糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

桜といえば...。

2013-03-30 | 雑想

 今年は異常といえる早いタイミングで桜が咲き、今週あたりに花見を計画されていた人は慌てたのではないでしょうか。

 我が家も「花見をしたい」という家族からの希望は受けつつ、タイミングがつかめず、少々困っています。

 

 ところで、桜と言えば、私がいつも連想するのは、軍国主義、帝国主義の道をひた走っていたころの日本。・・・え?変ですか?

 でも、実際に「ぱっとさいてぱっと散る」潔さのような美意識と、臣民として国家に仕え、有事には命を差し出すといった考えが連動していたことはまちがいないと思います。

 

 若い人たちが否応なしに戦争にかり出され、一個の人間としての尊厳はすべて否定された当時、どれだけの人たちが望まぬ死を受け入れなければならなかったか。

 

 憲法を変えやすくしようとする動きが、安倍内閣を先頭に、自民・公明に限らず、いろんな政党からも「憲法を変えなければならない」ような雰囲気を作っていますが、これは非常に危険な動きです。

 戦争は「やむをえない」ものではありません。戦争を二度としないと、国際社会に誓った日本に課せられた役割は、「どんなもめごとも、戦争せずに解決をする道を切り開く」ことなんです。

 大変ですよ。これは。「相手が挑発するからこっちも手を出す」という選択の方が簡単でしょう。ですが、短絡的で安易だと言わざるを得ません。

 「国は今の状態のまま、自衛隊や米軍ががんばってくれる」といった想像をしているのなら、それは残念ながらそうではありません。戦争に対して疑問を持つものや異を唱える者がいれば、思うように戦争できませんから、必ず思想統制がおこなわれます。自由でなくなるんです。

 国民は、そのうち生死の選択までも国家に握られることになります。かつての日本がそうだったように。そうなってしまうと、もう日本と言う国はその在り方、姿が根本から変わってしまうのです。

 

 私は自由に生きたい。自由でありたいと思います。だれもがそうであることを望みます。だから、共産主義者として生きる道を選んでいます。

 

 


ベストチョイス

2013-03-30 | 日記

 金曜日はとある支部が「花見でBBQ」を企画し、開催されました。

 「ついてはバーベキューのコンロや炭を借りたい」とのことで、私のものを貸し出すことに。そんで私もどさくさにまぎれて参加しました。

 

 下見をしたところ、一か所をのぞいて、あとはだだっ広い場所だったので、日陰も作った方が良いと思い、ヘキサゴン(六角形)タープも用意しました。

 昨日の午前中は程よくあたたかく、ときおり風が吹く程度の穏やかな天気。桜の花もばっちり、きれいに咲いていました。

 

 とはいえ、目の前で炭火を起こし、肉や野菜が焼かれ始めると、もうみんな焼き網に神経と視線は集中(笑)。なんだかんだ言っても「花より団子」です。私も含めて。

 

 みんなで肉や野菜を焼いたり、楽しく語らいながら時を過ごします。

 

 もうひとつ、みんなの関心を集めていたのが、この公園をテリトリーにする猫たちでした。少し離れたところからこちらをうかがいっているようでした。猫のいるところが風下なので、良いにおいにつられて出てきたかな?

 

 昼を過ぎたあたりから風が強くなり始めました。紙皿が飛ばされたりしながらも、みんなは程よくアルコールも入り、上機嫌。楽しく語らい、お腹いっぱい、胸いっぱい。

 

 午前中から場所取りに来ていた、おとなりの若者グループは、宴を終える私たちとは入れ替わりで始めるようで、片づけているとなりでばたばたと準備を始める様子でした。

 こっちには燃え残りの炭がまだありましたので、お隣に申し出て、おきをおすそ分け。こちらとしても片づけの手間が省けてありがたい。

 

 午後3時前には、お酒で腰の抜けた若干名を自宅まで送り、事務所へ寄ってバーベキューのコンロを掃除・片づけてから帰宅しました。

 そうそう、結局全員がずっと火のそばから離れませんで。まあ日差しも強くはなかったせいもありますが、誰一人としてタープの日陰を必要とする人は現れませんでした。

 

 それでも、帰宅するとどっと疲れが押し寄せてきました。日中、野外にいて太陽にあたりっぱなしだと、とてもエネルギーを使うのだと、久しぶりに実感。これから紫外線も強くなります。気をつけましょう。

 今日は朝からちょっと曇り空。もしかしたら雨が降るかもしれませんね。雨が降れば、あとは散るばかりとなるかな。とすると、花見をするには昨日という選択がベストだったかもしれません。

