北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

半島先端、風下方向に避難する、ありえない原子力防災訓練

2021-11-24 | 活動報告


11月23日、石川県が主催の原子力防災訓練がおこなわれた。
志賀町で震度6強の地震が発生し、志賀原発は外部電源を喪失、ECCSによる注水も不能となり全面緊急事態に至ったとの想定で、住民や防災関係者ら約1400人が参加、2年ぶりとなる住民参加の避難訓練も含め実施された。
志賀原発を廃炉に!訴訟原告団は社民党石川県連合や石川県平和運動センターとともに監視行動を実施し、住民を守らない、守れない原子力防災の実態を明らかにした抗議声明を発表した(最後に記載)。
私も朝7時30分から午後1時半まで、志賀オフサイトセンターを皮切りに、志賀町武道館、旧福浦小学校、巌門クリフパーク、能登町の藤波運動公園、そして今回は避難者の受け入れ先となった飯田高校まで、各会場を回って訓練の様子を見させてもらった。
以下、私の視察した範囲にとどまるが、今回の防災訓練の様子を紹介し、問題点を指摘していきたい。



福島第一原発事故前の訓練は、事故が起こる前に防災関係者がオフサイトセンターに集合し、パソコンを立ち上げて準備を整えてから事故が起こるという滑稽なシナリオでスタートしていたが、福島の事故後は参集訓練からおこなわれている。
今回は7時30分に地震発生の想定なのでオフサイトセンターには訓練の視察受け入れや訓練をチェックする評価員の人たちなど一部を除いて、まだ参集していないはず。
と思って7時29分に到着した私は、まず駐車場の車の数に驚く。各車両をよく見ると、運転席には結構人が座っている。早めに駆けつけて,地震発生を駐車場で待ち、オフサイトセンターに素早く参集するということか。こんなことにはあまり目くじらを立てたくはないが、福島の事故後、一時はやや緊張感のある訓練になってきたと感じたこともあったが、ここにきて年々緩みが拡大しているようにも思えてならない。



さて、現地災害対策本部が置かれるオフサイトセンター2階は7時30分の地震発生時、ご覧のようにまだ暗い。
メモをとっている人は、第三者的立場から訓練をチェックする「評価員」。県から委託を受けている。



真っ先に原子力規制庁志賀事務所の所長らが駆け付け、電灯のスイッチを入れ、パソコンを立ち上げていく。



その後、志賀町職員はじめ近いところの自治体や組織の関係者が続々と駆け付け、8時頃にはほぼ事故時の対応にあたる各組織の担当者が揃う。



予定された関係者がほぼ揃うとやっぱり密である。
今回の防災訓練は、コロナ対応との両立も課題の一つである。が、3密回避のコロナ対策と、何かと密集・密接が伴い、そして放射能対策から密閉が求められる原子力防災は、残念ながらコロナ対策と矛盾だらけである。
その象徴例としてまずこのオフサイトセンターが挙げられる。
放射性物質が入り込まないよう入り口はエアロック、窓はない密閉空間で、放射能を取り込まない空調設備もしっかりしているが、コロナ対策を想定した空調設備ではない。



入り口の手指消毒や会議スペースの各席間のアクリル板は新たに設けられているが、参集メンバーはそれぞれここに集まる役割を担っている。「コロナ対応として50%の人員減で事故対応を行う」とはならない。



防災業務関係者約180人(今回は国の省庁関係者は参加していないのでここに含まれてはいない)、報道関係者も含めれば200人を超える。フロア全体は1400㎡あるが、トイレや機械室、資材を置くスペースなども含まれており、実際の業務に使うスペースはさらに狭くなる。コロナ禍にあって、全国の原子力防災に共通した弱点の一つがオフサイトセンターである。



原発事故は、多くの自然災害と異なり長期にわたる対応を想定しなければならない。そのためオフサイトセンターの1階には80人分のベッドを備えた仮眠休憩室も用意されている。万が一感染が拡大するようなことがあれば事故対応に大きな支障を来たすことになる。

