでも北陸電力は「安全評価上、活動性が問題となる断層がないことはすでに確認しています」との回答に終始しました。
この年の12月1日、私たちは1号機の建設差し止めの訴訟を提訴し、「北電は敷地内断層の存在を無視している」との主張を展開しました。しかしながら金沢地裁、名古屋高裁金沢支部、そして最高裁に至るまで、私たちの主張は不当にも一顧だにされませんでした。
北陸電力ははじめに立地ありき、行政は事業者の申請書を追認するだけ、そして司法はそのような行政に追随してきただけと言わざるをえません。
そんな中、私は6回の会議を重ねた有識者会合の議論に注目し、その大半をインターネットを通じて視聴してきました。なにより地震という巨大な自然現象を前にして謙虚さが感じられました。活断層であるはずがない、そんな予断をもった議論は一切なく、あらゆる可能性を疑ってかかる科学者本来の姿勢も見られました。当初からこのようなメンバーで安全審査がおこなわれていたら、日本の原発立地の歴史は大きく変わっていただろうと思わずにはいられません。
さて、原子力ムラの科学者の議論を追認してきた司法ですが、科学者本来の議論を経て導かれた今回の結論にどう向き合うのか、多くの市民が注視しています。まさにいま問われているのは司法の安全意識です。司法も変わったという姿をぜひ全国の市民に見せていただきたいと思います。

4.騙された地権者
あと一点触れておきたいのは、活断層の存在を全く知らず、先祖伝来の土地を原発に売ってしまった地権者、漁業権を放棄してしまった漁業者のことです。
敷地内断層が活断層であるかどうかの最終判断は、手続き的には今後、原子力規制委員会の議論を経なければなりません。しかし、このような問題が浮上すること自体、1967年当時の第一次買収に応じた赤住の住民は知る由もありませんでした。集落を二分した第二次買収のときにもこうした情報はまったくありませんでした。北陸電力が語るバラ色の地域振興に夢を託した人、エネルギー基地化に地域の誇りを感じた人もいたかもしれません。中には実印を押す直前まで迷い、苦渋の選択をした人もいたでしょう。しかし最も多いのは、北陸電力の語る「絶対安全」を微塵も疑わず大きな企業誘致という感覚で同意した人ではなかったでしょうか。活断層が直下にある危険な原発を孫子の代に残すことになるとは誰一人、夢にも思わなかったでしょう。多くの当事者はすでにご存命ではないと思いますが、まさに無念の一言ではないでしょうか。
今さら騙されたと言っても売買契約は取り消せないかもしれません。契約の無効を叫んでもマツタケがたくさん採れた松林は元には戻りません。時計の針を戻せないのならば、今できることは今を生きる私たちが未来への責任を果たすこと。つまり一日も早い廃炉の実現、原発の危険性を除去することしかありません。

5.まとめ
私たちは活断層の存在を確信し、廃炉を求め、ときには北陸電力に申し入れをおこない、ときには行政にも働きかけ、そして運転差止を求める裁判もたたかってきました。私たちは一市民として声を張り上げ、様々な行動を展開し、これからもやれることはすべてやっていく決意をもっています。しかし、残念ながら運転差止の権限だけは持ちません。止める権限を持つのは裁判長はじめ裁判官の皆さんです。
計画浮上から48年、活断層の存在をいまだ認めない北陸電力の責任は言うに及ばず、活断層の存在を見逃してきた原子力安全委員会、そして司法の責任も重大だと声を大にして指摘しなければなりません。「活断層の可能性を否定できず」と専門家の見解が一致した志賀原発48年の歴史的意義を十二分に勘案していただき、速やかに結審し、志賀1号機、2号機合わせての運転差止の判決を出していただきますようお願い申し上げ、意見陳述とします。


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