北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

第42回口頭弁論 原告意見陳述原稿(画像付き)

2024-05-14 | 志賀原発廃炉訴訟


2024年5月13日

金沢地方裁判所 御中
意見陳述書 
-裁判所はこれでも原子力規制委員会に追従するのか-

原告 北野 進


今回の能登半島地震で壊滅的被害を受けた珠洲市に住む原告の北野です。
珠洲市にはかつて関西電力、中部電力、そして被告北陸電力の3社による原発の建設計画がありました。私は地域で反原発運動に取り組む中で1991年から石川県議を3期務め、県議会でも珠洲原発阻止に向けて活動し、志賀原発の安全対策や防災対策の不備も指摘をしてきました。2003年に珠洲原発の計画が撤回された後も、志賀原発廃炉への運動に関り続け、本件訴訟では原告団長を務めています。本日は能登半島地震の教訓を踏まえ、あらためて志賀原発の危険性を指摘し、早期結審を求めたいと思います。

1.珠洲原発予定地のいま
まず、今回の能登半島地震前後の珠洲原発の予定地の様子を紹介します。



これは地震前の中部電力の予定地・寺家の様子です。写真右側の入り江の奥が炉心予定地です。



そこはいま、1メートル近い隆起が確認できます。



炉心予定地の前に広がっていた浅瀬は岩場へと姿を変えています。



こちらは関西電力の予定地・高屋です。



私たちが30日間にわたって立地可能性調査の阻止行動を展開した場所の前に広がる海岸はまるで別世界です。



高屋漁港の防波堤に行くと私の身長を大きく超え2メートル程度の隆起が確認できます。
ちなみに志賀原発は20センチの隆起を想定しているとのこと。

もし寺家や高屋に原発が建設されていたならば、そして当初から語られてきた1000万キロワットの巨大な原発基地となっていたならば、珠洲どころか北陸一帯が高濃度の汚染区域、さらに風向きによっては西日本、あるいは東日本へと放射能は拡散していたことでしょう。





「珠洲に原発がなくてよかった」との声が市内外から多く寄せられています。かつて積極的に原発誘致に取り組んだ住民も、珠洲に原発がなくてよかったとしみじみ語っています。避難はできず閉じ込められ、被ばくを強いられる恐怖を感じたのです。

2.計画自体が誤りだった珠洲原発
「はて?」これは、日本初の女性弁護士、判事、裁判所所長となった三淵嘉子さんをモデルにした現在放映中のNHKの朝ドラの主人公、寅子(ともこ)の口癖ですが、はて?被告北陸電力は能登半島地震が起こったいま、珠洲の原発計画についてどう考えているのでしょうか。機会があったらぜひ問いたいと思いますが、確実に言えるのは、予定地は絶対に建ててはいけない場所だったということです。「計画自体誤りだった」と認めるべきでしょう。

3.大断層に囲まれた志賀原発



 珠洲が関西電力の立地可能性調査を巡って揺れていた1993年、志賀原発1号機が営業運転を開始しました。1号機設置許可申請書に添付されている活断層図を紹介します。珠洲の沖合にも志賀原発の周囲にも、能登半島周辺にも大きな活断層はありません。2号機もほぼ同様の資料が添付されています。
これが当時の地震学の知見です。





市内全戸に配布されたチラシには「地震に自信あり」とありますが、過信でしかありません。



地震学は前進し、いまや志賀原発周辺は大きな活断層だらけです。次なる大地震に果たして志賀原発は耐えられるのか、周辺住民はもちろん、全国各地、多くの国民が不安視しています。


 
地盤の隆起は大丈夫でしょうか。そもそも奥能登に限らず能登半島は、かつては海の下、地震による隆起でできた半島であることがすでに明らかにされています。



では現在の地形で隆起は止まったのでしょうか。後期更新世以降も隆起が続いているとの研究成果が発表されています。珠洲原発の予定地同様の隆起が、志賀原発の運転期間中に起こらないと誰が断言できるのでしょうか。



今回の地震で敷地内は平均4センチ程度沈降したと北陸電力は発表しました。
しかし海岸部では一部隆起らしき痕跡が確認できます。敷地の隆起は20cmを想定し、傾斜は立地審査ガイドラインで2000分の1とされていますが、敷地内の凸凹はどこまで調査、検討されているのでしょうか。
珠洲原発同様、志賀原発も建ててはいけないところに建ててしまったとしか思えません。

