糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

武器を持たぬ外交こそ最強

2015-05-16 | 日記

 最近、動画配信サイトでチャップリンの長編映画が配信されるようになり、「独裁者」を久しぶりに見ました。

 何度も見ているのに、新しい発見もありました。あの映画では、軍事力の競争を風刺する場面もあり、テロリズムを否定する場面もきちんと描かれていたんですねえ。

 独裁者に意見したことで失脚した将校。命の恩人であるユダヤ人の主人公の下宿に身を隠します。暴政を止めるために、爆弾による暗殺を計画。その「殉死者」を、ケーキに仕込んだコインで決めることになりました。しかし、このケーキを作る女性の機転により、全てのケーキにコインが入れられ、この計画は「お流れ」になりました。

 「爆弾で無関係の人を巻き込むなんてダメだ」「他に方法があるはずだ」というものでした。

 同盟国の独裁者が来たときにも、相手を見下ろそうと、散髪室でムダに椅子を高くする競争をしてみたり、軍事パレードで「力」を誇示する場面があったり。分かりやすく、面白く、しかも痛烈に風刺するチャップリン。彼がこの映画を作ったのは、ナチスドイツが栄華をきわめていた頃。あらためて彼の先見性と洞察力、それを作品に昇華させた執念と勇気に驚かされます。

 人々に不安と序列を与え、戦争へ駆り立てる権力者たち。独裁者は、「舌」によって権力を握り、その権力を利用して「力こそ正義」の国をつくります。

 安倍首相が「戦争立法」によって、「日米の抑止力によって、日本の安全がより高いものになる」と言っていますが、とんでもない話です。

 武器を持たなければ、どの国とも対等な立場で仲良くできます。何しろ、周囲からは「武器を持たない、攻撃をしない国」として認知され、信頼されます。この状態がもっとも安全な状態です。しかし、ひとたび武器を握れば、そこには必ず「敵」が生じ、敵ができれば、そこには争いが生まれます。

 力に頼り出すと、「自分を守る最小限」では絶対に収まりません。一旦力によって解決しようとすると、どちらかが倒れるまで、徹底して衝突するしかありません。相手をねじ伏せるしか、解決する方法はないのです。そのためにはより強い力が必要となります。

 戦争は天災ではありません。「備えあれば」というような防災の感覚で軍事力を持つことは本来あり得ないのです。日本は、武器を持たず、平和外交によって国際紛争を解決する決意を示した国。この国が武器をもち、銃口を海外へ向けることは、国際的な信頼を一気に失うことになり、戦争のリスクを高めることにしかなりません。

 

 安倍自民党と公明党の合意によって、平和憲法を蹂躙する企みが推し進められています。これを止めるのは国民のみなさんが声であり、行動です。なんとしてもこの企みを止めるために力を尽くしたいと思います。

 

 

 動画つながりで余談ですが、最近見たドラマで「いいこと言うなあ」と思ったシーンがあったので紹介しておきます。

「ST 赤と白の捜査ファイル」というドラマの最終回です。「天才的な能力を持つ科学捜査班が捜査権を持って難事件を解決する」ような話なのですが、このリーダー的存在の主人公が、「超法規的制裁集団」に誘われます。つまり、法で裁けない悪人に死の制裁を加える(殺人)ことは正義であるという考え方を持つ集団です。主人公は、「どんなに時代や社会が変わろうと、法律をねじ曲げ、憲法の解釈を変えようと、殺人は絶対悪だ」と、「悪人の殺人」を合理化する集団に対して言い放ちます。

 「憲法」という言葉が出てきたので驚きましたが、なるほど、面白いと思いました。「正義」の名の下に、国家規模で行われる「戦争」もまた然りではないでしょうか。


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