糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

まちなかを歩くと...

2014-07-18 | 雑想

 先日の休日、久しぶりに写真を撮りに「まちなか」を歩きました。

 

 カメラ・写真を楽しむようになって、高崎市の中心市街地が城下町としての歴史と、「昭和」の雰囲気を残していたことに喜びを感じて以来、足繁く撮影に出かけてきました。

 

 妙な印象を持たれるかもしれませんが、そのまちの活気や元気度のようなものって、撮影していて何となく伝わってくるもので、まちに元気があれば撮影ものれる、というのが私の経験です。

 もちろん、そのときどきの私のコンディションにもよるところはあるものの、それでも雰囲気が良ければ楽しく撮影できるものです。

 

 ところが今回はそうではありませんでした。平日、しかも水曜日の午前中とはいえ、元気を感じることができませんでした。久しぶりの撮影で、自分自身の感度が鈍っていることは否定できません。が、それにしてものれなかった。

 

 まあ、そんなこともあるもんだとは思いましたが、2時間ほど歩き回って撮影できたのが35mmフィルムで22枚だけ。いくらなんでも少なすぎます。

 のれたときは36枚撮りのフィルム1本を使うのに1時間もかかりませんから、いくらなんでものれなさすぎです。

 

 しばらく見ないうちに、「昭和」の家並みが急速に変化していることも確かです。住宅が密集している地域にあった古い家はどんどん取り壊され、モダンな家が建っています。そうでなくとも、取り壊され、更地になっているところや、時間制の駐車場になっているところも。

 駅の周辺は整備が進み、モダンでおしゃれな店舗やビルが建ち、これまたきれいに整備された道路がそれらを縁取っていますが、そこを歩く人はまばらで、ひところのにぎわいを感じることもありません。

 

 そんな「まちなか」に活気をとりもどそうと、いろいろなことが考えられているようですが、「集客施設を新しくつくる」とか、「大型の店舗を誘致する」とか、いずれも「他力本願」が否めません。まちを元気にするには、その住民を元気にするのが一番なのだと思います。人が呼べれば何でもいいわけではないと思うのです。

 

 高崎には全国でも珍しく、個人商店のリフォーム助成が行われているところで、全国各地の議会から問い合わせや視察が来ているのだそうです。私もこういう制度なら大賛成。

 まちの住民が「自分のまちを元気にしたい、自分が元気になりたい」という思いを応援するのが行政のあり方なんだと思います。

 

 あ、ちなみにその次の休みには、気が向いて榛名神社へ撮影に行きました。1時間かそこらで、カメラに残っていたフィルム14枚プラス36枚撮り1本を使い切りました。のれればこんなものです。

 


PTA関東大会に行ってきました

2014-07-07 | 日記

 この忙しい時期にも関わらず、2泊3日の日程で高校PTA連合会の関東大会に参加しました。

 なぜこんな大掛かりな大会に出たのか。

1.昨年度PTA会長で

2.県の高P連の役員の順番が当たり

3.今年の関東大会の会場が群馬だった からです。

 

 要するに、「実行委員会」の一員として、県の高P連によってバッチリ組み込まれちゃってたんで。

 

 ま、どうだったかと言えば、一言で言えば、末端の私などたいして役に立つわけでもなく、なんとなく参加したにすぎません。

 それはともかく、我が校の教職員やPTA役員との交流はもちろん、相部屋となった他校の役員とも交流し、楽しい時間を過ごすことはできました。

 

 さて、ちょっとした思いをここで。

 PTAのみなさん、子どもたちの教育支援(というのかなあ)にずいぶん熱心だという感じはバリバリに伝わってきます。社会の変化、教育を巡る変化もそれなりに見ているようで、「不安定な今の社会だからこそ、子どもには将来安心して暮らせるよう、教育の支援をするのが大人の役割、責任だ」というような意見が見られました。

 これを悪いとか間違ってるとまではいいません。が、最近私が強烈に思っていることは、「それでは、そういう社会をみんなは『是』と思っているのか」ということなんです。

 文脈から察するに、今の不安定な社会を、親は少なくとも良く思っていないのですが、同時に「今の社会はこうだから仕方ない」とも受け取れる考え方のようなんですよねえ。

 

 私が言いたいのは、「不安定な社会を良く思わないなら、それを変えるのも大人の役割、責任」なのだということです。同時に、子どもたちにも、「自分たちの社会は自分たちが主人公になってつくるんだ」ということも教えなければなりません。

 まして、集団的自衛権行使容認なんて閣議決定の直後ですよ。この影響をもろに受けるのは他ならぬ今の子どもたち。こうなっている事態に対しても、「今はこうだから仕方ないよ」と子どもにいえますか?そのうち、「今はしょうがないから、外国に行って殺してこい」とか?

 

 日本では、とかく政治はいろんなところで「見ない」クセがついているようです。世間話で政治の話はしないとか、自分の政治的立場を明らかにしないとか。「争いのもと」と捉えられているかもしれませんが、そうではありません。お互い社会を良くしようと思っているのですから、どんどん討論すればいいと思うのです。感情的な喧嘩にならないよう気をつけて。

 

 政治を切り離して「今の社会」とか「子育て」を本質から見つめ、考えることはできません。政治はくらしに密着しています。しかも重要な部分で。

 ですから、私なら「不安定な社会になっているので、子どもたちが巻き込まれないように改善するのがおとなのせきにん」だと言いたいところでした。