オフサイトセンターでは、その後、重要な会議が続くが、私はオフサイトセンターを後にし、まず在宅要支援者が退避する志賀町武道館に向かう。残念ながら避難者の集合には間に合わず、予定された皆さんが放射線防護設備の整った屋内退避エリアに入った後だった。放射線防護の関係で、ここもエアロック。見学者がのこのこ入ることはできない。
ということで、続いて旧福浦小学校に向かう。志賀原発の北側に接する福浦地区は、地区外に出るには港が便利だが道路は結構急峻な坂道も多い。今回は地震で道路が寸断されたとの想定で船と陸自、空自のヘリで脱出するとの想定。



しかし今日の天気はご覧の通り。船はもちろん、ヘリの飛行も中止と聞いていたが、空自のヘリは風が少し収まったタイミングで飛来し、4人を運んだとのこと。あの強風の中、無理して実績をつくった感が否めない。ヘリや船は時間帯や気象など条件が整ったときのプラスアルファの避難手段に過ぎず、過剰な期待は禁物である。



ヘリで避難できなかった住民11人は取り残され、屋内退避施設で退避後、結局バスで避難開始。
この屋内退避施設も、放射性物質をシャットアウトする関係で入り口はエアロック、窓も鉛のカーテンなどで放射線をブロックする。
ただし、万が一放射能を取り込んだら大変で、窓を開けての換気は厳禁。このような屋内退避移設は30キロ圏の病院や福祉施設も内の含め20カ所設置されているが、収容可能人数は人口比で見ればごくわずか。周辺の要援護者が介助者と共にやってくるだけで密は避けられない。避難が長期化すればまさに3密空間で過ごすことになる。



バスの移動も大変。他の災害と異なり、原発事故の避難は長距離移動。コロナ対策でいえば換気が必要だが放射能を取り込んでの移動となってはこれまた大変。密集を避けて、乗車定員を下げれば、手配しなければいけないバスの台数も増える。原発事故の中、果たして必要台数を確保できるかも疑問。



ちなみに福浦発のこのバスは、放射能放出前に出発し、そのまま30キロ圏外へ出て、柳田小に向かう予定。この想定なら窓を開けての換気はできるが、実際に事故が起これば、我先にと自家用車で逃げる人も多数いることが想定され、渋滞の中、放射能放出前に避難所まで逃げ切れるかどうかは不明。



続いて、福浦から少し北に向かって景勝地巌門のクリフパークへ。
倒木や土砂災害という地震による複合災害を想定し、地元建設業協会の事業者が道路の応急復旧にあたり、自衛隊特殊車両(高機動車)で復旧箇所を通行し、その後はバスで避難するという想定だ。



「こんな小さな被害だけなら苦労はしない」という程度の小さな被害想定も問題だが、PAZ圏内の住民の避難指示が出ている中、PAZ圏内の災害箇所に町内建設業者が参加し復旧にあたることが果たして可能なのだろうか。被ばく対策もなんらしていない。



ここで訓練視察中の谷本知事と遭遇。引退表明後、初めてお目にかかったので「長い間お疲れさまでした」と声をかける。



次にここから約1時間車を走らせて、能登町の藤波運動公園へ。
ここは、原発からの放射能放出後、30~5km圏内でOIL2の放射能を測定し、住民避難の指示が出たとの想定で、避難退域時検査・除染施設がもうけられている。汚染区域から避難してくるのだから車や人に放射性物質が付着していないか調べる場所だ。
ちなみにOIL2は通常時の約400倍にあたる20μSv/hという空間放射線量率が測定されたことを意味する。そして1週間程度以内の一時移転開始が求められる。
そもそも原発事故が起こって放射能が放出されているという情報がある中、20μSv/hが測定・公表されるまで避難行動に移さない人がどれだけいるのか私にはわからないし、実際に20μSv/hが測定され避難指示が出てから1週間近くも自宅で様子見をする人がどれだけいるのかもわからない。が、以下で述べるように、藤波運動公園での県の対応は、のんびりゆっくり避難してくる人が多くいることを想定した受け入れ態勢となっている。

とりあえず、受入手順を確認していきたい。
避難車両が公園入り口の周辺から駐車場までは珠洲署の警察官が誘導、駐車場に入り車両用ゲートモニター(ガンマ線測定器)を通過し、さらに大面積端窓型 GM サーベイメーターでワイパー周辺を汚染を測定する。ゲートモニターを操作する人は県から委託された検査業者の社員とのこと。機材は普段、金沢方面に保管されている。