4.能登半島地震の教訓 ー地震学の限界ー
そこで二つ目の「はて?」ですが、裁判所は今回の能登半島地震から何を教訓として学ばれたでしょうか。
私は2つの教訓があると思っています。一つは地震学の限界です。
 「志賀原発は13年間止まっていてよかった」と安堵する声が多く寄せられています。もし稼働中に震度7の激しい揺れが志賀原発を襲ったならば、あるいは原発の弱点である短周期の強烈な揺れが襲ったならば、あるいは隆起が起こったならばどうなることか。これは決して荒唐無稽な仮定ではありません。
今回の地震で北陸電力の活断層評価、連動評価に対して大きな疑問符が付きました。同時に審査する原子力規制委員会への信頼も地に落ちました。



審査中だと言い逃れすることは許されません。昨年10月6日の審査会合では、能登半島北部の断層や連動評価については北陸電力の報告を了承する方向で審査は進んでいました。北陸電力や私たちにとって不幸中の幸いは審査中にこの地震が起こったということ
です。審査を終え、合格し、運転を開始した後で大地震が襲っていたらと思うとぞっとします。「新たな知見を今後の安全対策に活かします」と言われても後の祭りです。地震はいつ、どこで、どのような規模で、どのような起こり方をするのか、予知につながる理論を確立する見通しは立っていません。電力会社や原子力規制委員会はもちろんのこと、裁判所も地震学の限界に対する謙虚さが必要ではないでしょうか。

5.能登半島地震の教訓 ー原子力災害対策指針の破綻ー
もう一つの教訓は原子力災害対策指針とそれに基づく原子力防災計画・避難計画の破綻です。
能登地域を中心に8千棟を超える家屋が全壊。かろうじて立っている家も傾き、隙間だらけ、あるいは戸や窓が外れ放射能は入り放題。屋内退避の意味はなく、そもそも余震が怖くて家には入れません。
加えて道路はあちこち崩落、がけ崩れ、亀裂や陥没などで通行不能です。奥能登の地形特有の損壊箇所もありますが、通行止めは至る所で発生します。家や電柱の倒壊、液状化によるマンホールの浮上、津波によるがれきの散乱、橋の前後ではほぼ全てに段差が生じます。ひどいところは1メートル
以上ですが、20センチの段差があっても車は走れません。志賀原発以南でも大きな揺れが襲えばこうした事態は十分想定されます。
ここに志賀原発の重大事態が重なり、全面緊急事態に至ればどうなるでしょうか。5キロメートル圏住民の「即時避難」など到底無理。5キロから30キロメートル圏の住民は「まずは屋内退避」ですがこれも無理。放射線防護機能を備えた避難所ですら、全21施設中、6施設が避難所機能を果たせませんでした。
避難計画に盛り込まれている項目の破綻を個々に指摘する時間はありませんが、震度7の地震で初動体制も含め、すべての項目が破綻。そもそもすべての防災関係者が地震や津波、火災対応で忙殺、翻弄されており、原子力防災業務を担う余力はありません。
原子力規制委員会の山中伸介委員長は、こうした事態から目を背け、指針の見直しは行わないと明言しています。多くの国民はその意図を見抜いています。全面的に見直すとなると稼働中の原発は停止、新たな再稼働も進まなくなります。そもそも原発震災を想定した避難計画など作れないのです。

6.これでも原子力規制委員会に追従するのか
本件訴訟は提訴からまもなく12年を迎えます。敷地内断層問題で「原子力規制委員会の判断を待つ」とした裁判所の審理方針がその大きな原因です。被告北陸電力は引き続き原子力規制委員会の審理・判断を待って結審するよう求めています。そこで3つ目の「はて?」ですが、裁判所は今回の能登半島地震を目の当たりにしても、またぞろ原子力規制委員会に追従するのでしょうか。地震学の限界を自覚せず、原子力災害対策指針の破綻を認めない原子力規制委員会は、私には裸の王様にしか見えません。司法の存在意義が問われています。私たちの命がかかっています。能登半島地震を教訓として、裁判所自ら原発の危険に真剣に向き合っていただきたい。全原告の思いを代弁し、強く訴えます。
今日ここに予定通り法廷が開かれていること自体が珠洲原発を阻止できた賜物です。地震が起こるタイミングが少しずれていたら私も犠牲者の一人となり今日ここで陳述することはなかったでしょう。大きな幸運に感謝し、私の意見陳述を終わります。



コメントを投稿