糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

世代の狭間に

2012-10-29 | 日記

 今日は、旧群馬町で町議をしていた方に連れられてご近所を訪問しました。

 長年がんばってらっしゃる方で、今も顔が広い方です。こうした方はやはり貴重だと痛感します。

 

 とある農家へうかがい、「消費税増税も、TPPも、国民の思う方に政治がすすみませんよね」と言うと、TPPに対する怒りが強く、「まったくだ。TPPなんか参加したら日本の農業つぶれちまう」とぶちまけてくださいました。

 農業の現状が大変であることは、この間5区を回ってきて痛感しています。消費者が少しでも安い農産物を買おうとするのは、生活を守るために仕方のない事。生産者である農家は、農作物の価格を自分たちで設定することができず、安く買い上げられることにも不満。

 今の農業、とにかく割に合いません。この農家のご主人、「一緒に農業やってる5件のうち、2件は子どもが家業を継いだ。それはそれですごい事だと思うし、偉いとも思う」と言います。「でも」とご主人。「オレは自分のせがれに『継げ』と言えなかったし、せがれも『継ぐ』とは言わなかった」と続けました。

 真っ正直に農業を生業としても、結果が報われない。後継者が少ない最大の理由はそこにあると思います。TPPだけではなく、農業政策そのものを大きくかえる必要を感じます。

 

 あるお宅では、「自分は年寄りだから我慢もするが、子や孫の世代がこれからどうなるかと心配でたまらない」という言葉があちこちで聞かれました。

 いじめの問題もそうですし、雇用の問題でも、若い人たちが人間らしい生活ができないことを憂えていることがよく分かりました。

 これまで対話する人の多くは年金生活者だったり中小業者だったり、農家だったり。若い人と直接対話をする機会は、どちらかといえば少なかったのですが、どの世代の人も、自分の苦しみと同じように若い人、将来の社会を思って苦しんでいるのだと感じました。

 若い人とお年寄りの間に立つ私。きちんと橋渡ししたいものです。


安中市で演説会

2012-10-21 | 日記

 このところお留守がちですみませんです。なんだか書くたびに謝っているような。

 

 今日は安中市で日本共産党の演説会でした。主弁士は何と私。国会議員も比例予定候補も都合がつかないということでしたので。伊藤ゆうじ県議も、県政報告とあわせてオスプレイ配備の問題や領土問題を語っていただき、私は40分の予定でお話しました。

 

 40分という時間を、自分をじっと見る人々の前で話し続ける事がなんて難しいことか。いやあ、緊張しました。緊張ついでに、トラブルもあって、実は用意していたカンペまでおろそかになる始末。あ~あ。

 

 トラブルというのは、時計です。10分話すとか15分程度なら、街頭宣伝をやってきて、何となく体感で分かるんですが、40分となるとわけがわからなくなりそうです。

 そんなわけでしたので、腕時計のストップウォッチ機能を利用して、時間の目安を知ろうとしていました。椅子に座っている間に、ストップウォッチ機能にモード変更。紹介されて演台に立ち、腕時計をさりげなく置いて、マイクを調節して話し始めました。

 

 一山話し終えたところで、どれくらい時間がかかったのかを知ろうと、ふと時計に目をやった瞬間、汗が出ました。スタートボタンを押しそびれていました。時計の表示はゼロのまま。いやあ、焦りました。どうしようどうしようと思いながら、何とかカンペを覗きながら話していました。

 しかし、我ながらよほどテンパっていたのでしょうか。そのうち、カンペのどの辺までを話したか、目で追えなくなっていました。

 こうなれば、あとはもう出たとこ勝負で話すしかありません。幸いほとんどの話を終えた後でしたので、まとまりそうな時分に、壁にかかっている時計を見て、まあ、こんなものかというところで話を終えました。

 

 いわゆる教科書通りとか、型にはまった話にはならなかったつもりでした。帰りにみなさんと握手をしていると、「いい話でした」とおほめいただきました。よかった。

 

 次は11月。富岡市で行う予定です。このときには、比例代表の予定候補である梅村さえこさんがやって来る予定ですよ。

 


うれしいびっくり

2012-10-15 | 日記

 今日は党北毛地区委員会の事務所を出発して街頭宣伝に出かけました。

 というわけで、朝、地区委員会事務所に赴いたのですが、事務所のスタッフのみなさんから、昨日の演説会が大好評だったことをうかがいました。また、募金が想像を遥かに上回ったことも。

 

 私の話が良かったという感想をいただきました。自己紹介のような話をしたのですが、要は候補者の人となりを知ることができたのが良かったというのです。

 「そういう話を街頭宣伝でもやればいいよ」とも言われたのですが、会場を使用しての演説会やつどいならともかく、街頭宣伝ではどうだろうか...と思いました。

 

 もうひとつ、嬉しいびっくりが。

 午後から旧子持村で街頭宣伝をしてきました。角田よしかず渋川市議と一緒に行動したのですが、ある場所で、宣伝を始めたところ、遠くの方で外に出て聞いてくださる方がいました。