GMサーベメーターの担当は北陸電力グループの社員。この後の除染スペースも含め北電社員はここに20人配置されている。
車両用ゲートモニターのポールの高さは2m。大型バスの屋根部分は測定対象外で側面や下の汚染を調べる。GMサーベメーターは側面から調べにくい前方をチェックするということだろう。
ここで汚染が確認されなければ通過証を交付され、この車両はそのまま住民を乗せてあらかじめ決められた避難所へ向かう。
汚染が確認された場合、除染スペースへと誘導される。
汚染が確認された場合(40,000cpm以上)は、簡易除染スパースへと誘導される。



ここで再び GM サーベイメータが登場するが、今度は汚染場所を特定する作業だ。



汚染箇所が確認されたら担当者がウェス(布)で拭きとる。ふき取ったウェスはポリ袋へ入れるが、使用した手袋はそのままだったような。
拭きとった後、汚染がなくなっているかGM サーベイメータで確認し、車体の検査・簡易除染は完了となる。

ここで車両の検査・簡易除染は終了となるが、2つの疑問点を指摘しておきたい。
Q ゲートモニター通過時、車両の上部の汚染を調べないのはなぜか。プルームが流れ、そこに雨や雪が降り、その先に車体があれば当然汚染するはず。これについて「訓練上、放射性物質放出後間もない避難となっているが、この場所での訓練想定はOIL2発表(1週間程度内の避難を想定)から数日後の避難」とのこと。放出から数日経過しプルームは通り過ぎており、地表が汚染されているだけなのでタイヤやワイパーを中心に車両の下部を検査すれば足りるとのことだ。国のマニュアル(後述)がこのような対応に変更されているとのこと。ちなみにポール自体は4mまで伸ばすことが可能とのことで、上部は汚染されてないことにして、除染は手の届くところだけにしたとしか思えない。
Q 簡易除染後、汚染は確認されなくなることが前提の態勢になっている。ウェスで対応できないようなレベルの汚染、あるいは上部や車体の下など拭きとりにくいところが汚染されていたらどうするのか。かつては車体全体を洗浄する自衛隊の設備を備えたこともあった。最悪、代替車両を用意し、違う車両で避難所へ向かってもらうという選択肢も含め備えが必要ではないか。
Q 原発からの放射能放出が止まっていれば、指示通りここでで順番を待ってでも検査・除染を受けるだろうが、おそらくは避難指示が出れば多くの住民はいち早く自家用車で遠方へと避難しようとするだろう。プルームが追ってくるかもしれないという見えない恐怖もある。避難所へと避難退域時検査場所を素通りし、一直線で避難する人がそれなりの割合ででることも想定しなければならない。また、中島地区の住民なら、南西からの風ならば、風下の半島先端方向ではなくツインブリッジから能登島へ渡り、和倉経由で氷見方向へと避難する選択肢も有力だろう。混乱は必至だ。



次に住民の検査・簡易除染である。
先に述べたように、車体の汚染が確認されなければ乗車している住民も汚染なしとして通過証が交付される。これ自体、根拠のない対応である。
車体の汚染が確認された場合は次のような手順となる。

まず、乗車している避難住民の代表者の汚染検査を行う。車両の近くにテントがあればそこで行うものと思うが、今回は風が強くテントは設置されていないため、車内で行われた。
ここで代表者の汚染が確認されなければ、乗車している全員が汚染なしということで通行証が交付され、車は避難所へ向かう。これも根拠のない対応である。
ここで汚染が確認された場合は、乗車している住民全員が「WAVEのと」(屋内テンスコート場)内の住民の汚染検査・簡易除染場所へ移動する。



コロナ対策は手指消毒だけで発熱者、濃厚接触者、健常者の分離はない。
まず受付で受付番号、名前を検査票に記入する。
次に検査指定箇所へ一人ずつ移動する。1チーム2人で3チームで対応となっている。
ここでもサーベメーターを使い、衣服の上から全身検査する。靴の裏も調べる。
ここで汚染が確認されなかった場合、は検査票回収・通行証交付場所で通行証を受け取りバスへ戻る。
ここで汚染が確認(40,000cpm以上)されたら簡易除染へと移動する。



