糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

今年もお世話になりました。

2014-12-31 | 日記

 気がつけば大晦日。選挙が終わったとたん、ブログの更新が滞る、悪いクセではありますが、もともと筆無精の私のこと、お許しを。

 さて、今年は最後に大変なことがあったので、終わった後は惰性で生きております(コラ

 

 冗談はさておき、今年の鍛え納めと言いましょうか、久しぶりにジムへ行って全身をいじめてきたのですが、他の会員さんとインストラクターさんの会話を耳にして、しみじみ思うことがありましたので、書いてみようと思います。

 

 ジムで流れているTVニュースで、スポーツの一年をふりかえるようなコーナーがあり、それを見ながらの会話でした。インストラクターさんはテニスをしていらっしゃいます。

 錦織圭選手の活躍が話題になり、会員さんが「彼の活躍で、テニス人口が増えて活発になるんじゃないか」と言ったところ、インストラクターさん曰く、「以前はもっとテニスコートがありましたが、今は昔よりずいぶん減ってるんです。昔はちょっとした規模の会社にはたいていテニスコートがありましたよね。今は見かけません」。

 

 なるほど。思えば私の母は某製菓メーカーの工場に勤務しており、幼少の頃は工場にある風呂に入ったり、工場の敷地にあるグラウンドで運動会があったりしたなあなんて、うっすらとした記憶がよみがえりました。今思えば労働組合の主催でやっていたんでしょう。

 

 企業がもうけ第一を露骨に進めるようになって、こうした福利厚生施設は「ムダなもの」とされたのだと思います。我が家の近くにある工業団地にある会社の敷地に、ちょっと前まで姿を残していたテニスコートは、いつのまにか駐車場になってしまっています。駅のそばにある大企業の敷地内にはプールがありましたが、いつからかそれもなくなったようです。

 昼休みや仕事終わりに「ちょっとカラダ動かして行こう」という「ゆとり」が、企業から保障されなくなっているということです。

 社会人として就職し、働くようになっても一人ひとりの成長は保障されるべきです。昔はその「福利厚生」の部分がまがりなりに保障されていたために、労働者はレクリエーションとしてスポーツや文化活動にとりくむことができ、人間関係も培われる機会を持ったのだと思います。

 

 スポーツや文化活動は、会社に直接利益をもたらすものではありません。しかし、人間の人間らしい営みを豊かにする重要な部分であり、人間の可能性を広げ、成長を豊かにするために必要不可欠なものでもあります。

 企業が抱えている各種のスポーツ「部」だって、経営次第でなくなったりしますし、スポーツ選手は「スポンサー」がつかなければ選手活動が困難です。マイナースポーツはもっと大変。こういう部分がすべて「自助努力」にまかされているのが今の日本。そのスポーツが「カネになるかどうか」が、企業の運営する判断基準となるわけです。

 スポーツにはことごとく「勝利」を期待する日本ですが、スポーツを本当に楽しむ土壌はまだまだ貧しいと感じます。文化活動も同様。「スポーツ貧国」「文化貧国」と言わざるを得ません。

 「強い、勝てる選手を育てるために」と言っているのではありません。誰もがスポーツや文化活動に親しむことのできる社会環境づくりが必要だと思うのです。人は多くの経験を経て、自分の可能性に気がついたり、あるいは周囲が気づいたりするのだと思います。

 その成長の可能性を広げるためには、生きることに「ゆとり」が必要です。労働条件もそうですし、子どもの発達保障だって重要です。大人が安易に型にはめるのではない、もっとおおらかな子育て環境が求められます。

 

 稼ぐことだけにあくせくしない世の中が、私は好きです。私自身は生来暢気な方なのだと思います。今のハイペースな世の中についていくのは大変です。そんな自分を取り戻すのが、おそらく古いカメラ趣味(スローカメラと言えばいいのでしょうか)なのかもしれません。

 

 来年はいっせい地方選挙。慌ただしい日々が目の前にあるわけですが、私は「人を育てるゆとりのある」社会にするため、あくせくすることでしょう。

 今は歴史が動こうとしているときだと思います。後ろに動かそうとしているのが安倍政権。一見すると安倍政権の有利に見えるかもしれませんが、それは大間違い。前に動かそうとしている国民の力が、今どんどん強くなっているのを感じます。

 来年は、私の望む社会に一歩でも二歩でも近づけたい。

 

 というわけで、今年はいろいろとお騒がせ、そしてお世話になりました。私に関わる全ての人に心から感謝。

 そして、来年もよろしくお願いします。

 

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