 ああ、またキャンプに良い季節がやってきたなあと、ちょっとウキウキです。

 

 

 もっとも、今年は選挙三昧。デイキャンプやキャンプにどれくらい行けるかなあ...。

 

 


PTAで交流会

2013-03-27 | 日記

 昨日はPTAの本部役員と運営委員会みんなで慰労会のようなものを行いました。

 小中学校のPTAは何かと大変なことが多いと思いますが、高校のPTAともなれば、それほどたくさんの行事が詰まっているわけではありません。

 本部役員、特に会長は何かにつけて表に顔を出すことが求められますが、運営委員ともなれば、それほど出番が多いわけでもなく、校内最大のイベントである文化発表会のときに顔を合わせる程度だったりします。

 で、それではせっかくPTAの役員を引き受けて下さった人たちも張り合いがないし、ほとんど交流することなく過ぎていくのもなんだということで、年度末に慰労会と称して、交流する場をつくることにしたんです。

 行事を通して楽しいと感じた方は積極的に関わってくるし、次年度の本部役員を引き受けて下さることもあります。

 

 ここのPTAの特徴は「何でも総力戦」です。会長職がやらなければならないこと、責任を持つべきところはあるものの、会長一人にそれらを全て投げないのがいいところ。

 会長だって現役労働者。それは男女に関係ありません。それどころか、女性は親の介護をしていたりする場合もありますし、そもそも子どもたちが困難を抱えている(あるいはいた)状況で必死にがんばってきた人たちです。

 

 こういう人たちは、基本的にたくましく、あたたかい。ですから、困っていることも「おたがいさま」なんです。お互いの事情を察しながら、たとえ会長でも出られない場合は、「出られない」と率直に言えるし、それを副会長や他の役員さんがフォローする。こういう関係は貴重だと思います。

 今年度で卒業した人たちも、5月の総会までは役員として高校へ来ます。今年は約半数が入れ替わり。もっとPTA活動が保護者のみなさんに見えるようにしながら、親同士、気軽に集まれて交流したり、困った時に支えあったりできる環境ができるといいなあ。

 


 TPPは大問題

2013-03-18 | 日記

 16日、群馬県労働者後援会総会が開かれ、私も行ってきました。

 こういう集まりに行くといつも思うのですが、若い人たちの参加がもっと必要だなあ...。

 

 講演には紙智子参議院議員が演壇に立ち、TPPの問題を中心に、次の参院選で日本共産党の5つの議席を何としても獲得して、今の日本の政治、日本の在り方が変えられようとしている政治に待ったをかけ、国民が安心して暮らせる日本をつくろうと語りました。

 

 

 紙智子さんと言えば、日本共産党の農林・漁業局長として、活躍。TPPの問題をめぐっては、それこそ国会論戦で先頭に立って、アメリカいいなりの貿易で日本の農業が破壊されていることに、ずっと意見してきた議員です。

 また、16日と言えば、その前日に安倍首相がTPPへの参加表明の意思表示をした翌日。もっともホットな話題を、その道に最も詳しい人から話してもらえる機会となりました。

 

 自民党の「公約違反」についても指摘。7割の自民党議員が「TPPへの参加反対」を表明していたのに、いざというときになると、「安倍首相に一任」という言葉で逃げているといいます。

 また、紙さんは、「首相がアメリカへ行く前に、『6つの問題を全部クリアしなければ参加はないんですね』と確認をした。農水相は『その通りだ』と答弁したが、安倍さんはついに最後までごまかした。結果、『例外なき関税撤廃は参加の前提でない』という確認がとれたという、その1点だけで参加表明にいたった。」とも。

 

 また、TPP参加を巡って、体制側は農業と工業とを分断させ、対立させようとしているとも話し、「ことは農業だけの問題ではありません。労働力を巡っても、保険や医療を巡っても、深刻な問題がある」と、TPPへの参加を何としても断念させると決意を語りました。

 TPPに参加するということは、国の在り方が変わる問題だと紙さんは指摘。先日ここで書いた憲法を守れるかどうかという問題とともに、国の在り方が問われる問題です。

 

 おとなしくなんかない、安倍自民・公明政権に、参院選で「NO」の態度をキッパリと示し、国民のみなさんこそが主人公となる国づくりへ第一歩を踏み出しましょう。

 

 