簡易除染の場所ではまずGMサーベイメータで汚染箇所を特定し、ウエットティッシュや濡れたガーゼなどで汚染箇所を拭く。
そして再度汚染箇所をGMサーベイメータで測定し、除染できたことを確認し、検査票回収・通行証交付場所で通行証を受け取りバスへと戻る。
全員が戻ったら車は避難所へと向かうという流れとなる。

ここでも疑問点を指摘しておく。
Q ウェットティッシュなどで拭いて全員の除染が完了するということを大前提に会場は設営されている。以前会場に除染用のテントが設置されていたこともあるし、それでもダメな重度の汚染者はヘリで県立中央病院へ搬送したこともある。
Q 持ち物、衣服が汚染されていた場合の対応もまったく準備されていない。
Q 車両の検査・簡易除染訓練も同様だが、作業にあたる人の服装に注目してほしい。


これは一昨年の訓練の様子(場所は県立看護大)。
今回は不織布防護服を誰も着用していない。避難住民の靴の汚染検査をしながら、検査する人はシューズカバーもない。ウェスやウェットティッシュだけの対応も含め、安全の追求は放棄し、見た目から原子力災害といっても大したことはないとアピールしているように思えてならない。

以上、避難退域時検査・簡易除染場となった藤波運動公園の問題を指摘してきたが、これらの対応の変化の根拠なっているのが原子力規制庁がまとめている「原子力災害時における避難退域時検査及び簡易除染マニュアル」である。
車両検査の簡易化や代表者だけの汚染検査など、放射性物質の拡散を防ぐという目的より、避難退域時の行動をいかに迅速に行うかを徹底的に優先せたマニュアルである。
全避難車両の慎重な検査、避難住民全員の検査を行うとなると、何チームで対応するかにもよるが、一人当たりの検査時間×実際の全避難者数を計算すると、避難計画の破たんは明らかであった。私たちも指摘したが、全国の原発避難訓練の現地でも同様の指摘が相次いだと思われる。ここで国はそもそもの原発の存在を問うことなく、手抜き検査・手抜き除染で迅速化を図り、避難計画の矛盾を回避しようとしたのである。
このマニュアル自体の問題点をさらに追及することも重要だが、今回の県の訓練はこのマニュアルで記載してあることすら大幅に省いた手抜き訓練だったということを最後に指摘しておきたい。
「簡易除染したけど除染しきれなかった、どうしよう」といったことがことごとく省かれていた。



車両の検査を行う藤波運動公園駐車場はスペースは広いが富山湾に面した高台にあり、この日のような天候ではテントを張っても固定するのは大変。吹きさらしの中、長時間、そして夕方から夜間の対応となればなお大変。

藤波運動公園に来た七尾市中島地区の皆さんはこれからすぐ近くの能登高校に向かったが、ここで私は穴水町からの避難者の避難先である飯田高校へと向かった。



避難バスは5台。



受付では消毒や健康状態のチェックを行い、避難スペースはコロナ対応で3か所分けてある。
受付の業務を担ったのは珠洲市内各地区の自主防災組織の代表者の皆さん。市職員はサポートに回っていた。実際の事故時には珠洲市内でも17カ所の避難所があり、珠洲市職員だけでは対応できないことも考えられるからとのこと。
現実問題としてそのような課題があるのはわかるが、自主防災組織とはいえ、そして避難先の受入れ施設とはいえ、一般住民を原子力防災の要員として組み込んでいくことには議論もありそう。最低限、原子力防災や放射線の講習を受け、防護服等の対応も必要ではないか。



その懸念はこの通過証にある。
受付で避難退域時検査場で検査・除染を終えてきたことを証明するもので、受付で所持していることを確認する。
なぜ確認するかと言えば、持っていない人もいるかもしれない、つまり検査・除染を経ず避難所へ一直線で避難してきた人も想定されるからである。
放射性物質が付着してる可能性がある。さあ、この場合どうする?
県は対応を考えていないのである。
内閣府が示した「原子力災害発生時における避難者の受入れに係る指針」によれば、「受入市町村が指定する場所において、避難退域時検査等を実施し、放射性物質による汚染状況を確認すること」とある。珠洲市内、能登町内、輪島市内といった単位でさらに検査場所を設けておく必要があるのではないか。
    


