糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

やっぱり我慢できません

2014-06-26 | 日記

 集団的自衛権の行使容認をめぐって、情勢が緊迫しています。先にも集団的自衛権について話したので、さらに書くのはと思い、我慢してましたが、やっぱ無理。

 公明党さん、文言をいじったところで、「他国」と一緒になって「戦争する」という本質は変わりません。「平和をうたっている」党を自認されるなら、ここは党の本質、存在意義にも関わる大きな決断のときではありませんか?

 合意した場合、どんな理由を並べ立てようと、客観的に見れば「戦争する国づくりに加担した党」として、後々語り継がれることになると思いませんか?今回そんなことになれば、党の信頼を根底から失うことになるとは思いませんか?政権をとったとたん国民を裏切り、信頼を失墜したあの党のように。

 

 太平洋戦争を終えて、新しい憲法ができて以来、日本が戦争せずにすんだのは、アメリカが日本を守ったからでも、歴代政府が優秀だったからでもありません。憲法9条があったからです。「憲法9条で日本は守れない」と安倍首相は言いました。しかし、まぎれもなく9条こそが、日本を戦争に巻き込ませず、結果、日本の平和を守ってきたのです。歴代政府がことを構えようとしても、国民の声と9条がそれを許さなかったからです。

 

 そして私は、戦争を経て平和を手にし、平和を守ろうと一生懸命にとりくんできた人びとの姿を見てきました。平和は何もしないでは維持できないことを、その人たちの生き様を見て知りました。「平和ボケ」とは、その言葉を吐き、戦争の準備をしたがっている人びとにこそ当てはまる言葉だと思います。

 22日、東京で「若者憲法集会」が開かれました。若者たちは、「思っているだけでは平和を守れない。憲法を守れない」ことに気づいています。国民の多くが、安倍内閣のきな臭さを感じてとっています。

 

 「集団的自衛権」とは、憲法の解釈の一部をちょこっと変えるというような、簡単なものではありません。それこそ自民・公明の間で行われているような「文言」の問題ではないんです。

 憲法全体を貫く思想を根底から覆す大きな転換を、安倍首相の一存で決めるようなもの。こんな横暴、絶対に許せません。今、みんなで声をあげ、意思表示をするときです。