平和って 戦争って

2013-03-15 | 日記

 憲法が変えられようとしてることで、「中国や韓国との領土問題で、『弱腰だから、戦争できないからなめられている』と言われることに、何と言ったらいいんだろう」とか、「北朝鮮の問題もあって、『だから武力が必要だ』と言われれば、やむを得ない気がする」という声を、ある青年から聞きました。

 私が候補者として街頭で演説していた時も、もっとも難しいと思ったのは、実は憲法の問題でした。短時間の街頭宣伝で、憲法の本質や武力を持たないことの意味をきちんと理解してもらうのは、なかなか大変です。

 もし、日本が憲法を変えて、海外で戦争ができる国になったらどうなるでしょう。日本が近隣諸国との緊張を高め、摩擦を生みだし、戦争への危機は一層高まるに違いありません。

 何しろ日本はかつてアジア諸国を侵略して回った国です。ドイツのように、民族あげて真摯に反省してもいません。そんな国が再び武器をとり、海外へ出かけることになれば、日本の国際的な信用は地に堕ちることになるでしょう。周辺諸国を恐怖に陥れ、警戒させることになるんです。

 こうすることが、本当に「平和のため」になるんでしょうか。国際的な友好関係が築けるんでしょうか。

 北朝鮮が国際的に孤立しているのは、武装し、武力で威嚇して自分たちの主張を通そうとする、「平和と国際秩序を乱す」行いをしているからであって、この挑発に乗って、日本が海外に対して武器を向けることが正しいとはどうしても思えません。

 北朝鮮がミサイルを日本国土に撃ってくれば、自衛隊の力でそのミサイルを撃ち落とす。国土、国民を守るための防衛は、現段階ではすべきでしょう。

 しかし、「ミサイルを撃った奴が悪い」と、北朝鮮へ出かけて「成敗」なんてことは絶対にやってはいけません。自分の身を守ることと、相手を攻撃してねじ伏せるのとでは、質的にまったく違います。

 海外で攻撃を受けた米軍を助けにいく「集団的自衛権」だって、おかしな話です。かつて誰かさんが「友人が殴られるのを黙って見てるのか。助けに行くのが当然だ」と言いました。ちょっと聞くと「なるほど」と思うかも知れません。しかし、友人なら喧嘩を止めましょうよ。一緒になって相手を殴ってどうするんですか。

 

 また、海外で戦争できる国になるということは、国の在り方そのものが大きく転換することになることも指摘しておきます。

 戦争できる国になれば、いつどんなときでも戦争ができる状態にしておかなければなりません。「平和」とはおよそかけ離れた日常になることは明らかです。単に憲法の条文が変わるだけではなく、日常そのものが変わってしまうのです。

 戦争の準備のために徴兵制がしかれ、兵力となる国民は片っ端からそのためにかり出されることになるでしょう。戦争に反対する勢力は、戦争する者にとって邪魔になりますから、思想統制も行われます。

 

 こういう状況を想像するにつけ、背筋が寒くなります。

 

 国会中継で女性議員が、「国家のために」なんて、憲法を変えることに賛成する話をしているのを見ると、「この人は、自分の身内を戦争に喜んで差し出すんだろうか」という思いがわいてきます。

 

 「現状がこうなんだから仕方がない」のでしょうか。こういう「現状」をつくりだしたのは誰なんでしょうか。戦争したがってる「誰かさん」ではありませんか。

 現状に合わないから憲法を変えるというのは、はっきり「間違い」です。憲法は、現状にあわせてつくったものではありません。「私たちはこんな国をつくります。国家はその目標に向かいます」という理想、国の在り方を掲げたものであって、現状が憲法とかい離しているなら、変えるべきは現状なんです。

 そして、その現状を変えるためには、「戦争がいや」なら「いや」という意思表示を、国民自身が明確に示すことが必要です。「原発いや」「TPP参加するな」「消費税上げてくれるな」という思いは、国民自身がはっきりとアピールすること。この世論の盛り上がりが、そうしたがらない政治家の勝手な動きを縛り、国民の意思に沿う政治をさせる原動力になるんです。

 この間、さまざまな分野で運動が盛り上がりながらも、思うように方向転換しない政治が続いて、これに対するあきらめも出てきているんだと思います。

 しかし、「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」。・・・最近、某漫画のこのセリフ、あちこちで聞きますが(笑)、やっぱりあきらめないで、自分たちの取り組みを広げていくことが大切なんだと思います。

 

 長くなっちゃいました。まだ言うべきことはあるんですけど。  今回はとりあえずこれくらいで。また機会があれば違う角度から書くことがあるかもしれません。