穴水町からの「避難」住民の皆さんは、避難スペースとなる体育館で仕切りスペースなどを確認。ただ、穴水町職員や珠洲市職員からなんの説明もなく、住民からは「バスに戻っていいの??」との戸惑いや「締まらない訓練やな」の声あり。
以前は避難先で原子力防災についての簡単な講演など学習会をセットしていたこともあったが。

最後に、穴水町の皆さんには申し訳ないが、最後に残念な想定を2点指摘しておかなければならない。
①仮に地震等の複合災害で珠洲市民も被災した場合、市内の避難所は珠洲市民の避難所となる。本来はこのような時に備え県の避難用鋼で第2の避難所を想定しておく必要があるが、金沢方面と違って半島先端のため、第2の避難所は確保されていない。さあ、今晩どこに泊ればいい?
②大量の放射性物質が放出され、今回の想定のような南西の風の場合、福島県飯館村の例を持ち出すまでもなく、50~60km離れた珠洲市内にもプルームが流れてくる可能性はある。避難生活が長期化し、孤立する可能性もある。
この問題は受入れの珠洲市民も同様に突きつけられている。一緒に志賀原発の廃炉を求めていくしか手立てはない。

最後に、今回の原子力防災訓練に対する抗議声明を紹介する。

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抗 議 声 明


 本日午前7時30分から志賀原発の重大事故を想定した石川県原子力防災訓練が実施された。東京電力福島第一原発事故後10回目となる訓練であり、2年ぶりとなる住民参加の広域避難訓練も実施された。私たちは毎回監視行動を実施し、今回の訓練でも明らかになった荒天時の脆さ、複合災害被害の矮小化はもちろんのこと、根本的課題から現場の諸課題まで含め、その都度「抗議声明」を通じて指摘してきた。今回は①新型コロナ禍の原子力防災、②半島先端への避難の2点に絞って問題点を指摘し、住民を守らない、守れない原子力防災の実態を明らかにする。