 こういう「聴衆」がいらっしゃると、街頭宣伝もほどよい緊張感もうまれます。私が話している間に、角田市議がそこへ行って、「しんぶん赤旗」日曜版をお渡ししたようでした。

 話を終えるとまだいらしたので、宣伝カーでそばまで行って、ご挨拶をしました。と、「いい話を聞かせていただきました」と言われ、角田さんが日曜版をお勧めしたところ、購読を約束していただきました。

 いやあ、これはうれしい出来事です。とりもなおさず、私の話を聞いて「赤旗」を購読してくださるというんですから。

 

 

 余談ですが、午前中、最期に宣伝をした場所ではえらいめに会っていました。

 車を停めて、上にのぼったのですが、小さな虫がぶんぶんたくさん飛び回ってるんです。実害はないので、とりあえずマイクを握って話し始めたのですが、そこらじゅうにとまったりするんですよ。で、襟元にとまったので、何気なく手で払いました。実はそれがカメムシの仲間だったようで、臭ってきたわけです。きついのが。

 いやあ、参りました。私の集中力はそがれ、話の中身はとんでしまうほど。戦意(?)が喪失してしまいました。

 

 まあ、そんなことがあった後でもあり、余計にうれしかったり。


榛東村で演説会

2012-10-14 | 日記

 今日は塩川てつや衆議院議員を招いて演説会を行いました。

 5区というエリアは広範囲なのですが、今回は渋川と北群馬、旧群馬郡を中心に呼びかけをして行ったものです。

 

 私にも演説の時間が割り振られました。街頭宣伝で話すのとはだいぶ勝手が違うだろうと思い、今回ばかりはいろいろと考えました。

 とは言っても、主弁士は塩川さん。私は15分です。政策などを語れるような時間もありませんし、塩川さんの話とダブるのもよくないので、結構あれこれと気を使いました。珍しくカンペも準備。

 

 で、私の自己紹介から話し始め、総選挙に向けた決意などをお話ししました。

 次に塩川さんが演壇に立ち、演説を始めました。

 

 比べる事に意味がないのは百も承知ですが、初めて演説をしたあとに聞いた塩川さんの演説、やっぱりすごいとあらためて感心しました。

 塩川さんはオスプレイ配備の問題や米軍機の低空飛行訓練を始め、八ツ場ダムの建設を巡る問題でも5区の地域にはよく足を運んでいて経験も豊富。話の引き出しの数がすごい。

 

 

 二人とも演説を終えたところで、こうやってみなさんにご挨拶。後は玄関でみなさんと握手を交わしました。

 無事に演説会を終えて、気の張る時間が一段落。

 

 実はこの後、久しぶりにイオンモール高崎の前での街頭宣伝もやりました。初めての演説会をやった後で、少し気が抜けそうでしたが、車の上に立って、あらためて候補者モードにスイッチ。

 

 

 いやあ、今日はなんだか、「おれはやったぜ」という達成感というか、充実感を味わいました。

 


父親

2012-10-07 | 雑想

 気がつけば結構長いこと新しい記事を書いてませんでした。失礼。

 実は3日(水)、「高崎平和コンサート」に行きました。2部構成で、第1部は「原水爆禁止世界大会」に参加した高崎代表団の報告会、第2部が毎年変わる企画なんですが、今年は知り合いが二人、世界大会に参加したので、その報告を聞く事が中心的な動機でした。

 私も昨年、世界大会に参加し、同様に報告会を行いました。高崎代表団で参加したみんなのつながりは強く、良いものです。そのつながりを今年も作れたようで、嬉しく思いました。

 

 報告会を終えて休憩を挟み、第2部の企画に突入。オカリナをメインにしたコンサート、期待以上の素晴らしさで感動しました。プロの演奏家によるものでしたから、あたり前と言えばあたり前なのか。

 このコンサートでフォルクローレが2曲演奏されました。「花まつり」と「コンドルは飛んでゆく」です。演奏が始まった途端、怒濤のように古い記憶が湧き出てきて、思わず涙が出そうになりました。

 

 私の亡父は歌が好きでした。よくいろんな歌を歌っていました。「花まつり」は、どういうわけか私の記憶に刻まれていて、私も好きな曲だったのですが、あまり聞く機会もありませんでした。オカリナで奏でられる主旋律は、私の幼少の頃の父との記憶を刺激しつづけます。

 ロシア民謡やフォルクローレ、労働歌など、「うたごえ運動」が盛んだった頃に青春時代を過ごした父が、幼い私を連れて、「キラパジュン」のコンサートに行ったことを、私はなぜか覚えているのです。

 チリのクーデターのときに亡命し、世界中で音楽活動をしていた「キラパジュン」。なかでも「不屈の民」は私にも強烈に刻み込まれています。こうした歌の背景などを父はよく説明しながら歌っていました。

 

 そういえば、私は自分の娘たちにこうした経験をきちんと与えていないような気がしました。こういう機会を子どもの頃につくってくれた亡父に、あらためて感謝。

 家に帰って早速「不屈の民」を娘に紹介。自分の人生の主人公として胸を張れる生き方をしてもらいたい。そんな願いをこめて。