1 コロナ禍において原子力防災は成り立たない
現在、新型コロナの感染は落ち着いた状況にあるとはいえ完全収束には至らず、感染再拡大による第6波が懸念されている。政府は国民に対して引き続きソーシャルディスタンスの確保やマスクの着用、密集・密接・密閉の「三密」回避など新しい生活様式の徹底を求めている。こうした中での原子力防災訓練であるが、原子力災害時には「三密」のリスクが伴う長距離の避難行動や長期間にわたる避難所生活が待ち受ける。なにより放射性物質の体への付着や吸引を防ぐための「密閉」が強く要請される。感染防止対策と相反する取り組みが求められるのである。
内閣府は昨年11月、「新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえた感染症の流行下での原子力災害時における防護措置の実施ガイドライン」を公表した。しかし、その内容を見るならば、両者の「可能な限りの両立」を求めつつも「現場の状況により、柔軟な対応を行うことが重要」としており、行き着くところは現場への丸投げ方針と言わざるをえないものであった。
今回の訓練は新型コロナ禍における石川県として初めての住民参加の原子力防災訓練であり、「コロナ禍において原子力防災は成り立つのか」という命題に対して現場で答えを示すことができるのかが問われていた。結論を述べるなら「成り立たない」の一言であり、あえてどちらを優先させるかとなると被ばくからの防護措置を優先せざるをえないのである。県や関係自治体は一般的な感染防止対策を実施したのみで、「コロナに対応した原子力防災訓練」などと誤ったメッセージを発することはゆるされない。以下3点、指摘する。
(1) 30キロ圏内では屋内退避訓練が実施された。放射線防護施設を備えた病院や福祉施設
は、防護施設が建物の一部であるため、施設内の患者や入所者、職員ら全員が避難した場合、密集、密接は避けられない。放射線防護施設のない福祉施設などでは窓を開けての換気はできず、全員の速やかな避難も困難なため、長時間にわたって密閉空間となる。木造建屋などに屋内退避した場合も窓を開けての換気は厳禁であり、避難が長時間に及ぶとリスクは高まる。
(2) バスによる避難行動時も同様に換気によって放射性物質を取り込むことは厳禁である。
避難先の多くは50~60km先であり、事故時には今回のようなスムーズな避難はありえず、渋滞などで移動に要する時間は県のシミュレーションでも6時間以上、場合によっては十数時間を要する。車内を汚染空間にしないよう細心の注意が必要である。
(3) 原子力防災の司令塔、オフサイトセンターは典型的3密施設である。床面積約1400
 ㎡弱のオフサイトセンター2階フロアには、志賀原子力規制事務所職員や県職員、北は輪島市から南はかほく市まで各市町の職員、北陸電力社員、陸・海・空各自衛隊、県警、海上保安庁等の担当者、さらに報道関係者も含めて200人以上が参集し、長時間にわたって業務にあたる密集空間である。放射性物質を遮断するために窓はなく、入り口もエアーロック設備が設けられるなど気密性を特に高めている。施設内感染があれば、事故対応は難航する。
2 放射能と共に風下に向かう、ありえない避難訓練
 今回の訓練は、南西からの風が吹き、原発の北東方向に放射性物質が流れるとの想定で行われた。避難区域はPAZに加え、UPZ(約30~5km圏)の志賀町富来地区や七尾市中島地区、穴水町である。避難先は本来、風向きの垂直方向を選択しなければならない。しかし北西は日本海、南東は富山湾であることから、住民はプルームと共に、あるいはプルームと前後して、北東方向である半島先端に向かって避難するという、本来あってはならない避難訓練が実施された。訓練を主導した県や関係自治体に強く抗議し、以下、問題点を指摘する。
(1) UPZの住民はEAL3(全面緊急事態)で屋内退避を要請され、その後の緊急モニタリン
グで20μSv/hを超える空間放射線量が測定されたとの想定でOIL2(早期防護基準)に基づき避難行動を開始した。避難計画通りであるが、現実に事故が起こったとき、プルームが流れてくるのを座して待ち、放射線量が上昇する中、プルームが流れる方向へ避難する住民が果たしてどれだけいるのか。いまは誰でも手元のスマホで簡単に風向き情報を入手できる時代である。指示に従わない多数の住民が出ること必至であり、混乱は避けられない。
(2) 指示に従った住民は、手配されたバスあるいは自家用車で通常ならば1時間前後で到着
する避難所へと向かうが、事故時は渋滞等で30km圏外へ出るだけでも6~10時間以上が見込まれている。プルーム下の長時間移動となり、住民の被ばく、車両の汚染リスクは高い。
(3) 風向き方向の珠洲道路沿いののと里山空港と国道249号線沿いの藤波運動公園で避難
退域時検査場所が設けられた。30キロ圏を越え、放射線量は徐々に低下しているとしても空間線量はゼロとは限らない。住民や車両の除染で渋滞、混雑する中、更なる被ばくのリスクが待ち受ける。渋滞を避けて検査場所を素通りし、避難所へ急ぐ車両も少なくないと思われる。
(4)能登町や珠洲市の避難者受入施設では、まず避難退域時検査の通行証を確認するが、通
行証のない人の検査や除染をする設備はない。放射性物質の拡散が懸念される。
(4) 国は、30キロ圏を超えてプルームが流れてきても通常の防災体制による広報で屋内退
避を呼びかけ、対応は可能とする。しかし、福島県飯館村の例を持ち出すまでもなく30km圏外へも高濃度の放射能は流れ、降雨や降雪で地表や水源が汚染されるという事態も決して杞憂ではない。全住民の海路・空路による避難は困難であり、事故の収束が長引けば、半島先端へ避難してきた人、半島先端の住民、そして観光客など一時滞在者は半島先端で孤立する。

半島先端問題は安全神話を信じ能登半島の首根っこに位置する志賀町に原発を建設したことに起因する。プルームと共に半島先端へ避難し、これで安心・安全の確保とは言語道断である。唯一の解決策、最善の原子力防災対策は安全神話が崩壊した志賀原発の能登半島からの撤去であることを本日の原子力防災訓練に参加したすべての人に訴えたい。
福島第一原発事故から10年8か月、いまだ福島県内外で避難生活を強いられている人は志賀町の人口を大きく上回って約3万5千人にものぼる。ふるさとを追われ、仕事を失い、ときには家族がバラバラになる、そんな長期避難生活を覚悟している人が能登にいるとは思えない。福島の教訓をさらに多くの人と共有し、一日も早い廃炉実現へ全力を尽くす決意をここに表明する。

2021年11月23日         
志賀原発を廃炉に!訴訟原告団
      社会民主党石川県連合
石川県平和運動センター

 




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